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いつか命を抱き締めるまで

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俺は運命を信じている。
 誰にも言ったことはないし、これから先も、一人を除いて、誰にも言うつもりはない。俺自身、こんな気持ちになるとは思っていなかった。ずぶ濡れの命を抱いた、彼女の姿を見つけるまでは。
 あれは、よく晴れた空に合わない、冷ややかな風が吹く日だった。遠くに入道雲が見えると、すぐにこの町の頭上を覆い、打ち付けるように強い雨を降らせた。
 実父の十三回忌のため一泊だけ帰省。一泊、も余計だったかもしれない。アイツはもういないとはいえ、血のつながらない父親がいる家というのは、どうにも落ち着かない。それに今回の父親と母との間には子供もいるのだ。幼い妹は可愛いが、どうしても他人の家に上がり込んでいる心持ちになってしまう。結局、窮屈になってずっと散歩をしていた。
 折りたたみ傘は持ち歩いていたが、雨の勢いは激しくほとんど役に立ちそうにない。錆びたシャッターの下りた、元々は眼鏡店だった軒先で雨宿りをすることとなった。
 雨に煙るコンクリートの地面から、ふわりと夏の香りが漂い、鼻先を掠める。この夕立独特の匂いを嗅ぐと、夏だ、という気分になる。ここに住んでいた頃はよく一日中外を遊び歩いていて、雨に降られることもしょっちゅうだった。
 数年ぶりに戻ってきて、街並みがほとんど変わらないことに驚いた。
 変わらないまま、そのままの姿で、どこもかしこも店を閉めている。
 まるで、お盆に迷い込んだようだ。あの時期は、見渡す限りのお店にシャッターが下りていて、ああ、今、世界中がお休みなんだ、なんて、微睡みに見る夢のような空想を広げていた。今またその景色を目の当たりにすると、胸の内が寒くなる。こうやって、昔の面影を抱いたまま、寂れて、息を引き取っていくのだろう。
 思い出の中で日差しにきらきら輝く街並みと、目の前で水しぶきに叩かれるシャッター街が、夏の空気の中で重なって揺らめく。家族で歩いた商店街。誕生日プレゼントを買ってもらった玩具屋。父親の葬式。暑苦しい黒服を着て入った鰻屋。新しい父親。痛む胸。吐き気。夜闇の中でも暖かい灯りの居酒屋。家の中の泣き声。学校で目に付く笑顔。心が捩れる感覚。自分のじゃないような声。その向かう先には……。
 眩暈のようなその交錯の中に、不意に飛び込んでくる人影があった。一瞬、感傷が見せた幻かと思った。
 ごう、と横殴りの突風が店々の隙間からなだれ込み、あおりを受けたその人はよろめいて転倒した。おかしな転び方をしたのが気になってよく見ると、腕になにかを抱えている。黒と白のまだらの、使い古したぬいぐるみのような、なにか。
 それには耳としっぽが付いていて、か弱く動いていると気づいたとき、その人が身体を起こした。その、女性が、脳裏に飛び込んで焼き付いた。彼女は、この瞬間にも零れてなくなりそうで、そんな自分を必死で繋ぎとめるように唇を噛み、体を強張らせ、その両手で子猫を守っている。
 今度こそ俺は本当の眩暈に襲われた。ゆらゆらと地面が波打ち、自分の姿が黒く暗転する。体にまとわりついていた線香の煙が再び舞い上る。黒い影と白い芳香が入り乱れる中で、再び彼女の表情が炙り絵のように浮かび上がって、現実と重なる。
 揺れが収まると、俺の中に、ある予感が芽生えていた。願いのような。確信にも似た。予感。
 そのときの俺は、自分が抱いているものをどう名付けてよいのか、まだわからなかった。
 揺れる感情のまま、それを押さえつけて、彼女に近づく。
 折りたたみ傘を開いて差しだすと、前だけを見ていた彼女がこちらを向いた。
「大丈夫ですか?」
 その子猫をめぐるやり取りの中で莉歩と交流を持つことになった俺は、その一年後、その子猫の死によってより深く繋がることとなる。

