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擬態蟲 上巻

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3 内務省の役人とクラーク・ネルソンと福田千吉



【擬態蟲】3 内務省の役人とクラーク・ネルソンと福田千吉

内務省の役人は仏蘭西の機械メーカーの東洋での代理店ライセンスを持つ
アメリカ人クラーク・ネルソンを送り込んできた。
生真面目な性格から桑畑権蔵の作った遊女のいる廓などには、普段から立ち入らぬ
福田千吉であったが、接待に使わざるを得ず、昼間から廓の座敷に向かった。
8畳間に通された福田善一たちは役人ふたりとネルソンと共に料理を囲んだ。
この辺りの名物料理といえばくにざかひに流れる川の淵で養殖を始めた鯉料理など。
洗いにして出されれば泥臭さも気にはならない。
役人ふたりはメガネをかけた左沢とちょび髭の右田。
そして、見るからに白人・・アングロサクソンというのか。
とんがった鼻に、碧い目を持つネルソン。
福田千吉は、養蚕工場の工場長の前川を呼び出して、繭玉を客たちに見せた。
「こりゃぁすばらしい。やはりお宅の繭の質は東洋一ですなぁ!」
ちょび髭の右田が半ばおどけたような声を出して繭玉をひとつ摘み上げてみた。
「まったくすばらしい出来ですなぁ。これを年間通して作っておられるんですから」
左沢は外の光に翳してその光沢を堪能する。
「ワット・ア・ビューチホー・シルク! イズン・ イット?」
左沢の稚拙な英語に苦笑しながら、繭玉を手に取るとネルソンは
一段大きな声で感嘆の辞を日本語で述べた。
「フクダさん、マエカワさん、ワタシはコレほどまでに美しいシルクを見たことは
未だ嘗てないデス!」
福田はもちろんながら、前川は恐縮の余り頭を何度も下げている。
「クラークさんは、日本語もたいへんご堪能ですなