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御手紙 葉
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novelistID. 61622
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小鳥がふわりと飛び立ったら

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小鳥がふわりと飛び立ったら

 僕は公園のベンチに座り、ゆっくりと時間を忘れて読書に耽るのが好きだった。それは本の世界に最も自然に、心地良く浸ることのできる方法だったのだ。その紅葉に色づいた公園の片隅で、湖を背にして本のページを開くと、そこには確かに限りなく静まり返った鏡の世界が広がっていた。
 鏡の中の世界にはきっと音などないのだろう。僕はそう思うことがある。ぽつぽつと人影が通り過ぎるだけの、昼下がりの公園には、舞い落ちた紅葉の風に揺れる音だけが、カサカサと密かに響き渡っていた。それは鏡の世界でもあったし、水の底の全てが遠くへと離れた孤独な世界でもあったのだ。
 僕はそんな想像が膨らむ場所で、いつまでも本のページを捲り、風に吹かれて物語の空気に浸ることだけを繰り返した。そうして周囲の木々から落ちた紅葉が僕の足元につむじ風と共に近づいてきて、やがて散らばりながら自然の紋様を描く。
 その、カサカサ、カサカサ、という音を聞きながら、やがて僕はぼんやりと頭が霞んでいくのを感じた。たまにこうして読んでいると、心地良すぎて瞼が重くなってくることがあるのだけれど、何とか背筋を伸ばして本のページを捲った。
 すると、いつの間にか僕の隣に人の気配があって、僕はびっくりして跳ね上がるようにして振り向いたけれど、そこには栗色の影がそっと体を微かに折るようにして座っていた。まるで人形のようにすっきりと細く、それでいてどこか生者とは信じられないほどに真っ白な肌をしている。
 ふわりと琥珀色の日差しが、舞い散る雪に微かに化粧を纏ったような、そんな現実味のない姿だった。
 ……美希。僕は彼女の細面の顔を見つめながら、そうつぶやきかけ、そしてすぐに言葉を呑み込んだ。ホントにいつの間にそんなところにいたのだろう。いつもふらりと現れては去っていくような幼馴染だったけれど、こんなに唐突に僕の前に現れるのは、本当に奇妙だった。
 そう、奇妙だった。そのくすぐったい感情や、瞼の奥の熱い脈動には全く心当たりがなかった。
「なんでお前はそう、突然に……」
「元気にしてたかな、幹人」
 僕は一瞬げんなりして背中をベンチに付けようとしたけれど、僕はそこで何故か、彼女の顔に目を縫い留められたまま、体の動きを止めていた。彼女はわずかにこちらに体を向けて、そっと上品に膝の上に手を置き、微笑んでいる。
「こっちに帰ってきていたんだ、私。東京での生活は結構楽しかったけど、やっぱりこっちの方がしっくりくるね」
「どうして僕がここにいるって、わかったんだよ」
「だって、ここに来るの、幹人の日課でしょ? 最初に家に寄ろうかと思ったけど、この時間だったら、ここにいると思って来たんだけど」
「気配を消すな、気配を」
 彼女はただ目尻を下げて微笑んでいたけれど、今、どうしてた? とぽつりと聞いてきた。それは本当に嬉しそうで、どこか彼女の本当の心がぽっかりと大きな空洞から覗いているみたいに、素直な眼差しをしていた。
「いつも通り、大学に通ってるよ。お前は短大だからもう就職したんじゃなかったのか?」
「でもね、やっぱり私、幹人がいるこの街が好きで、帰って来ようと思ったんだ」
 彼女はそう言ってふっと上を向いて頭上の木々を見つめた。そこでさやさやと揺れる木の枝からふわりふわりと紅葉が落ちていく。彼女は果たしてその紅葉を見つめているのか、それとも木のずっと先にある、遠い想いに運ばれているのか、わからなかったけれど、僕は思わず笑みが零れてつぶやいた。
「まあ、色々と突っ込みたいことはあるけど、とりあえずおかえり、だな」
 僕はそう言って彼女の肩に触れようとして、ふと手を止めた。彼女が突然改まった顔をして体をまっすぐこちらへと向けたからだ。それは本当に、彼女の真心が覗いた、真剣な――それでいて、一片の曇りもない想いの欠片だった。
「幹人にね、ずっと……ずうっっと言いたかったことがあったのにね、言ってなかったんだ、私。この街に帰ってきたら、言おうと思ってたんだけど、もう忘れられたみたいにその想いが胸の奥に沈殿していて。でもね、もう恥ずかしがることなく言えるよ」
 僕の鼓動が大きく高鳴った。その高鳴りは、ドキッとしたものではなく、ただ何か運命の矛先が心臓に差し向けられた時のような、そんな“予感”にも似た感傷だ。
「如月美希は、葉山幹人のことがずっと――」
 ――――――。
 僕はただ静かな風が僕のうなじを掠めていくことだけを感じていた。そこには想いは到来せず、ただ静かに、風が流れては通り過ぎていくように、ゆっくりと静寂が僕の体を巡っていった。彼女はただ静かに微笑み、そしてゆっくりと――立ち上がった。
 ふわりと琥珀色の日差しが、白い雪を振り払って、空へと向かって立ち上っていく。
「幹人は私のこと、どう思ってた?」
 どこ行くんだよ、と口はつぶやこうとして、そして想いはその囁きを彼女に届けていた。
「そんなの、当たり前だろ。僕は、美希のことが――」
 美希はふっと微笑み、ゆっくりとベージュのコートを揺らせて僕へと背を向けた。顔だけこちらへと振り返らせて、ゆっくりと、向日葵みたいに微笑んで、珈琲の水面みたいな深さの同じ色の瞳で、紅葉のような色づきで微笑んでみせた。
 それははにかんでいる彼女の、いつもの、幼い時から見てきた自然な眼差しだ。
「ありがとう、幹人」
 彼女はそう言って歩き出した。僕は立ち上がろうとして、そのベンチから背筋をまっすぐ伸ばしたまま、声を上げられずに、彼女をただ見つめることしかできない。心は叫んでいるのに、体はゆったりと心地よいまどろみに溺れて。そして、僕は――。
「美希」
 そのつぶやきは公園の静寂の上に溶けて、彼女は湖の周りの紅葉に色づいた歩道をゆっくりと歩いて、そして最後に振り向いた。その悪戯っぽい、彼女が別れ際に見せるお決まりの笑みで。

