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あるシニアのメール

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本章

    
『はじめまして』
 僕はこちらに登録して十日になりますが、お恥ずかしい話、未だ一度も返信をいただいたことがありません。僕みたいなアナログ人間には向かない世界なのかもしれません。このメールを最後に退会しようと思っています。入会した記念に一度だけでもメールをいただけないでしょうか?
 
 
『メールありがとうございました』
 実は私も、こちらを退会しようと思っていたところでした。このような歳でも男性からメールをよくいただきます。でも続くお相手には出会えませんでした。諦めかけた時にトンボさんのメールを読み、今までで一番心のこもったメールだと感じました。ニックネームもトンボとメガネ。何かのご縁を感じます。よろしかったら、退会を延期していただけませんか?
 
 
『うれしかったです』
 本当にうれしかったです。ありがとうございました。もちろん退会などいたしません。あらためてお願いいたします。メールを交換していただけませんか?
 
 
『喜んで』
 やっとご縁のある方に出会え、うれしく思います。こちらこそよろしくお願いします。
 
 
『自己紹介』
 この世界は現実と離れているところに意味があるのだから、あまり現実を持ち込むのはよくないでしょう。でもやはり、これだけは伝えさせてください。
 実は、妻が難病にかかり二年前から寝たきり生活になりました。福祉の手助けを受けながら、娘とふたりで介護しています。娘とはお互いストレスをため込まないよう気をつけようと話しています。こちらへの登録もその一環というわけです。
 このような私の相手をお願いすることはご迷惑に当たるでしょうか? もちろん明るいお話をするよう心がけるつもりでおります。ただ、私にはこのようなバックグランドがあることを知っておいていただきたかったものですから。
 
 
『承知いたしました』
 この歳まで生きてくれば、誰もがいろいろなものを背負っているものだと思います。そこまでお話していただいたことを逆に感謝いたします。
 私は三年前に夫を事故で亡くしました。突然のことでとても受け入れられませんでした。闘病生活を支えて苦労されている方は怒るかもしれませんが、私は看病がしたかった。朝、いつものように出かけて行ってそのまま二度と会えないなんて。心の準備などしていませんから最後に交わした言葉もろくに覚えていません。
 ようやく最近、振り返らずに前を向いていこうと思えるようになりました。その第一歩がこちらへの登録でした。
 こういう機会を与えてもらえたのですから、お互い励まし合ってがんばりましょうね。
 
 
『庭のサクラソウ』
 妻が好きなサクラソウがきれいに咲いているのを見つけて、娘が妻の枕元に活けました。妻はうれしそうにそれを目で追っています。今日は陽射しが柔らかく、妻の顔色もいいように見えます。
 午後からヘルパーさんが来てくれるので、ぶらっと散歩にでも出ようかと思っています。帰りに妻の好きな店のプリンでも買ってこようと思います。
 
 
『休日の過ごし方』
 昨日は散歩にお出かけでしたか。私は久しぶりに友人と映画を観に行って来ました。映画館なんて二十年ぶりでしょうか。今はテレビで観るのが主流になってしまいましたよね。わざわざ足を運んで映画を観る時代ではなくなりました。
 久しぶりの感想としては、大画面、大音響に戸惑いました。昔もこんな感じだったでしょうか? もっと静かに落ち着いて観賞したように思いますが。
 その後、お食事をして帰りました。これって昔の典型的なデートコースですよね。
 
 
『気になります』
 お友だちって女性ですか? それとも男性? どちらにしても楽しい時間を過ごされたようでよかったです。
 次の休日はちょっと複雑な気持ちで迎えるかもしれません。娘が彼氏を連れてくるというのです。娘は二十三歳で今年就職したばかりですが、得意先の人と付き合い始めたようで私に会わせたいらしいのです。うちの場合、母親である妻の状態を最初に見てもらった方がいいのかもしれません。娘もそう考えたのでしょう。
 
 
『女性です』
 先日のデートの相手は高校時代の女友だちです。気にしてくださったこと、妙にうれしかったです、変ですね。
 お嬢さんのお相手良い方な気がします。トンボさんと一緒にお母様を介護される優しいお嬢さんなのですから。一人娘を取られる覚悟をされておいた方がいいと思いますよ。結婚式で涙を流す準備も。
 
 
『いい男でした』
 昨日、娘の彼がやってきました。爽やかな好青年でした。私が言うのもなんですが、娘は妻に似てきれいな顔立ちをしています。若い二人はよく似合うと思いました。うまくいけばハンカチを濡らすが日が訪れそうです。
 
 
『新婦の父』
 男性にとっては特別の思いがあるのでしょうね。奥さまも喜ばれているでしょう。花嫁姿、早く見たいですね。ご自慢のお嬢さんのようですから。それから奥さまもお綺麗ということでごちそうさまです。
 でも本当は少しでも長く手元に置いておかれたいのでは?
 
 
『早い方がいいようです』
 妻の具合が悪くなってきました。今年いっぱいもつかどうか……娘たちは先に写真だけを撮りに行く手配をしたようです。その前に先方の両親とも会わなければなりませんし、にわかに慌ただしくなってきました。


作品名:あるシニアのメール 作家名:鏡湖