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急行電車 10両目

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「雨の中向こうの駅まで行くのは嫌だな」
傘を差しながら私はひとり呟いた。今歩いている家から伸びるこの直線の道は二つの駅を結んでいる。片方は徒歩三分。もう片方は十分。遠いほうの駅は特急や急行が停まるため、大学の講義が朝早くあるときなどはそちらに向かうのだが、今日は特に何もないのだ。では何もない日なのに外に出たのはなぜか。ましてや雨なのだ。この小さい傘では私のズボンはやはり濡れていた。いいことがないように思えるこの外出だが、私はよくこういう外出をする。意味はないのだ。そこに意味がないから私は向かうのだという逆説を理由にしている。
 さて、今日も同じようにどこに向かうかわからない。適当に駅を目指すのがこの旅の決まりだ。その目的地の駅は近場のものであるときもあるし、隣の県まで行ったこともあった。今回は前者だ。実に近い。ほんの十分の旅だ。
 意味がないといったこの旅だが、私は駅に着いて旅を終えるたびに、何か新しいものを手に入れていた。それは財布を拾うとかいう現物的なもの、選挙広告を見つけて無意味な知識を蓄えるといった無形なもの、花壇に植えられている花とそこら辺に咲いている花の美しさの違いを感じ取るといった、感性的なもの、といった具合に決まったものではなかった。その旅ごとに手に入れられる一種、報酬のようなものであった。例えばだが、この街に初めて来たとき、私は今の家から近いほうの駅に向かっていたときのことだ。知らない街、特に田舎者の私にとって未知の存在である東京の街。そこをただ歩いていた。知らない建物がどんどん増えていく。そこで見つけた青いコンビニは未知の世界に突如現れた既知の存在であった。その既知の建物は普通なら安心感や、それに付随する感情を作り出すのだろうが、緑の水が流れ、空という概念や、重力といった法則が無く、気味の悪い植物のような物体がそこら中に居座っている謎の世界にたった一輪、奇妙な綺麗さをもつタンポポと同じようにそのコンビニも恐怖の対象であった。ここにあってはならないもの、だがすでに知っているもの。その不整合性が恐怖を駆り立てる。その考えはこの街に慣れた今でも薄れることなく、私は今日もその青い建物を通り過ぎた。息を止めて、怪物を起さないように忍び足で歩くように、ただ、不自然ではないように、そういういくつもの身なりを抱えて歩いて行った。

 先ほどの二つの駅のうち、家から近いほうの駅の改札を通るとそこにはいつもの風景があった。灰色、いや、白なのか、電灯の色が壁の色を少し変化させる。ホームの明るい照明とは反対に、電車が通る線路は薄暗い。転倒防止のために設けられた自動ドア兼、壁がホームの明るい光を遮断し、そうさせているようで、単調な色で囲まれたガラスドアに映るのは私の黒い服だ。向こう側にいるかのように存在する黒い私は向こう側に飛び降りたいとは考えないので、この大げさなドアも全く無意味なもの、むしろ電車の形が好きな私にとっては邪魔なものでしかない。
 一つ、電車がやってきたようで、アナウンスと共に音が響く。重低音が効いたこの音と共にホームにいたわずかな人間のうちの私以外のすべてが動いた。私が乗る電車は反対の物なので、全く動く必要がない。だがしかし、こうもすべてが一つに向かって動いているのに、ただ、一人だけホームのガラスに姿を映し続けておくのはなんだか、空気が読めない人間、だとかそういうものだといわれているようで、癪に障る。何もしていない、それがどうも周りの空気を乱すのだ。黙って立っておくのを止め、少し動いた。降りてきたエスカレータを横目にホームを進む。私が乗る電車の最後尾、が止まるドアの前に着くと、やはり小さな駅なので人は誰もいない。
 軽やかな音で反対車両のドアが開き、楽観的な電車のメロディ―がホームに木霊する。二重、三重に聞こえる音につられて、一人、また一人ドアをくぐり、向こう側の暗闇に入りこむ。「各停」と書かれた電車はすぐに扉を閉め、先を急ぐ。一人の男性が階段を勢いよく走ってきたが、間に合わなかった。扉に邪魔された行き先に彼がちゃんとつくことを願う。
 また暗くなった反対車線だが、電車が入ったことで空気が入れ替わったのだろう、ほんの少し澄んで見えた。暗闇に紛れていた何か綺麗なものが姿を現すのではないかと少し期待したが、少し程度だったためか、暗闇はずっと黒いままで変わらなかった。それでも時折照明に感化されキラッと輝く何かはやはりそこにあるようだった。
 さて、私が乗る電車はまだだろうか。さっきの電車に乗ってもいいのだが、今日は新宿の方に向かうのがいいようだ。エスカレータからまっすぐこちら側のホームに来たからだ。大都会だが、どこか混沌としたものが紛れ込む多種の世界に紛れ込むのは簡単で、すまし顔で歩きさえすればいい。それだけでそこには居場所が生まれ、私は一人過ごせるのだ。仮に新宿ではなく、反対の府中の方にしてみようか。忽ち、なぜそこにいるのか、その理由を求めてしまう。住んでもいない、買い物にきたわけでもない。新宿も全く同じなのだが、何かが決定的に違うのだ。その違いを具体的に示すことができないのがなんとも今の私らしいなと納得するのだ。
 電車はまだ来ない。暗闇が延々と続く。特急や急行電車がこの駅を通り過ぎてもいいものなのだが、電車は一向にやってこない。ただ時計だけが進んでいき、電工掲示板に映る次の電車は全く変わらず十二時三十分発の新宿行き各停。あと一分でやってくる、はず。おかしなことに向こうに見える長いホームには私以外だれもいない。元々小さな駅なので、人がいないのは不思議ではない。しかも今日は平日の真昼。仕事に学校に、他の何かに人々は追われる。こんな小さな駅に用はないのだろう。では、なにがおかしいのか。よく分からない違和感が体を走る。
その違和感の正体がわかったのは、時計の針が一直線に円周を半分割した時だった。流れてきたアナウンスがどうもおかしい。母音と子音で作られるはずの機械的な日本語ではない、どこか異国の言葉がさらさらとやたら流暢に流れ出したのだ。日本語にはない音が次々に聞こえ、私の耳は一瞬にして日常とは違うものになった。
 聞こえてくるものはどうやら私がかろうじて理解できる言語である英語ではないようで、ところどころ巻き舌が入る。スペインか、イタリアか。そういうものだと思う。そしてだんだんとその新知の言葉につられて空気の音とか、他のものも知らない音に変わっていくように思えてきた。
作品名:急行電車 10両目 作家名:晴(ハル)