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『喧嘩百景』第13話日栄一賀VS田中西

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 「っ了解、その方があたしもやりやすいよっ」
 一賀が一歩踏み出すのを見て、西はガス銃(ガン)を連射した。
 当たらない。
 ――ちっ、離れてちゃ当たらないか。
 強化してあるとはいえ、所詮は玩具(おもちゃ)だ。弾の速度は遅い。銃囗さえよく見ていれば、避けることは不可能なことではない。
 「田中っ!!」
「日栄さんに近づくんじゃないっ」
一賀に正対して構え直す西を見て、裕紀と浩己は声をあげた。
 銃器を好んで使う西が接近戦で一賀にかなうとは思えない。次に掴まればおしまいだ。
 「うるさいっ、黙って見てろっ」
 西は一賀の方を向いたまま二人に向けて弾をバラまいた。
 ――まったく鬱陶しい双子め。
 二人はずっと西の身を案じているようで、その実、一賀の方を心配している。西を傷つけることで一賀が傷つくと思っているのだ。それなら勝手に傷つけばいいだろう。西は思う。自分勝手に多くの人を傷つけてきた男を何故そんなにまでして庇う必要がある。人を傷つければ、それだけ自分も傷つく。そんなことは至極当たり前のことだ。傷だらけになって反省すればいい。
 西は懐からもう一丁銃を取り出して構えると、一賀の間合いに飛び込んだ。
 二丁の拳銃で、西を捉えようとする一賀の手を払う。
 一賀は鬱陶しげに銃撃を避けると、すでに血塗れの右手で銃囗を塞いだ。
 西が発砲するのもかまわず、銃を掴む。
 西は銃を手放して一賀から離れた。銃は西の手から離れても弾を吐き出し続けた。小さな弾がデタラメに一賀の身体を叩く。密着していないので服を裂いて身体を傷つけるまでには至らないが、それでも一賀の気を僅かにそらせるだけの効果はある。
 西は肩から一賀に体当たりして、身体を丸めたまま懐で銃を連射した。
 小さな弾は服の上からでは、瞬間的に鋭い痛みを感じさせるものの、拳で殴るほどのダメージを与えることはできない。が。
 「ここならどうだ?」
 西は顔を上げてにやりと笑った。
 最強最悪の男とはいえ、男である以上そこは弱点になる。
 一賀はとっさにムリな体勢から足を振り上げた。
 「いや、西さん、そこはちょっと」
 さすがに羅牙も声をあげる。
 急所を狙った銃弾は僅かに逸れて一賀の内股を抉った。軸足から力が抜ける。
 西は倒れかかった一賀の身体に肘を打ち込んだ。
 「日栄一賀の攻略法はただ一つ、油断と手加減をしないことですよ」
 西は言った。
 病身と綺麗な顔、それにさえ遠慮しなければ勝てない相手ではない。
 しかし。
 「手加減なしでこの程度?」
 西に押し倒されながら一賀はすいっと手を伸ばした。
 ひんやりとした感触が西の首筋に触れる。
 「あ…」
 一賀の指は躊躇うことなく西の喉を絞めつけた。
 「ぐ…」
 息が詰まる。
 ――この…本気(マジ)で絞めやがって…。このままじゃ、落ち…る…。
 西は背中に手を回してウエストに挿んでいた銃を引き抜いた。
 一賀の指が喉に食い込む。
 西は二丁拳銃を一賀の顔に突きつけた。
 綺麗な顔。
 「相原っ、やるからねっ!!」
 手が震える。
 ――やるさ!!
 西はぎゅっと目を閉じて引き金を引いた。
 「――そこまでだ!!」
 羅牙は、一賀のもう片方の手が西の震える腕に添えられ、フルオートで弾を吐き出し続ける銃囗を自分の顔の上へと押すのを見て声をかけた。
 西の銃の弾は、単に金属であるだけではない。細いアルミのパイプをカットしたものにハンダを詰めてある粗いものだ。球形でない弾は、この至近距離なら掠めただけでも充分相手を傷つけることができる。
 「日栄さんっ!!」
「先輩っ!!」
裕紀は咎めるようにテーブルの先輩たちを振り返った。
 ギャラリーをこれだけ限っているのに、神田恵子を連れてきていたということは、彼女らが最初(はな)からケガ人を想定していたということなのだ。何かあったら止めると約束した不知火羅牙は、どちらかがある程度の傷を負うまで、止める気などなかったのだ。
 羅牙は軽く手を上げて二人を制した。
 彼女の、困っているような複雑な感情がぼんやり伝わる。
 飛び出した弾のうち半数は、西と一賀の間の空間にぴたりと静止していた。
 「田中西ともあろう人がこの距離で外そうとするなんてね?」
 一賀は西の首に手をかけたままにこりと笑った。
 そう、傷を受けようとしたのは彼自身ではなかったか。
 「うるさい」
 西は目を開けてその笑顔を睨みつけた。
 色白の綺麗な顔。
 その頬やこめかみ、額にいくつもの赤い痕がついている。 
 もし一賀が失明でもすれば、大きな傷を負わされるのは西の方だ。二人には解っていたはずだった。日栄一賀は自分勝手で我が儘で人も自分も傷つけて平気な最強最悪の男なのだ。
 「あんたでも血はそれなりに赤いんだな、会長。水みたいに薄いんだと思ってたよ」
 西は一賀の身体に馬乗りになったまま、顔をのぞき込んだ。
 声が掠れる。
 自分でも強がりを言っているようにしか聞こえなかった。
 「まったく君たちはみんな優しいねえ」
 いくつかの傷は血を流させるほどには深く、それ以外の傷も皮膚を裂いて血を滲ませていた。それでも一賀はいつもと変わらない笑顔を西に向けた。
「俺をどうしたいの?」
 西は銃を一度戻してまだ弾が残っているのを確認すると、銃口を一賀の首筋に押し当てた。
「あんたはどうして欲しいんだ?」
精一杯の強がり。
「撃てないくせに」
一賀が笑う。
 「この性悪」
西は銃を下げて立ちあがった。
「――負けで結構だ、こんちくしょう」
 ――血を流させることが目的ではない。いくら傷を負わせ血を流させたところで、本人が痛いと思っていなければ意味がない。まったく最悪だ。
 どうすれば彼に痛みを感じさせることができるのだろう。西は、自分は何て酷いことを考えるんだろうと一人苦笑した。
 そのとき。
「西さんが負けてあげることなんてないのよ」
西の耳元で誰かが囁いた。
 ――環女史。
 いつの間にか環が西のすぐ横に立っていた。
 ゆっくりとした動きで西の手から銃をとる。
 ごく自然な動作でそれを構えると、銃口をいったん裕紀と浩己に向け、
「痛いっていうのはね――」
普段の彼女からは考えられないスピードで自分の手のひらに押し当てると引き金を引いた。
 「環さんっ!!」
 一賀が、これも普段の彼からは考えられない声を上げて飛び起きた。
 飛びつくように環の手をとる。
 弾は環の手のひらに浅く食い込んでゆっくりと血を滲ませ始めていた。
 「環さんっ」
 一賀はどうしたらいいのかもわからずに、彼女の顔色を窺った。
 「痛いっていうのはこういうことよ」
 環はもう一度銃をあげると今度はその目尻に銃口を添えた。
 指は引き金にかかっている。
 一賀の目の前で環はその引き金をゆっくり引いた。
 「会長っ!!」
 先に声をあげたのは、西だった。
 西は二人の間に割って入って環の手から拳銃を弾き飛ばした。
 「ぼけっとしてんじゃないよ、あんた日栄一賀だろう!?」
 「あ…」
 視界を西に遮られ、一賀は環の姿を探しておろおろと視線を漂わせた。
 「あんたはっ!!――自分の大事な人さえ守れないのか?」