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ともだちのうた(前編)

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〇一 プロローグ


 三丁目のかどを曲がって、保育園から張り出すケヤキのアーチをくぐり抜けたところで、佐緒里たち三人の背中に追いついてしまった。足を引きずるみたいにダラダラ歩いてきたけど、やっぱり友だちとおしゃべりしながら歩く彼女たちよりは足早に進んでしまう。
 やだな、どうしよう。
 と躊躇したら、とたんに息苦しくなってきた。ああ、なんだか呼吸が苦しい……と思ったら今度は動悸がして、ついには冷や汗まで吹き出してきた。
 いつまでこんなことがつづくんだろう。
 ため息は、梅雨入りまえの気持ちの良い青空へ吸い込まれていった。自転車で登校してくる生徒が何人もわきを追い抜いてゆく。彼ら、彼女たちの向かう先、みどり色の歩道橋がある交差点をわたれば、もうわたしたちの通う中学校だ。
 いつまでも弱気でいるとか、わたしの流儀じゃない。こんなバカげたこと、いつか終わるに決まってる。いきなり始まったんだから、いきなり終わる。はず。ただ、その終りがいつ来るのか、今日なのか明日なのか、それともまだずっと先のことなのかは知らないけれど。
 とりあえず深呼吸してみた。
 吸って、吐いて――、また、吸って、吐いて――。
 五月なかばの、少し青くさいような生ぬるい大気が肺のなかへゆったりと流れ込んでくる。ちょっとだけ勇気がわいてくる。意を決して足を早めた。佐緒里たちの背中がぐんぐん近づいてくる。わたしは背筋をまっすぐに伸ばし、いよいよ彼女のデイバッグにぶら下がるキティちゃんが見えるあたりまできて、元気よく、不自然な感じにならないよう、声をかけてみた。
「おっはよう」
 ほんの一瞬だけ、美佳がこっちへ視線を向けた。でも、それだけ。三人のおしゃべりは途切れることなく、わたしはバスに乗りそこねた老人みたいに、ひとりぽつんと舗道のうえに取り残された。
 ……やっぱ今日もダメじゃん。無意識に止めていた息を徐々に吐き出してゆく。寒さに凍えるみたいに、ふるふると震えていた。

 端的に言って、わたしはイジメにあっている。
 それはある日突然はじまった。クラスのだれもが、わたしとは口をきかなくなったのだ。上履きを隠されたりとか、消しゴムのかすをぶつけられたりなんてことはない。ただ無視されるだけ。いわゆる「ハブられる」というやつ。暴力的なイジメと違って体にアザが残るとか服が破けたりするわけじゃないけど、今まで仲の良かったクラスメイトからまるで空気のように扱われるのも、はっきり言ってキツイ。なんかアイデンティティを喪失してしまうというか、自分、すなわち立花風香という中学生女子の存在する意義を真っ向から否定されてるみたいで、生きてく気力がどんどん奪われてゆく。
 イジメを受けるようになったきっかけには心当たりがあった。
 わたしは去年の暮れに体調をくずし、その後しばらく入退院をくり返している。イヴも、クリスマスも病室で過ごした。正月には一時的に退院を許されたけど、松の内が終わるころにはふたたびベッドへ戻された。髄膜というところにばい菌が入ったとかで、こじらせたらずっと入院だぞとお医者さんに脅かされギャーって思ったけど、先月のはじめにようやく退院できた。ひさしぶりに登校してみたら、わたしはいつの間にか三年生になっていた。
 入院してるあいだ、佐緒里たちは何度もお見舞いに来てくれた。佐緒里、詩穂、美佳、そしてわたし。中学校へ進学したときからの仲良し四人組。詩穂や美佳とは二年生のクラス替えで離ればなれになったけど、佐緒里とは三年間ずっと一緒。
 彼女たちは、過酷な闘病生活を余儀なくされたわたしのことを本気で気づかってくれ、病院へも頻繁に足をはこんでくれた。他のクラスメイトも、ときどきは見舞ってくれた。素直に嬉しかった。でも嬉しいと思う反面、心のどこかで「鬱陶しいな」と感じていた。これはたぶん病気になったひとじゃなきゃ分からない心理だ。見舞客からは、いつだって健康なにおいがする。理不尽にも奪い去られた健全な生活。そのにおいをわざわざ病室まで運んできて、また持ち去ってゆく。欲しくても手に入らなかったおもちゃを見せびらかされた気分だ。ずるい。このひとたちは、べつだん努力もしないで健康な体を維持できている。わたしだけ、なぜこんな苦しい目に……。もちろん身勝手な言い分であることは分かってる。だから口に出しては言わない。冗談でも言えない。でも、ほんの些細な態度のどこかに、言葉の片はしに、そんなひねくれた感情が現れてしまっていたのかもしれない。
 ようやく学校へ復帰してみると、みんなすごくよそよそしくなっていた。「退院おめでとう」と言ってくれる友だちはひとりもいない。最初なんでだろうなって思った。でもそのうちに気づいたんだ。自分がイジメの標的になってしまったことに。

 桜の季節が過ぎると、入れ替わるように校舎の前庭に植わったハナミズキが、その可憐な花びらを開かせてゆく。枝に沿って、バニラとストロベリーのアイスクリームを無限に重ね合わせたような、甘やかなグラデーションが駐輪場のあたりまでずっとつづいてゆく。この景色を観るのが好き。入学してもう三シーズン目になるけど、何度観ても飽きない。佐緒里たちに無視された精神的ダメージは残っていたけど、けっきょくこの花の香りに誘われるようにして、わたしは校門をくぐった。
 中学校の校舎は、わたしたちが入学する前年に建てかえられたばかり。パステルグリーンで統一された壁や床のそこかしこから、いまだ新築の、どこかよそよそしいにおいがしている。昇降口のシューズボックスは木目調の扉付き、床のタイルは上履きのゴム底がこすれるたびキュッキュッと良い音を鳴らす。でも自分の教室のまえに立ったとたん、わたしの足はピタリと動きを止めた。どうしても、それ以上まえへ進むことができない。昨日もそう。その前の日までは、なんとか我慢して入ることができた。でも昨日とうとう限界がきてしまったみたい。足に根っこが生えたみたいに動かないのだ。
 ――がんばれ、風香。
 教室からは、楽しそうなおしゃべりや笑い声が漏れてくる。あの笑顔がわたしへ向けられることはないんだろうなって思ったら、どうしても飛び込んでゆく勇気が沸いてこなかった。
 ぐずぐずしてると、わたしの横をすり抜けてクラスメイトのひとりが教室へ駆け込んだ。
「あっ、おはよう」
「おはようさん」
 仲間たちと交わす楽しげなあいさつ。もちろん、わたしは見向きもされなかった。
 ちくしょ、やっぱムリ。
 けっきょく回れ右をして、逃げるようにその場からはなれた。次々と教室を目ざす生徒の流れに逆らい、一気に階段を駆けおりる。さっき脱いだばかりのスニーカーをまた履いて玄関を飛び出したら、ちょうどホームルーム開始の予鈴が鳴るところだった。
 さて……困った。
 学校の敷地は、部外者が侵入しないようフェンスや塀で厳重に囲まれている。校門は授業開始とともに閉じてしまう。遅刻してきた生徒は、わざわざ通用門にあるインターホンを鳴らさなければならない。もちろん、みっちり叱られる。別な裏口もあるにはあるけど、そこは職員室の窓から丸見え。エスケープは困難のきわみだった。ああ、せめてあと五分早く引き返していれば……。