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てっしゅう
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「歴女先生教えて~パート2」 第三十九話

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美穂の世界史の授業が始まる。

「中国に目を移しましょう。唐の時代に武則天(ぶそくてん)という女帝が現れるの。彼女は名君と言われた太宗皇帝の後継者高宗の妻、武照(ぶしょう)なの。夫の父親の後宮に仕えていた女性で、遊牧民ではよくある風習だった。夫が亡くなった後、二人の息子を順次皇帝に立て、後見に就くんだけど心もとなかったので、ついに自分が即位して国号を唐から周(しゅう)へと変更した。

唐の時代には家格が低かった武則天は、自分を軽んじる者を遠ざけ、邪魔するものは殺したの。その代わり、隋の文帝が決めた選挙(科挙=官僚登用試験)を重視して、優秀な人材を民間からたくさん登用した。実質的に実権を握っていた時代(約半世紀)は、穏やかで、農民の反乱も起きていなかった。高句麗を滅ぼし、白村江の闘いもこの時代よ。持統天皇がこの武則天を注視していたことは確かね」

「先生、日本は中国の女帝を見習っていたという事なんですか?」
 
「そうね、広大な中国を女性の力で治めているという現実は、持統天皇にとって勇気づけられたことだったでしょう。彼女だけではなく、白鳳・奈良時代にあって女性は活躍した。それは、聖徳太子伝承を完成させた光明皇后(藤原光明子=ふじわらのこうみょうし)、藤原不比等(ふじわらのふひと)の妻だった橘三千代(たちばなのみちよ)などね。実質初期の日本という国家を形成したのは、持統天皇を始めとした意思のある賢い女性だったというわけ。
平城京には、白村江の戦いで敗れた百済の王族を始めとして、唐からの来訪者、唐を経由してきたペルシャ人、海からは南アジアの人々がやってきて住みつき、人口の約七割が外国人であったと言われているわ。東大寺の大仏開眼供養の導師はインド人だった。主催者は孝謙天皇(後に重祚して称徳天皇となる)。この時代の日本は、グローバルに開かれた国だったのよ」

「権謀渦巻く男性社会と違って、女性の社会は平和と協調を大切に考えたと推測しますが、裏側で用意周到に女帝を操るような動きは無かったのでしょうか?」

「どうしてそのように思うのですか?望月さんは」

「はい、戦いになれば主導権は男性です。軍隊を束ねることも女性には出来ません。見かけは従っていても、いつだって反乱することは可能だったはずです」