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名無しの明日

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厳冬だと言われた今年も寒さが綻びつつある。開け放していたベランダのカーテンが揺れる。三月の夜風はぬるかった。荷物を整理する手を止めて、冷めたアメリカンコーヒーをすすった。明日、俺はこの土地に別れを告げる。
 片付いた部屋は寒々しく、妙に暖かかった。生まれ育った場所を離れるのだから、どんなに大荷物になるかと思えば、キャリーケースとボストンバッグ一つでなんだか拍子抜けした。とりあえず当座の生活用品以外は後で宅配便で送ってもらう予定だ。
もう一口コーヒーをすする。受験戦争を共にした戦友の味はいつもより苦かった。本当に、俺はこの先どうなるのだろう。取り立てて何かできるわけでもないので、必死になって勉強し、東京の大学に受かった。ランクはほどほど。就職に有利な学部でもない。それでも、大学でやりたいことは山ほどある。それなりに希望も抱いてはいるが、実感はわかない。つまるところ、今まで普通にやってきた俺が、人生の節目を迎えてやっぱり普通に緊張しているだけなのだ。でも俺は普通なので、そこまで深刻ではない。ただ、その先は? 大学を出た後は何になる? そのあとは? ……考えてはいない。  
突然携帯からぺらっぺらの電子音が流れ出す。番号は確認しないで電話に出た。
「もしもし?」
かけてきたのは中学時代からの友人だった。といっても中高同じ学校ではなくて、部活動で知り合ったのだが。
「なんだ宿原か……。しばらく連絡なかったけど、どうした」
「フツーに受験勉強。お前もだろ?」
そうだ。世の受験生はみな必死なのである。進学校の宿原はなおさらだろう。
「で、なんかあった?」
「いや、今からお前んち行くから。ていうかもうあと百メーター位」
おいおいおい。ご存じのとおり今は夜、午後九時半である。俺の友人には常識は備わっていると思ったのだが。
「え、ていうか……え、何で」
「ついたらまた話すから。じゃ」
黙殺。こいつ、ここまで傍若無人な奴だっけ……。
そんな俺の思いも無視して、玄関のチャイムが鳴った。
 階段を駆け降りると母にうるさいと言われた。ごめんとおざなりに謝って玄関を開けると、大荷物を抱えた宿原が立っていた。
「よ。久しぶり」
「うん……。何、その荷物……。まいいや、入ってよ」
宿原の自然な態度に半ばあきらめを感じながら、家に上げる。荷物は玄関に置いて行かせた。
「おれもう明日家出るから、片付いてるけど」
ああ、お前もなのと宿原が声を上げた。お前もってどういうこと?
「東京の大学受かったからさ、明日からお引っ越しー」
宿原は部屋の隅の段ボールを勝手に物色しながら軽快に言った。俺は押入れの中のさっきしまったばかりのクッションを引っ張り出す。
「なんだ、泊まりに来たのかと思った。何しに来たんだよ」
あんな大荷物でさ、と言ってクッションを一つ宿原に投げた。それに胡坐をかいて、奴はのたまった。
「俺さ、バンドやるんだ」
はあ。バンド。俺がいいんじゃない? とあからさまにやる気のなさそうな相槌を打ったら、お前もやるんだよ、と怒られた。
なに? 俺も?
「俺も、って……。何急に言いだしてんだよ、っていうか無理だろ」
そりゃ確かに俺らはギターやドラムの一つ二つやってたよ、好きなバンドのCDに大枚はたいてさ。心の中ではいつかこんな風になるんだって思って。でもまだ中学生だったんだよ。ただかっこつけたかっただけで、俺は大してうまくないし。
 あれからだいぶ経つうちに、世の中は甘くないってことを知った。
「おれはマジだよ。お遊びのじゃなくて、ちゃんとしたのをやる」
いや、お前がマジなのは顔でわかるよ。でも無理だろ。ガキじゃねーんだからそんくらいわかれよ。バンドって世の中に掃いて捨てるほどあるんだぜ。俺は完全に呆れていた。そんな様子を察したのか、宿原はいらだたしげに言った。
「お前がやれって言ったんじゃねえか。今更何言ってんだよ」
「はあ? そんなこといった覚えねえ……」
……いや、ある。そうだ、あれはまだ中学の時だ。俺は宿原の家で夏休みの宿題をやっていた。確か将来の夢の作文。宿原の家はこの街の中でも大きな病院で、奴はそこを継ぐことになっていた。でも、俺は宿原が本当は何がしたいか分かっていた。だから言ったんだ。
『なあ、やっぱりお前は白衣よりも、路地裏のミュージシャンのほうが似合うよ』
ああ、なんて青臭いセリフだろうか。あの頃の俺は若かったんだ。なんにも知らねえ、世の中のことをまるでわかってないチビッ子だったんだよ。だからそんな真剣な顔すんなよ。
「俺はあの言葉に気付かされたんだ。大事なのは、自分が何をやりたいかってことだって」
いや、お前もあんなアホみたいな頭の湧いたセリフに影響されんなよ。そりゃ、俺だってやりたくないわけはないさ。今だって、実際バンド組んだら、メンバーは、曲風は、とかそんな考えが頭のなかをぐるぐる回ってる。馬鹿みたいに。心臓の音がエイトビートを刻んで俺をせかしている。でも、でもさ。
「でも、無理だろ……」
俺はつぶやいた。俺はこいつと違って普通なので、やっぱり普通に諦めている。
「やってみなきゃわっかんねえだろお!」
俺の前頭部がごんという鈍い音をたてた。こいつ、殴りやがった。
「……っわあったよ! やってやるよ!」
まだ若いんだから、やりたいことやってもいいだろ。何十年か後の俺にそう言い訳した。
夢に浮かされた馬鹿の拳は、痛かった。

殴り合いという建設的な作業が中断した後、俺はこいつが、結局何をしに来たかわかっていないということに気づいて、尋ねた。
「ああ、今から電車乗って行こうと思って。東京に」
今から? 本当にこいつは俺の知っている宿原その人なのだろうか。
俺のぽかんと開いた口を見たのか、奴は苦笑して言った。
「常識がないのはわかってるけどさ、いてもたってもいられねえんだよ」
 そういうことならしょうがない。何がしょうがないのか俺もよくわからないが、こいつの妙なテンションと、新生活なんて言葉に浮かされているのだ。こうなったらとことん付き合おうじゃないか。
俺は押入れからギターケースと練習用のスティックを取り出して荷物に加えた。そして母に不出来な息子が八時間も早く出発することを伝えなければいけない。

結果から言うと、母はあっさり出発を早めることを許可してくれた。ありがとう、母さん。
そんな思いとともに玄関のドアを閉めると、全ての元凶がポケットに手を突っ込んでいた。背中にはもちろんギターケースを背負って。
「なあ、駅まで走ろうぜ!」
何を言っているんだこいつは。俺が持っているキャリーケースが見えないのか。でも俺はバカになっていたので、ガラガラうるさい音を立てながら路地を走ることにした。
「おい! そこのバンドバカ! 上見ろ!」
「バンドバカはお前もだろ! ……うわ、星すげえな!」
俺らはこんな風に半ば怒鳴りながら、しまいにはてんで好き勝手にぎゃあぎゃあわめくように歌いながら、駅まで走った。こんな奇行を、俺は、あいつも不安なんだな、と解釈した。もちろん根拠はない。
少年たちよ、漠然とした不安を抱えて走れ!
 あ、このフレーズいいな。後でメモしておこう。
作品名:名無しの明日 作家名:坂井