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村上春樹考察2

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村上春樹作品について

市場に0.5%の需要しかないのに、どうやって売れるのか?
書店に置いて100人が手を取り、99人もスルーしてたら採算が合う
はずがない。

ハルキストは
「文章が素晴らしい」という話をよくする。

文体に価値があるのかもしれない。文体に価値があるなら物語が進行してない立ち読みな段階で買える。

ストーリーが良いという話もチラホラある。「結局は良さについて説明しにくい」という意見も多々ある

とりま文体を真似るのが正解か?

村上味の例は
「台所でスパゲティーを茹ででるときに、電話がかかってきた。」
「僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた」

私なら「電話を取る」「るんるん気分で口笛を吹く」くらいの描写が短文でわかり易く正解だと思ってしまう。

村上文章は
ニヒルでキザなイケメンが朗読をしている様な感覚をイメージしたら、楽しめる。みたいなこと、NhK言っていたのを思い出す。

つまり村文章は読み手に風俗産業的なセクシャル感覚を与えるのに成功している。

「台所でスパゲティーを茹ででるときに、電話がかかってきた。」
ストーリー的にはスパゲティーでもラーメンでもソーメンでも何でもいい筈なんだ。あえてスパゲティーがチョイスされてるのは、『洋風イタリアンを好む主人公はリッチなイケメンに違いない』という先入観を抱かせている。
ラーメンやソーメンではイケメン感が伝わらない。

「台所でイケメンがパスタを茹でているときに、電話がかかってた。」と素直に書いてもいいと思うのだが、それではいけない。なぜなら、この文体だと《1どこで、2誰が、3何をしていて、4何がおきたか》4つを脳内にインプットしないといけない。

村上文体の「台所でスパゲティーを茹ででるときに、電話がかかってきた。」だと、《1どこで、2何をしていて、3何がおきた》3つを脳内にインプットするだけでいい。
4つの単語を同時に意識をするのと、3つの単語を意識するのとで、どちらも同じ意味なら少ない方がいい。


「台所でスパゲティーを茹ででるときに、電話がかかってきた。」
私ならスパゲティーを茹でる場所は台所だと決まってるものだと思うから、わざわざ『台所』を描写する意義が分からない。文字数を稼いでいる?

読者が《スパゲティーはお店で茹でるもの》という先入観があるのなら、台所表記は必要になるかもしれない。
その価値観は富裕層視点だ。
金持ちにしか良さが分からない文体だとすれば、本を気楽に買える金持ちをターゲットにするのは効率的だ。

そういえば
貧乏人が小説家になったという話は聞いたことない。ハリーポッターな作者だって、生活保護者だったし、カネの悩みはなかった。

貧乏人はオカネを使う者の気持ちが分からないから、カネを出せるターゲットに向けて受ける文章が書けない。
作品名:村上春樹考察2 作家名:西中