 僕はベンチに座って歩道の先を見つめ続けていた。僕を囲んだ空間が、一斉に時の流れを呼び込んで濁流となって流れていくみたいに、全てが現実味を伴って僕の元へとなだれ込んできた。僕はただ目を大きく開いて、そこをじっと見つめていた。
 美希は、とすぐに思い立ち、立ち上がるけれど、すぐに意識を覆っていた何か堰のようなものが取れていくのがわかった。美希が目の前にいた時には考えられなかった全ての物事が、僕を一斉に囲んで、空間以上に、感情さえも突き刺していく。
 だって、美希。お前がここにいられる訳はないじゃないか。だって、そうだろ? 何でお前がここにいるんだよ。いる訳ない。ずっと前に分かっていたことじゃないか。お前はもう“この世にはいないんだから。”
 堰が決壊すると、一斉にその事実が悲鳴を上げながら僕の頭を軋ませる。有り得ない、有り得ないんだ、そんなこと。僕はいつの間にかベンチに再び腰を下ろしてぐっと拳を握りながら、ただ「美希」と永遠に繰り返していく。
 美希がいないこの現実に、今更お前が現れたって、僕の想いはどこに持って行けばいいんだよ。
 今になって帰ってきやがって。そんなこと今更言われたって、意味ないだろ。