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紅装のドリームスイーパー

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Real Level.12 ──入眠


 おれは打ちのめされていた。それ以上に、ひどく惨めだった。
 帰りの電車に乗る。背中を丸めて座席に座る。脇腹が激しく痛む。その痛みが自分の無力を責めたてているようで、たまらなく不快だった。
 自転車にまたがって、無心にペダルをこぐ。まっすぐに帰るつもりはなかった。家に帰るまえに寄るところがある。
 目的地のマンションについた。梁川が住んでいるマンション。ここに来るのは今日だけで二回目だ。五階の角部屋へ。チャイムを鳴らす。応答がない。留守なのかと思ったが、ノブを回すとドアはあっけなく開いた。不用心なこと、このうえない。
 遠慮なく室内に踏みこむ。梁川の姿はなかった。耳を澄ませると、かすかな水音が届いてきた。
 水音をたどって室内を横切る。風呂場を見つけた。水音はそこから聞こえてくる。
 マズい、と思って引き返そうとしたとき、風呂場のドアがガチャリと開いた。
 水色のバスタオルを身体に巻きつけた梁川とはちあわせた。
 梁川が目をしばたたく。しっとりと湿った髪は肩に垂れていた。なんとも残念な体型がバスタオルの生地越しにはっきりとわかった。バスタオルの下からはみだした白い素足が、健常な男子高校生であるおれの健常な反応をそそった。
 ヤバい。たちまち頭に血が昇っていく。煮えたぎった血潮の不整脈が梁川にも聞こえているんじゃないかという気がした。
「あう……その……ごめん。そういうつもりじゃなくてだな……」
 もはや自分でもなにを口走っているのか、よくわからない。梁川はさして気にするでもなく、スタスタとおれの横をすりぬけると、冷蔵庫を開けて麦茶の容器を取りだした。コップに麦茶を注ぎ、腰に手をあててゴクゴクと一気に飲みくだす。やけにオヤジくさいそのスタイルに見とれていると、梁川は大きく息をつき、おれをジロリと見る。
「着替えるから、少し待っていてくれないか?」
「……廊下に出ています」
「このまま部屋にいてくれてもいっこうにかまわないが?」
「ごめんなさい。おれが全面的に悪かったです」
 外の廊下に出て、待つこと数分。メガネを装着した梁川がドアを少し開けて、おれを呼び入れる。おれはあらためて部屋のなかに入った。
 梁川はオレンジ色のタンクトップにデニムのショートパンツという、クラス委員長にあるまじき、やたらと開放的な出で立ちをしていた。タンクトップの大きく開いたネックラインからはつつましやかな胸の谷間がのぞいている。ショートパンツから伸びた太腿がなんともなまめかしい。
 おれを挑発しているのか、それとも服装に無頓着なだけなのか……たぶん、後者だとは思うが、それにしてももう少し配慮というものが必要なのではあるまいか。
 おれは部屋にひとつしかない背の低いテーブルに正座し、背筋を伸ばして居住まいを正した。麦茶は昼間もさんざっぱら飲んだけれど、目の前にコップが置かれたので感謝とともにいただいた。
 おれの視点が魅惑の胸元からいっこうにズレないことに業を煮やしたのか、片方の眉を持ちあげて梁川が口を切る。
「ひどい格好だな。なにがあった?」
 おれはハッとして自分を見下ろす。泥の汚れがついた服。鏡は見ていないけれど、たぶん唇は青く腫れている。おれはため息をつく。霊園でなにがあったかを訥々(とつとつ)と語った。梁川は口を差しはさむことなく、黙って聞いていた。おれが語り終えると、梁川は首を縦に振り、あいかわらず平板な調子で言った。
「きみの様子がおかしいんで、きみがドリームスイーパーだとヤツは推理したんだろうな。ヤツの推理は見事に当たってた、というわけだ。現実世界のきみに手出しをしてくるとは私も想定してなかったよ。殺されなくてなによりだった。運がよかったな」
 カッとなった。怒鳴りつけてやろうかと思ったが、冷静沈着な梁川の視線とぶつかって、憤懣(ふんまん)がたちどころになえてしまう。梁川がテーブル越しに手を伸ばして、おれの顔をまさぐる。眼差しがふとやわらいだ。
「本来なら現実に干渉するのは好ましくないのだが……このままだときみの家族が不審に思うだろう。動かないでじっとしてるんだ」
 なにか動きを感じたわけじゃない。エネルギーの奔流みたいなものも感じなかった。梁川の繊細な指先がおれのうなじに触れた。すると、全身に渦巻いていた痛みが、まるで潮の引くように溶けて消えていった。
 おれは目をパチクリさせる。梁川がふっくらと微笑む。
「きみのケガを治しておいた。すっかり治ったわけじゃないが、もう痛まないはずだ」
 シャツの裾をめくって、浩平に蹴られた左の脇腹をあらためる。黄色のうっすらとしたアザが残っていた。唇に触っても痛みはない。シャツについた泥もきれいに落ちていた。
「ありがとう」
「礼はいい。きみが殺されなくて本当によかった」
 そうは思っていないような口振りだったが、目つきは穏やかな光をたたえていた。梁川なりに案じてくれたのだろう。
「……あんたが現実世界にいられるんだったら、夢魔にも同じことができるって、もっと早くに気づくべきだったよ」
「そうだな。だが、この世界に夢魔がいるとわかっても、彼らに手出しはできないぞ。公衆の面前で戦うわけにはいかないし、戦ったとしてもきみみたいに逆襲されるのがオチだからな。きみはドリームスイーパーだ。夢のなかで夢魔と戦うのがきみの本分だよ」
「勝てるのか、ヤツに? おれはこんなにこっぴどくやられて……」
「きみが信じなくてどうする? きみは夢魔に勝てる。負けるはずがない」
 嘆息する。梁川の言うとおりだ。
 一度負けたのなら二度目に勝てばいい。二度目に負けたのなら三度目に勝てばいい。
 負けない、おれは。それを信じる。
「浩平はどうすればいい?」
「ほうっておけばいい。どのみち、もうこの世界には戻ってこないだろう」
「え?」
「この現実世界だけは夢魔でもどうにもならない。人間の認識に干渉して現実を改変することはできるが、そこまでだ。破壊することはできないんだよ。普通の夢とは違うからな。そんな世界に彼らが興味を示すはずがない」
「いなくなるっていうのか、ヤツが?」
「もともと早見浩平という人間は存在していなかった。私──梁川澪と同じだよ。早見浩平は現実世界に挿入された夾雑物(きょうざつぶつ)のようなものだ。いつまでも維持しなければならない理由も必要性もない。おそらく、いまごろはどの人間からも早見浩平に関する記憶が抜け落ちてるだろう」
 おれの記憶だけは例外というわけか。花鈴とパターンは似ている。おれだけがヤツを憶えている。屈辱的な対決の結果も。
 浩平のことを思いだすとき、細かいことまで憶えていなかったのは、それがあとからつくられたニセモノの記憶だからかもしれない。記憶のなかにある発言や挙措(きょそ)といったディティールまでは完全に再現できないのだろう。
 おれが浩平を毛嫌いしていたのも、ヤツの正体が夢魔だと無意識のうちに感じとっていたからではないか──そんなふうにも思えた。
 あとから考えると、駅のトイレでの不可解な行動のように、浩平の正体を暗示するヒントが随所に隠されていたが、おれはそれに全然気づかなかった。