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ヴァシル エピソード集

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少年は黒衣の中に白く表れた顔を見上げていた。少年が見たのは青ざめた顔だった。もとより血の気のない肌が今は一層蒼白になっていた。その姿に、いつにも増して少年は嬉しそうに笑った。締めあげられる喉の奥にわずかに残る吐息を、笑みで吐き出そうとする。手を、差し伸べる。
「ヴァ、シル。とても、人間らしい、顔に、なりました、ね」
そうつぶやくと、彼は破顔した。ヴァシルの顔に差し伸べられた指が、その頬から透明な滴りを掬う。それは少年の指を伝うだけでなく、ヴァシルの顔を伝っても、少年の上に滴り落ちる。穏やかな灯火が、その滴りを照らし、それはきらきらと煌めいた。
少年の首を締め上げた腕から、力が抜ける。それと共に入りこんできた空気に少年はむせかえる。
ヴァシルは、ただその場に呆然と、放心し、座り込んでいた。その姿を、柔らかな灯火が薄明るく照らし出す。
疲れ果て、憔悴しきった姿だった。衣は汚れて、ボロボロになっていた。肌は青白く、煤けて、やせ細っていた。けれど、その頬に流れる一滴だけは、確かに煌めいていた。
「貴方が悔いたのは、あの方の存在ですか? とても執着されていましたものね。僕がこの感情を知る以前から」
明るみにさらけ出された己の姿を見降ろして、もはや諦めたのか、ただ、静かにヴァシルは頷く。
「気付いていたのでしょう? 薄々は」
頷きに、ぽたりぽたりと滴が落ちる。
「愛して、いらっしゃったのですよね」
「あれが、愛だなど……っ」
「そういうものですよ。愛なんて。わかりっこないものです」
「私は、手に入れたかった。それだけなのですよ……」
「そういう形もあるのでしょう」
「手に、いれようと……。ですが私は、何も、手に入れることなどできなかったっ」
灯火の中で男は再びうずくまり、嗚咽を上げる。誰も、この男のこのような姿を見たことはなかっただろう。誰も、この男のこれほどまでに弱い姿を、知りもしなかっただろう。それは、男自身だとて、同じことだっただろう。
ヴァシルにとって、弱さとは軽蔑の対象でしかなかった。だが、今ならヴァシルは知ったことだろう。弱さとは、他を想うことなのだと。他を想うが故に、自らを責め、そして脆く崩れ去る。そしてそんな己に恥じる。
だが、他の存在を認めようともしない、そんな生に、どれほどの意味があっただろうかと、男は気付くだろうか。
そっと、少年はうずくまるヴァシルの肩を抱いた。
「ヴァシル、許されていいのだと自分自身が信じなければ、救いなんてありません。僕は、貴方には、救われてほしいと、心から思います」
腕の中で、ヴァシルは啼いた。心の底から喚き叫ぶように、泣いた。声が枯れるまで、その涙が枯れ果てるまで、男はその許されざる罪を、嘆き、許されることを、恥じた。

闇として生まれた破滅の使途は、愛することを知らず、愛されることも知らず、その中でただ一人の存在に気まぐれのように執着した。
壊すことしか知らない男は、愛を与える代わりにその存在を破壊しようとした。けれど、その存在は屈しなかった。壊されることを拒み、従わされることも拒み続けたその存在に、男は知らぬ感情を抱いたのかもしれない。
だが、気付くには遅すぎる感情でもあった。男に残されたのは、激しい後悔と慟哭。あまりに大きすぎる喪失。
そして欠けていた感情を与えられて知った己の罪。
けれど、男は死ぬことも消えることも許されなかった。否、男自身がそれを許さなかった。
男は、その後何千という歳月を生きた。そのすべてを贖いに捧げた。
やがて、見出される幸福は、ごくささやかであるのかもしれない。けれどそれは、必ず見出されるものでもあるだろう。男は少年に与えられた言葉を、やがてかみしめることだろう。
他の誰に許されずとも、男はそれを選びとるだろう。そうでなければ、生を歩む意味など、ないのであるから。

創世の聖戦から数千年。闇に繁栄した一族は滅びた。初めて与えられた感情に、ある者は耐えきれず自ら滅び、ある者は絶望の中で苦悩した。
始祖である少年アルス・ガルグが、失っていたその感情を一族に分け与えたが故の、滅亡。
深く、他を愛しむ心。
世界は滅亡を逃れ、平穏に包まれた。代わりに残したのは、一族の者たちに重くのしかかった、罪だった。

作品名:ヴァシル エピソード集 作家名:日々夜