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中川 京人
中川 京人
novelistID. 32501
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猫は死んだしおっさんは行方不明

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 自分は、それらを一瞬で統合して、目下これまでにない一大事であると判断した。電子体温計の計測のやり方と同じだ。終着点を演繹的に予測するのだ。この難儀が何が原因であるかはいわずもがなである。
 ティッシュを丸め捨て、すかさず洗面所に飛び込むと、まず念入りに念入りに、両手と十指を洗い、それから両の手のひらで受けた水道水で何度も鼻の穴の付近を、ついで、粉塵を受けている疑いがあったので顔全体をもすすいだ。
 先手先手と打って完璧のはずであった。ところが相手が悪かった。思うに自分は唐辛子というものを嘗めてかかっていた。この植物の真の恐ろしさを、何も知ってなどいなかったのだ。
 自分は自他共に認める辛いもの食いである。唐辛子の消費量に関しては、常人の数十倍はあると豪語してきた。それが自分のいる世界の、唐辛子という部品へのスタンスというのか、評価であった。自分は唐辛子を嘗めていた。単なる事後対応に過ぎない行動を、勝手に先手だと思い込んでいたのだ。
 孫氏曰く。己を知り敵を知らざれば一勝一負す。
 一勝一負どころではない。全敗である。ああ、それがしは敵も己も知らざりしか。ここは真実のみでなければ伝える価値はない。
 火傷を負ったような感覚が、毛細管現象のような速さで顔全体に広がってきた。激烈な痛みである。経験はないのだが、濃硫酸で顔面を焼かれるとこんなふうだろうかと想像する。顔を拭いたタオルが汚染されているという実感がある。
 すでにわが鼻は、いったい顔の真ん中に何者がおわすか、というほどの存在感があり、さらに周辺全体にそれが伝播しつつある。目や口を開けるたびに、そのわずかなよじれを咎めるように痛みが増す。
 原因はひとつしかない。この指だ。種をこじって落としたさいに、爪の間や指紋の谷間に、掻き砕かれた細かいやつが潜り込んでいったに違いない。顔を洗ったときに、そいつがうつったのだ。唐辛子は細かくすればするほど威力が増すと何かで読んだ。両手の指が爪が汚染されている。あの種。不吉なあの種を包んでいた、埃のように儚い羊膜のようなものが指に取り憑いたのか。お前はまだ死んでいなかったのか。お前はまだ乾燥しきっていなかったのか。お前、何者──。かあちゃん。
 生半可な手当では、むしろ状況はひどくなりかねない。自分は、テレビ画面の正面で役者のような動きでゲームに興じている息子と、ちょうど買い物から帰って来た妻に向かって、炬燵の上のものにはいっさい手を出すなと厳命し、汚染されたタオルはスーパーのレジ台でちぎってきたロール袋に詰め込んで口を縛った。もはやウイルス扱いである。自分の行為が恐怖を増幅しているなとも思う。
 妻は居間のドアを締め切らぬまま、買い物袋を提げて口を三角に尖らせている。
「どうしたん。なんでタオルほかすのよ。まだ新しいのに」
 ええい鈍物が。さっきからそれがしの難儀を見聞きしておるくせに、状況を全然把握しようとせん。これすなわち、先ほどにいうところの『典型的なプロセス』の入口でいまだに足踏みしているからなのだ。しかも認識の展開していくスピードの遅いこと遅いこと。自分は鬼の顔で一喝した。
「風呂に入る。すぐに湯を落としてくれ」
 湯を落とす、とは、湯を張って入れる状態にするという当地の方言である。
「風呂はまだ早いわ。あ、でもとりあえず」
 睨み返すそれがしの大剣幕に、ようよう妻は、尋常でないものを感じたらしく、風呂の準備に取りかかった。
 お湯が満ちるまで十五分間。自分は「痛い、顔が熱い、唐辛子には触るな」などとわめき散らしていた。気散じ半分、厄災から家族を守るためのパフォーマンス半分という、あまり例を見ない取り合わせで時間を潰し、家人の顔を見るゆとりすらなく、自動湯張り完了の合図を聞くや否や、湯殿に駆け込んだのだった。
 風呂の湯というものは体温より幾分高く設定するせいか、浸かっていると気分的に何か清浄な気分になる。少しぬるめの三十九度に設定したのもよかったみたいだ。体に付いた汗や油、垢やその他よくないものまでも、きれいさっぱり洗い流してくれるような、少し調子が良過ぎるが、禊のような爽やかさを感じる。顔はあいかわらず痛いけれど、湯気の中で、かぶれと上気が少しずつ入れ替わってきているようでもある。
 ──この指がなあ……。
 湯面から浮かばせた両手の指を見つめながら、先ほどの乱痴気を思い出してはにかんでいる。いや、ひょっとしたら、目には見えぬが、爪の間や指関節の皺には、いまだ悪いものが蟠っているかも知らん。この世にあるものは、この世のものとは限らない。粉に化体までして襲いかかったあの災いの種のこと、念には念をとばかりに、お湯の中でことごとく浄化したのだった。
 さて男性なら頷かれると思うが、ときに陰嚢すなわち例の玉の袋が股座のあちこちにでたらめに張り付いて居心地が悪いと感じることがある。玉ポジの件である。
 さて、いまこの場においてもまたしかり。ちんまりまとまって左太腿の内側に張り付いている袋の皮を、君ならもっとやれるぞとばかりに、伸ばしてやろうとした。左手の人差し指と親指で左玉袋をつまんで、小さなこだわりから開放してやったのである。
 このとき袋の表面にツンと走る小さな引っかかりがあった。まさかと思う。湯の中でこれほどまでにふやけている指で触っただけなのだ。そこで自分は、これは気のせいである、俺、考えすぎ。痛みといっても高々その程度に過ぎないのだと判じて、その上限を確かめるつもりで、次には右手を使って同じことをしてみた。病は気から、迷いは毛から、などと見積もって。
 ところが今度は、確実なやつが袋の右側に現れた。意識して触れば相応のものが返ってくる。さらには、あわてて湯で希薄化するつもりで、もみくちゃにしたのがかえって悪かったのか、恨みがましいジンジンとした感覚が陰嚢全体に広がってきた。君よもっと伸び給えよと励ましたつもりが、もはや体罰であるとのご沙汰である。唐辛子は嘗めてかかってはいけない。浄化などされてなかったのだ。
 六時間後、顔も袋も明らかに快方に向かって安堵した。就寝前の歯磨きのあとで、右親指の爪の隙間に舌を這わせてみた。ぴりりとした感覚があったようにも思うが、もはや気のせいかもしれなかった。見つめ直しても、外見は普通の親指の爪とさほど変わりはなかった。
 そんな日常を送っていました。