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紅装のドリームスイーパー

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Real Level.8 ──試合


 おれは目を開けた。
 おれの部屋。おれのベッド。還ってきた──現実世界に。
 いや、違う……夢の世界から追いだされたんだ、おれは。
 気持ちの悪い汗を全身にかいていた。汗にまみれた額を手の甲でぬぐう。
 ためていた息を吐きだす。思わず、うなり声が洩れる。枕のなかで首を振り、こびりついた異形の夢のかけらを頭のなかから払い落とす。
 室内はうっすらと明るい。窓に視線を転じると、青みがかった金色の光に照らされてカーテンが四角く浮きあがっている。ためらいがちな小鳥のさえずりが屋根の上から聞こえてくる。
 身体のあちこちを探ってみたが、どこにも出血はない。夢のなかで殺されても──そう、おれは花鈴に殺されたんだ──現実の肉体には影響がないらしい。ひとまずホッとする。
 まんじりともせず、除々に色彩を帯びていく天井を悄然と見上げる。
 痛みにも似た記憶が、さっきから心のなかでくるくると空回りしている。夢のなかで見た光景を思い起こすたびに奥歯をギュッと喰いしばった。
 夢魔は花鈴だった。それとも、花鈴が夢魔だったのか。わからない。どちらがどちら、ということではなく、花鈴と夢魔は一体のものなのかもしれない。
 ひとつだけ確実なのは──花鈴と夢魔とのあいだにはなにかしらのつながりがある、ということだ。おそらく、花鈴が悪夢に悩まされていたことと無関係ではないのだろう。
 脱力感と焦燥感がないまぜになって、おれの胸のうちで急激に膨張していく。
 結局、おれはなにもできなかった。むざむざと夢魔に殺されたのだ。夢魔を斃(たお)すと息巻いていたわりに、実にあっけない幕切れだった。ルウの期待に応えられず、葵の手助けにもならなかった無力な自分を、知っているかぎりの罵詈雑言(ばりぞうごん)でそしる。もともととぼしかった罵倒語の語彙がつきると、今度は自己嫌悪の荒波がのしかかってきた。
「クソ!」
 悪態をつく。いてもたってもいられなかった。
 ベッドから抜けだし、机の上に置いたケータイを手に取る。期待はしていなかったけれど、案の定、花鈴からのメールの着信はなかった。こんな朝の早い時間に電話をするのは非常識と思われてもしかたがないが、瑣末なことにかまっていられない。
 ケータイに登録した電話帳の「ま」行をスクロールしていって……薬袋花鈴の電話番号が消えていることに気づく。まちがえて消してしまったのだろうか。操作した憶えはないのだが……。
 念のため、もう一度探してみたが、やはり花鈴の名前は見当たらない。
 もしかすると、と思って確認したら、やっぱりメールアドレスも消えてなくなっている。それどころか、過去に着信したメールまできれいさっぱり消去されていた。ケータイを壁に投げつけたくなったが、すんでのところで思いとどまる。
 花鈴との連絡手段を完全に絶たれてしまった。おれからは連絡できない。
 浩平の得意満面な顔がおれの脳裏にちらつく。浩平とは極力、話したくなかった。それでも、これしか手段は残されていない。
 浩平のケータイの電話番号を探す。電話帳の「は」行に登録された「早見浩平」の名前の下に意外な名前が見つかった。おれは目をむく。
 その名前は──「早見菜月」。二年前に死んだはずの幼なじみの名前。
 ケータイを持つ腕が震えた。幽霊を目撃した気分だった。もちろん、菜月の電話番号を登録した記憶はない。二年前はそもそもケータイを持っていなかった。
 ケータイを机の上に置く。口のなかに苦い唾がわいてくる。頭が混乱した。
 消えた花鈴の電話番号、いつの間にか登録されていた菜月の電話番号──
 まさか、これって……。
 その意味を考えるのがたまらなくおそろしかった。
 悪夢はまだ続いている。この現実世界でも……。
 ベッドに倒れこむ。眠気なんてどこかに吹き飛んでいたはずなのに、目をつぶるとほんの数分で不快な眠りの底へと引きずりこまれていった。
 夢は見なかった。どんなに小さな夢の断片でも、パニックを起こして逃げまどう群衆のようにおれを避けていく。いまは、それがとてもありがたかった。

 目覚める。スイッチが入った機械みたいに。
 机の上の時計に目をやると、朝の八時を過ぎていた。
 しばらくは起きあがれなかった。恐怖、不安、焦燥、悔悟、失望──腐臭を放つ真っ黒な感情が心のなかでドロドロと渦を巻いている。寝ているあいだにかきむしったのか、右腕には爪でひっかいた痕が残っていた。
 一階から洩れてくるテレビの音を聞き流しながら、十分以上もベッドのなかで身を縮めていた。できればもう一度眠りたかったが、身体はもはや不穏なだけの睡眠を受けつけなかった。あきらめて、のそのそと起きあがる。
 床に放りだしたままだった昨日の服に着替える。トイレで用を済ませ、自分の部屋に戻った。視線が自然と机の上に置かれたケータイへと流れていく。
 長嘆息。気が進まなかったが、確かめないわけにはいかない。ケータイを取り、電話帳を画面に表示させる。やはり、その名前があった。「早見菜月」と。「薬袋花鈴」の名前がないのも確かめた。背筋が寒くなる。まだ悪夢を見ているのかもしれない、と思った。
 食欲はなかったが、いつまでも二階に閉じこもってはいられない。一階のリビングへ降りていく。家族が全員、集まっていた。テレビは昨晩のプロ野球のダイジェストを流していた。野球一筋の駿平がトーストをかじりながら、喰い入るようにテレビを注視している。
 母親がおれをチラリと一瞥して、物問いたげに眉を動かす。顔色が悪いのはまた夜更かしをしたせいだ、と思われたのかもしれない。うっとうしい小言が降りかかってくるまえに、サッと手を振って、「なんでもないから」と語気を強めて伝える。父親は新聞とテレビの両方に視線を配っている。「おはよう」と声をかけると、気のない返事が返ってきた。
 日曜の朝の平常な風景。世界は、なにも変わっていない。昨日と同じだ。
 椅子を引き、自分の席につく。皿の上の冷めかけたトーストを一枚取って、ムシャムシャと頬張っていると、駿平がテレビに目を据えたまま話しかけてきた。
「兄さんも今日の試合、見に行くんだろ?」
 おれは駿平を見やる。おれの返事がないので、駿平が憮然とした顔をこちらに向けた。
「兄さんは行かねえの、試合?」
「試合って、なんの試合だっけ?」
「兄さんの城南(がっこう)と育学館の練習試合。今日だよ。忘れたの?」
 育学館といえば県内でも高校野球の名門で有名な学校だ。甲子園の出場経験もある古豪である。野球に興味はないから、うちの学校と試合をするなんてついぞ知らなかった。それにしても、練習試合の情報をこいつはどこから仕入れてきたんだろう? それを問いただすと、駿平は怪訝(けげん)な面持ちになった。
「早見さんが教えてくれたんじゃんか。兄さんとぼくにさ。ホントに忘れていたんだね」
 トーストを口に運ぶ手の動きが止まった。駿平の顔をマジマジと見つめる。駿平はますますいぶかしげな顔つきになる。
「……早見さんって誰のことだ?」
「はあ?」
「だから、早見さんって誰のことだ!」
「誰って……」
 駿平は当惑の表情を浮かべて、