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紅装のドリームスイーパー

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Memories Level.5 ──いまから三年前、中学一年生


 予想なんてしていなかった。
 期待もしていなかった。
 だから、すごく驚いた。
「これ、新城君の分だから」
 はにかみながら、花鈴が赤い銀紙でラッピングした、ハート型の小さな包みをおれに手渡す。掌(てのひら)に載るぐらい、小さな包みだった。
「え?」
 おれはとまどいながらもそれを受け取る。
 身体の芯まで凍えそうな、寒さの厳しい真冬の日。
 空はどんよりと曇り、黒々とした雲が低く垂れこめている。
 学校の帰り道だった。ブランコと砂場しかない、住宅地のなかの小さな公園。
 別にここで花鈴と待ちあわせしていたわけじゃない。公園のベンチに座っている学校の制服姿の花鈴を偶然見かけて、声をかけただけだ。
 花鈴の隣に座り、制服の隙間から忍び寄ってくる寒さに震えながら、「なにしてんの、こんなところで?」と尋ねたおれに、花鈴は冒頭のセリフといっしょに包みを差しだしたのだ。
 もらってから、気づいた。今日がなんの日か。
 バレンタインデー。
 あまり縁がないと思っていた、全国的なイベントの日。
 おれは手のなかの包みをしげしげと観察する。ひと口で食べられそうなサイズだ。それでもチョコには違いない。考えてみると、花鈴からバレンタインデーにチョコをもらうのは初めてだった。
「……ありがとう」
 とりあえず、お礼を口にする。どう反応したらいいのか、わからない。
 花鈴はおかしそうにクスリと笑う。首に巻いた茶色のマフラーをかき寄せて、
「ごめんね、あまりもので」
「へ?」
「クラスの女の子に配ったんだけど、一個、あまっちゃって……」
「ああ……」
 そういうことか、と納得する。まあ、おれにくれるはずがないよな。そんな深い仲じゃないし……。
 そんなこと、わかっていたはずなのに、残念に思う気持ちが心の底流に忍びこんでいた。
「……ありがたくいただくよ」
「うん。もらって」
「で、こんなところでなにしてんの?」
「そんなに気になる?」
「まあ……一応、気になるかな」
「なにそれ?」
「ごめん。ものすごく気になります」
 花鈴は苦笑を洩らす。ベンチの背もたれに背中を預け、いまにも泣きそうな空を見上げた。
「ひさしぶりにこの道をとおったら……なんだか懐かしくなってね」
「懐かしい?」
 おれは周囲を見回す。幼稚園から小学校低学年のころ、花鈴や菜月、大樹といっしょにこの公園で何度か遊んだことがあった。ブランコは塗りなおされて、いまは海のように真っ青な色をしているけど、当時はくすんだ赤茶色だった。ブランコの板に座った花鈴の背中を力一杯押したときの手触りを思い起こす。
「ここで遊んだな、花鈴や……ほかのみんなと」
「ずいぶん昔のことのような気がするね」
「そんなにしみじみと言うなよ。おれたち、まだ中学生のガキだぜ?」
 花鈴は軽い笑い声をたてる。ベンチから腰をあげ、制服のスカートについたほこりを手で払った。
「明日、数学の小テストがあるでしょ? これから友達の家で勉強すんの」
「……イヤなことを思いださせないでくれ」
「よかったら新城君もいっしょに勉強する?」
「おれはひとりで勉強するほうがはかどるの!」
「そう。がんばってね」
 花鈴は「バイ」と手を振って、小さな公園をあとにする。おれは手を振り返して、花鈴の背中を見送った。気がつくと、チョコの包みをギュッとにぎっていた。ゆっくりと手を開く。開いた手に、白いものがフワフワと落ちてきた。皮膚に触れると体温で溶けて水滴になり、掌(てのひら)をしっとりと濡らした。冷たい感覚。
 空を仰いだ。鉛色の空から白い雪片が転がり落ちてくる。乾いた風が吹きつけてきて、捕食者から逃れようとする小魚の群れのように雪がいっせいにひるがえる。頬に落ちてきた雪は、熱く火照ったおれの身体をいくらかクールダウンしてくれた。
 バレンタインデーのチョコ。深い意味はない。わかっている。それでも、うれしかった。誰よりも、花鈴からもらえたことが。彼女がおれのことを気にかけたくれた──それが、なによりも大切なことに思えた。
 赤い銀紙の包みを掌(てのひら)の上で転がす。食べてしまうのが惜しいが、かといってずっと保存できるものでもない。だったら、いまここで……。
 銀紙をむいて、チョコを口のなかに放りこむ。チョコは、舌を溶かすぐらい甘かった。
 ベンチから立ちあがり、ズボンのポケットに両手を突っこんで歩きだす。
 降りしきる雪で視界が白くけぶった。不思議と寒さは感じなかった。