 あの夏の通り雨の日、俺と莉歩は動物病院を探して走り回った。子猫が命を繋ぎとめると、次に飼い主探し。俺は仕事のために帰ってからも連絡を取り合って、お互いの知人や伝手を辿って里親を探した。猫エイズキャリアだったため引き取り手が見つからず、結局、彼女が両親を説き伏せて飼い始めた。ほとんどがメールでのやりとりだったが、文面上の交流はその後も続いた。
 そして、また帰省の時期が近付いてきた頃、莉歩からメールが届いたのだ。
『リノが死にました。もしよかったら、お墓参りに来てあげてください』
 強い衝撃が胸に走り、鈍く重たい痛みとなって体に残った。
 リノ。
 きっと、これは飼い猫の名前だろう。
 これまでのやりとりでは、あの子猫、とか、あの子は、という呼称を使っていた。
 たった今まで知らなかった。リノ、と呼んでいたのか。
 彼女には何度か様子を見に来てほしいと言われていたが、俺はそれを避けていた。その後悔が、土砂降りの雷雨のように打ち付けてきた。もっと早く会っているべきだったのだ。
 すぐにメールを返信し、週末、朝一に出る新幹線の切符を手配した。

「お久しぶりです。ありがとうございます、わざわざ来ていただいて」
 一年ぶりに会った莉歩は、憔悴しているように見えた。きっと、あの子猫の死が彼女を打ちのめしたのだろう。そんな俺の様子に気づいてか、莉歩は唇の端だけをなんとか緩め、微笑みを作って続けた。
「ごめんなさい、こんな姿で。あの子、リノが死んでから、もうずっと家を出てなくて」
 彼女の口から、彼女の声で、その言葉を聞くのが辛くて、俺は「行こう」と挨拶もそこそこに歩き始めた。
 子猫は家の庭に埋めたらしい。
「さっきはああ言いましたけど、私、実はそんなに悲しくはないんですよ。慣れてるんです」
 莉歩の案内で彼女の家に向かう途中、そんなことを話し始めた。
「お兄ちゃんがいたんです。私が小学校低学年くらいのころまで。妹の私が言うのも、身内びいきみたいですけど、とても良い人でした。優しくて、周りに気を配れて、辛いことがあっても笑顔で……」
 莉歩は淡々と話した。前を行く彼女がどんな表情をしているのか、俺からは見ることができなかった。
「私の記憶の中では、お兄ちゃんはずっと笑顔なんです。笑顔のまま、死んでしまいました。自殺したんです。通っていた学校でトラブルがあったとか、いじめだとか聞きましたが、本当のことは誰にもわかりません。唯一知っている本人には、もう会えませんから」
 話し終えると立ち止まり、「着きました」と消え入りそうな声で告げた。
 家には上がらず、そのまま庭へ向かう。柿の木だろうか、緑を茂らせる、筋張って歪んだ幹の根本に、そのお墓はあった。莉歩はそこに跪き、両手を合わせた。徐々に体を小さく丸めていき、肩を震わせ始めた。嗚咽が俺の耳まで届くと、自然と手を小さな背中に添えていた。自分の中に湧きあがる感情を押し殺しながら、幼子のように声を上げる莉歩に寄り添っていた。
 俺が抱いているものがなにか、俺はもう知っている。
 これは、罪悪感だ。
 莉之が俺を見たら、どんな顔をするだろう。
 一瞬、そんな考えがよぎるが、それこそもう、誰にもわからない。
 今の俺には、莉歩の、その横顔がすべてだった。
 出会ったときと同じ表情をしている。
 そこに表れているのは、憎しみだ。
 どうしようもない理不尽に対して、激しい憎悪を燃やしている。