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博士の天才

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 研究の目的を見失ってしまった博士は大学の研究室を辞して引きこもり生活に……。
 元々めったに研究室から出なかったので生活習慣自体は大して変わらないが、今までは気にしなくとも入って来ていた給料がなくなり、僅かにあった蓄えもみるみる減って行く。
 このままでは暮らして行けない……博士はやむなく製薬会社の研究室からの誘いに応じた。

 その製薬会社は社運を賭けた新薬の開発に失敗して今や風前の灯、そして博士の大学時代の恩師でもある研究所長は博士の頭脳に賭けてみようと思い立った……学生時代から突如として突拍子もない研究を始める変人として物笑いの種ではあったが、そのひらめきと集中力には目を見張るものがあったのを思い出したのだ。

 博士が入社してまもなく……傾きかけていたその製薬会社の株価は一夜にして10倍に跳ね上がった。

 実現不可能と言われていた風邪の特効薬をあっさり完成させたのだ。

 従来の症状緩和薬ではない、一度飲めば半日もしないうちに風邪そのものが奇麗さっぱり治ってしまう夢の薬だ。
 しかし、透明人間薬、幽体離脱マシン、性転換薬、人体小型化薬、透視眼鏡と人知れず立て続けに発明してきた博士にしてみればその程度のものは大した発明とも思えない、時の人として新聞、雑誌やテレビからインタビューの申し入れが殺到したが全て断り、ノーベル賞まで断ってしまった、名誉欲はかけらも持ち合わせていなかったのだ。
 博士にしてみればインタビューで人に会うなど億劫なだけだし、授賞式のためにわざわざスウェーデンまで行くなど面倒なこと極まりない、ましてダンスパーティなど論外……ただ研究室に篭って自分の興味がある研究に没頭出来ればそれが何よりなのだ。
 

 滅多に研究室から出ない博士を直接知る者は少ない、しかも、今や博士は製薬会社にとって至宝と言って良い唯一無二の存在、他社に引き抜かれでもしたら一大事。
 製薬会社の上層部は博士に充分な待遇と報酬を約束し、研究所長は博士に最大限の便宜を図って囲い込みに必死だ。
 その点、博士の顔が知られていないのは好都合、雑用は全て代わりのものが引き受けて博士がなるべく外出しないで済むように配慮する、博士にとってもそれは好都合、おかげで思う存分好きなだけ研究室に篭る事ができるのだ。
 
 マスコミは博士の写真を血眼になって捜したが、人付き合いをほとんどしないので写真と言えば高校の卒業アルバムの集合写真が最新のもので、それすら顔が下半分隠れてしまっている始末。
 顔写真が出回らないので、以前は毎日の様に通っていた弁当屋のおばちゃんや小さなスーパーの店員も、ぼさぼさの頭によれよれの白衣のお得意さんがまさかノーベル賞を断ってしまった時の人だったなどとは夢にも思っていない。
 

 しかし、博士の名前は更に世界中を稲妻のように駆け巡った。
 透明人間薬を調整が効き、即効性のあるものに改良したのだ、これは医療現場に革命をもたらした。
 なにしろ患者の胸に塗れば肺を、腹に塗れば胃を、手に取るように観察できるのだ。
 レントゲンやCTスキャンと言った大掛かりな機械は即座に無用の長物と化し、医療機器メーカーは頭を抱えた。
 
「どうしてもノーベル賞を受け取って欲しい、これほどの大発明に賞を授与できないと賞そのものの権威に関わる、お願いだ、お願いだから賞を受け取って欲しい、我々を助けると思って……」

 ノーベル財団からの懇願にも博士が首を縦に振らなかったのは言うまでもない。
 
 いまや博士の名を知らないものは居ないほどだが、望んだとおり博士の生活は何も変わらない。
 住まいは研究室の隅にベッドがあれば良く、服はトレーナーの上下に白衣があれば充分、食事は生命と頭脳の活動を維持できれば良く、F-1並のスピードで増え続ける預金通帳の残高にも無頓着……博士にしてみれば研究に没頭出来さえすれば良かったのだ。


 ある秋の夕暮れ時、頭髪の問題に悩むすべての男性にとって福音となる外用薬、すなわち確実性と即効性を兼ね備えた毛生え薬を完成させた博士は、中庭のベンチに腰掛けてぼんやりしていた。
 
 ここ数週間研究室に篭っているうちに秋はその深さを増していた。
 夏には爽やかな木陰を作ってくれた銀杏の葉も黄色く色づき、そこに夕日が当たって何とも美しい……久しぶりに研究室の外に出た博士は飽かずに眺めていた。
「ハックション!」
 もうトレーナーに白衣だけでは肌寒い季節……博士が腰を上げようとしたその時、ひざ掛けと紙コップが差し出された。
 差し出したのは若い女性、制服を着ているところを見るとこの製薬会社のOLらしい。
「あ……ありがとう……でもどうして?」
「さっきからこの肌寒い中うっとりと紅葉を眺めていらっしゃいましたので……お見掛けしないお顔ですけど、研究所の方ですか?」
「うん、そうだけど」
「きっと根を詰めていらしたんでしょうね、そんな格好では風邪をひきます、特効薬も出来ましたけど、ひかないに越したことはないでしょう?……これ、小さいですけど少しはましかなって」
 彼女が肩にかけてくれたひざ掛けはとても暖かだった、そして紙コップのココア……普段はブラックコーヒーばかりの博士だったが、一口飲むとその暖かさと甘さに心が溶け出して行くかのよう……。


「美味しいな……それに温まるよ」
 彼女の優しい心遣いと笑顔の温かさは心まで温めてくれ、ちょっぴりふくよかな体つきと少し丸っこい顔も気持ちを和ませてくれる。
「そうですか、良かったぁ……ひざ掛けはそこに掛けて置いてください、後で取りに来ますから」
「あ……もう行っちゃうの?」
「まだ仕事中ですから」
「わざわざ僕の為にひざ掛けとココアを?」
「とても疲れていらっしゃるご様子でしたし、ちょっと寒そうに見えたものですから」
「出来たら、もうちょっとここに……」
 博士がベンチの端に移ると、彼女は微笑んで隣に座ってくれた。
 夕日が彼女の笑顔を明るく染める……。
「奇麗だなぁ……」
「そうですね、秋の夕日に銀杏の葉が映えて……この中庭の秋、大好きなんです、あなたも見とれていらしたようなのでつい嬉しくなって……」
「いや……僕が奇麗だと言ったのはね……うん、葉っぱも奇麗だけどね……」
「夕日ですか?」
「うん、夕日もそうなんだけどね……その……なんだ……君の事なんだ」

 女湯を覗くことには執念を燃やしたものの博士に恋愛の経験はない、しかし、女性と付き合ったことがない分、その言葉に嘘偽りも計算もない、それを感じ取った彼女は恥じらって深く俯く。
 彼女の頬が赤く染まっていたのは夕日のせいばかりではなかった……その初々しい横顔を目にした瞬間、博士は生まれて初めて恋に落ちた。


 それから毎日のように昼休みには中庭のベンチでのささやかなデート。
 博士は彼女が用意して来てくれる弁当に舌鼓を打ち、彼女も博士が喜ぶ顔を見て微笑む。
 お互いに名前も知らないまま、気持ちは日に日に寄り添って行った。

 初めて博士の名前を聞いた時、彼女はベンチから転げ落ちんばかりに驚いた。
作品名:博士の天才 作家名:ST