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家族の季節

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妻の冬(四)


 思い通りになったはずだった――
 根岸康夫は仕事の帰り道、瀬戸内海に沈んでいくきれいな夕陽を眺めながら、誰も待つ者のいない家に戻る侘しさを噛みしめていた。
 
 
 正月明けに島にやってきた康夫を地元の人たちは快く受け入れ、あれこれと世話を焼いてくれた。夫婦連れだと思っていたのが一人だとわかり、なおさら気にかけてくれているようだった。
 ひと月もすると果樹園の仕事にも慣れ、ようやく、周りの自然やきれいな空気を味わう余裕が出てきた。体を動かす仕事、最初は筋肉痛に悩まされたが、今ではそれもなくなり、以前より体が軽くなったように思える。食事もおいしく食べられた。
(ああ、やっぱり来てよかった!)
 この選択をしなければ、今頃再就職をして満員電車に揺られていただろう。あるいは気に入った再就職先が見つからず、あの家で居心地の悪い毎日を送っていたかもしれない。どちらにしても、今の暮らしの方が格段に快適であることは間違いない。
 
 週に二度ほど、仕事仲間が酒に誘ってくれた。島に唯一ある居酒屋には、いつも同じ顔ぶれが集まってくる。地区の集まりにも欠かさず顔を出した。ここで暮らしていくためには暗黙の決まり事だ。
 みな親切だったが、新参者ゆえ話にはなかなかついていけない。そんな時、康夫はふと疎外感を感じた。飲んでいてもそうだった。本当にここに溶け込むにはどれほどの時間がかかるのだろうか……
 康夫は、しだいに気持ちが萎えていくのを感じ始めていた。新天地で新しい生活を始めるという意気込みこそがこれまで自分を支えてきた。しかし慣れてくるにつれ、緊張感は薄れ、ここでの暮らしが光り輝くものではなくなってきた。
(住めば都と言うが……)
 夫婦関係に似ているような気がした。甘い新婚時代が終わり、厳しい現実の暮らしに向き合い始めた時のような……
 それでもお気に入りの場所から眺める瀬戸内海の景色は、康夫の心を勇気づけてくれた。
(この風景を身近に見られるだけでも、ここに来た価値は十分にある)
康夫は、そう自分に言い聞かせた。
 
 
   * * * * * * * *
 
 
 今年も桜の季節が訪れようとしていた。テレビでは連日、開花予想日が話題になっている。
 幼稚園も春休みとなり、千佳が愛を連れて遊びに来たので、家中子どもたちの声で溢れかえっている。ベビーベッドに寝かされている陸も、愛や奈津が走り回るのを目で追ってご機嫌だ。その様子を葉子と理恵子、千佳の三人は食卓でお茶を飲みながらながめていた。
「お母さん、もうすぐ誕生日ね、今年はにぎやかにお祝いするわね」
 千佳が言った。
「どうせ茂樹さんにそうするように言われたんでしょ?」
「あら、御見通しね」
「もう歳は取りたくないから祝ってもらうというのもなんだけど、気持ちは有難いし、みんなで楽しめればいいわけだし」
「そうそう、前向きに考えなくちゃ」
「あなたもいずれ私の歳になれば、そんなこと言っていられないと思うけどね」
 母娘の話に嫁が割って入った。
「お義母さん、何か欲しい物はありますか? 考えているんですけどなかなか思い浮かばなくて……」
「欲しい物はないけど、ひとり参加者を増やしてもらいたいかな」
 理恵子は驚いて葉子を見た。婚活のことを知らない千佳が、
「何? 友だちでも呼ぶの? まるで子どものお誕生会ね」
と言って笑った。
「まだわからないから、はっきりしたら言うわ」
 理恵子はとても気になったが、葉子はそれ以上何も言わないし、千佳がいるので聞くわけにもいかない。その日は千佳の夫、茂樹が遅くなるというので千佳たちは夕食も食べ、夜遅くに帰って行った。後片付けに追われ、理恵子は昼間の話の続きを葉子に聞くことができないまま朝を迎えた。
 
 翌朝、理恵子が朝食の支度をしていると、外出の支度をした葉子が姿を見せた。
「あら、お義母さんお出かけですか? またずいぶん早くに」
「ごめんなさい、夕べ言いそびれちゃって。バタバタしていたしね。ちょっと出かけてくるわ。遅くなるけど心配しないでね。
 じゃ、行って来ます」
 何も聞くこともできず、理恵子は葉子を見送った。ただどんな様子で帰ってくるかがとても気がかりだった。

作品名:家族の季節 作家名:鏡湖