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記憶の十字架

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                 第一章 半分記憶喪失

「年が明けたら、結婚しよう」
 という森山泰治の言葉を信じ、河村睦月は病院のベッドで新年を迎えた。
 本当であれば、森山と二人の年越しを願っていたのに、まさか、病院のベッドでの年越しになろうとは思ってもいなかった。
 それはもちろん、森山も同じことだと思うのだが、森山は何も言わず、睦月のそばについてくれている。さすがに二人きりというわけには行かなかったが、病室での年越しにはそばに森山がいてくれて、睦月にとって、ある意味新鮮であったことは、不幸中の幸いというべきかも知れない。
 睦月が入院することになったのは、師走に入ってすぐの休日に、一人で買い物に出かけた時のことだった。買い物を終えて帰宅途中、出会いがしらにバイクが走ってきたのを避けようとして避けきれず、突き飛ばされるような形で近くの家の塀にぶつかったことで、脳しんとうを起こし、そのまま倒れ込んだのだった。
 ケガの程度は全治三か月の足の骨折が一番ひどく、救急車で担ぎ込まれてから半日ほど意識不明だったこともあり心配されたが、問題の頭は精密検査では、異常はなかった。
 ただ、問題が一つあった。
「記憶喪失なんですか?」
 睦月の事故を知って飛んできた森山は、医者から聞いた話に愕然となった。都会で一人暮らしをする睦月の両親は田舎にいて、すぐに出てこれないこともあって、家族からも信頼されている森山が、医者の話を聞くことになった。
「記憶喪失と言っても、すべて忘れているわけではない。一部の記憶がないだけで、生活にも支障はないし、君や家族のことも、ちゃんと覚えている。とりあえずは問題ないのだが、まだ彼女を診て時間が経っているわけではないので、どの部分を忘れているのかなど、ハッキリしない。時々、彼女の話の中に矛盾した部分を発見することになるんじゃないかな?」
 と医者は言っていた。
 漠然とした話なので、森山もピンと来ない。医者もそんな相手にどのように説明すればいいのか考えながら話しているのか、それとも、マニュアル通りの説明なのか、どちらにしても、森山には事務的な話し方にしか聞こえなかった。
 睦月は、医者の言う通り、一緒にいても、記憶を失っている素振りもないほど、意識もハッキリとしているし、森山が知っている睦月以外の何者でもなかった。
――これのどこが記憶を失っているというのだ――
 森山が想像していた記憶喪失というと、テレビなどでよく見るような、生活には支障はないが、肝心なことを忘れてしまっていて、それを思い出そうとすると、極度の頭痛に襲われて、まわりが、
「無理に思い出そうとすることはないんだよ」
 と宥めなければいけないほど、本人が苦しんでいる様子である。記憶を失っていても、思い出そうとさえしなければ、苦しむこともないし、逆に落ち着いた気分になれるのではないかと思っていた。
――記憶を失くした方が、気が楽かも知れない――
 と思ったことがあるほど、かつて現実逃避しようとしたことのある人であれば、記憶のない方が楽に見えるのではないだろうか。
 そんなことを口にするほど、森山は愚ではなかった。睦月がどんな思いでいるのかが分からない以上、下手なことをいうと、ショックが表に出てきて、声も掛けれないほどになるかも知れない。今まで見てきた睦月は、
――なるべく自分の感情を表に出さないようにしよう――
 という素振りが見え隠れしていた。知り合ってから五年以上も経つのに、いまだ完全に睦月のことを分かりきっていないということは、森山自身も自分のことを分かっていないのと同じように、睦月も森山のことを分かりきっていないだろう。
 睦月の場合は、途中までは非常に分かりやすい性格だった。知り合っていけばいくほど、その奥が深いのか、分かってきているはずなのに、先がまったく見えない場所に入り込んでしまったかのような錯覚に陥る。そこは、入ってしまってから一度迷ってしまうと、抜けることのできない樹海のようだ。途中で我に返ると、前を見て一直線に進んでいるはずなのに、どこに向かって進んでいるのか分からなくなってしまう、先の見えない洞窟は、どこまで続いていくのだろう?
 そんな睦月だったが、自分が記憶喪失だという意識がないのに、まわりの人が「記憶喪失」として気を遣ってくれることがくすぐったかった。
 しかし、それも最初だけで途中から、
――私だけ蚊帳の外に置かれている気がするわ――
 と感じるようになっていた。
 もちろん、まわりはそんな睦月の気持ちを分かるはずもない。なぜなら、睦月の考えていることが分かりそうに思ってみても、
――記憶を失っている――
 という事実が頭の中にあって、どうしても、睦月の心の奥に触れることができないとしか思えなくなっていたからだった。
 しいていえば、記憶喪失の弊害として考えられるのは、
――当の本人と、まわりから見ている人との見解が、かなり違っている――
 ということではないだろうか。
 まわりは、本人を見ていて、
「記憶喪失と医者が言うから、見た目はそうでなくても、本当に記憶喪失なんだと思って気を遣ってしまう」
 というだろう。
 しかし、本人としては、
「記憶喪失と言われてもまったく自覚症状はない。でもまわりが気を遣ってくれることが本当はありがたいんだろうけど、却って気が重くなる」
 と考えていることだろう。本人には、自覚症状がないと思っていても、本当は潜在意識の中では記憶を失っていることを自覚している。だけど、まわりが気を遣うことで気が重くなってしない、そちらの方に神経が行ってしまって、記憶喪失という自覚症状が消えているのかも知れない。
 それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、本人に自覚症状が薄れているというのは、ケガの光明なのかも知れない。本人の気持ちも、まわりの見解も一番分かっている人がいるとすれば、それは森山なのではないだろうか。
 中立という立場ではないが、近づこうとしても、何かの壁にぶち当たった。そこから先は入ることができない睦月との距離を考えると、中立と言ってもいいのかも知れない。しかもそれは睦月の記憶が失われてからのことではない。付き合い始めた頃の最初から分かっていたことだったのだ。
――適度な距離があるくせに、よく結婚しようなんて思ったものだ――
 と、森山は感じたが、同じ思いを睦月もしているようだ。森山が感じている距離を睦月も感じているのだが、壁があって、そこから先に進めないという思いは同じだった。つまりは、睦月にとっても壁は想定外であり、
――森山が作ったものだ――
 という思いがあることから、実際にはそんな壁など存在しないということに最初に気付くのはどちらなのだろう。
――神のみぞ知る――
 と言ったところだろうか。
 だが、森山の方で医者から、睦月が記憶喪失だということを聞かされてから、それまであった壁がなくなっているような気がした。しかも、そんな壁など最初から存在していなかったかのような感覚である。
 存在していなかったと思っているのに、意識の中に壁の存在は残っている。そんな矛盾した感覚に、森山はしばし動揺していた。
作品名:記憶の十字架 作家名:森本晃次