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遠い空の下 ~昭和二十年、秋から冬へ~

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「お母様、こんなに大きいのをみつけました!」
 娘の千恵が大きなサツマイモを掘り出して、大喜びで見せに来る。
「まあ、お手柄ね」
 そう言って微笑んでやると、千恵の顔が一層明るく輝いた。
「えらいぞ、千恵、僕も負けていられないな」
 息子の武雄も一心にサツマイモを掘っていた顔を上げて笑いかける。
 千恵は得意満面だ……。
 
 昭和二十年、十月。
 千恵は七歳、国民学校初等科の二年生、武雄は十一歳、同じく五年生。
 武雄はもう随分としっかりして来て色々と力になってくれているが、千恵はまだまだ幼い……二人とも夫に託された大事な宝物、千鶴はこの子たちを守り育てて行かなければならない。
 それは使命であると同時に無上の喜びでもあるが、決してたやすい事ではない。
 東京市街に住んでいた頃は空襲に怯えて夜もおちおち眠っていられなかった。
 同じ東京でも郊外にある実家に身を寄せたが、戦争末期にはここまで空襲に晒され、何度も千恵を抱えるようにして防空壕に飛び込んだ。 
 空襲からは何とか守り抜くことが出来たが、戦争が終わった今も食糧事情はひどく悪い、贅沢なものは望むべくもないが、育ち盛りの子供を飢えさせるわけには行かない、そのためのサツマイモ……実家の庭先のさして広くもない畑、充分な量の収穫は望めないが、頼み綱の食糧なのだ。
 千恵はまだ遊び感覚だが、武雄はもう事情を理解していて収穫に懸命……頼もしささえ感じる。

「お母様、見て、赤とんぼがあんなに」
 顔を上げると千恵の言うとおり、高く澄み切った青空に無数の赤とんぼが舞っている。
 つい二ヶ月前までは、その同じ空に巨大な銀色のとんぼが編隊を組んで飛び、爆弾の雨を降らせていた……。
 そんな悪夢のような光景が嘘であったかの様に、美しく、心和む光景だ……、武雄もしばし手を止めて赤とんぼを眺めている。

                 *
                 *
                 *

 山下千鶴がその後夫となる村石義雄に出会ったのは十四年前、千鶴十八歳、義雄二十四歳の時のことだった。
 剣道師範である父が、四段に昇段した義雄を家に招いてささやかな宴を催したのだ。
「村石君、どうだ、千鶴を嫁に貰ってくれんか」
 気分良く酔った父の軽口だったが、思わず義雄の顔を見た時、思いがけず目が合ってしまい、耳まで真っ赤になった……。
 
 義雄は陸軍士官学校を卒業後陸軍に入隊して、その時少尉。
 軍人で剣士、しかし決して『武』一本やりの人ではなく、柔軟で現実的な思考と他者を思いやる優しい心を兼ね備えていた。
 一年後、義雄が千鶴の父に頭を下げに山下家を訪れた時、父は大層喜んで、そのまま盛大な宴となったものだ。

 二人は東京市街に小さな家を借りて新居とし、そこで二人の子宝にも恵まれた。
 しかし、大東亜戦争が始まると、義雄はほとんど家に帰ることが出来なくなった。
 二年前に南方に赴いてからは一度も帰って来ていない。

 南方に発つ時、義雄は『身の危険を感じたら迷わず実家を頼りなさい、日本に帰って来た時、ここにお前たちが居なければ実家を訪ねる、もしそこにも居なければ日本中どこに居ても必ず探し出すから、何をおいても自分と子供たちの命を一番に考えなさい』と言い残した。

 義雄は剣士、武士道精神は十の力を二十にも三十にも発揮させるものだと信じていたが、その崇高な精神を宿す身体も一発の銃弾、一発の爆弾で失われてしまうこともまた熟知していた。
 軍人として、決して口には出来ないものの、連合国側との圧倒的な物量差はもはや精神で補うことは叶わず、いずれ本土が爆撃に晒される可能性を予見していたのだ。

                 *
                 *
                 *

 昭和二十年八月十五日、終戦。
 (日本はこれからどうなってしまうのだろう?)という不安の中、それでも平時から半月遅れの九月半ばには学校が再開された。
 喜びに満ちた顔で登校して行った兄妹だが、帰って来た時、武雄は服を土で汚して目の周りに痣を作り、千恵は泣きべそをかいていた……。

「学校で何があったのですか? 包み隠さずに正直に話して下さい」
 千鶴は子供たちと座敷で向き合った。
 先に口を開いたのは千恵だった。
「お母様、お父様は悪い方なのですか?」
「千恵、何ということを……」
「だって……だって先生が……」
「先生がなんと仰ったの? 泣かないでちゃんと教えて下さい」
「お父様は軍人だから……たくさんの人を戦争に連れて行って死なせたから悪い人だって……」
 武雄は千恵をキッと睨んだが、千鶴は思わず天を仰いだ……。
(これが……戦争に負けるということなのね……)
 既に報道に規制がかけられていることは漏れ聞いているし、新聞を読み、ラジオを聴くとその実感もある……占領軍を批判することは禁じられ、逆に日本軍は悪し様に糾弾されるのだが、『勝てば官軍』と言う……それは致し方のないこと。
 しかし子供の教育にまで……日本人の誇りを、心を奪おうと言うのか……こんな小さな子供にまで罪の意識を植え付けようとして……。
 その言葉が日本人の、しかも子供を導くべき教師の口から出たものだということが、怒りを通り越して悲しい……。
 
 千鶴は天を仰いだまま、しばし唇を震わせていたが、顔を下ろし、子供たちの目をしっかり見つめて話し始めた。

「武雄は喧嘩をしたのですね? 千恵、何があったのかを教えて下さい」
「お兄様もお友達に罵られて悔しそうでしたが、我慢していらっしゃいました、でも私が囲まれて胸を突かれたのを見て……」
「相手は? 千恵の同級生だったのですか?」
「同級生もいましたけど、大きい人たちも一緒に……」
「そうですか……千恵は喧嘩をした武雄は悪い人だと思いますか?」
 千恵は強くかぶりを振った。
「そうでしょう? 武雄は千恵を守ろうとしてくれたのですからね……武雄は自分が罵られていても我慢したのですよね? でも、千恵が小突かれたのには我慢がならなかった、そうですね?」
 武雄は小さく頷いた。
「千恵、お父様とお兄様のどこが違うのでしょう? 大事なものを守るために、相手が大きい子でも幾人もいても立ち向かった……同じではありませんか?」
 千恵は大きく頷いた。
「兵隊さんも同じことです、大事なものを理不尽な暴力から守るためには戦うほかないのです……世の中には色々な考え方の方が居ます、最初からこの戦争に反対していた方のお言葉ならば私も耳を傾けます、でも、戦う前には勇ましいことばかり言って、負けた途端に掌を返す方の言葉を私は信じることが出来ません、貴方たちはそれを信じることが出来ますか?」

 二人は大きくかぶりを振った。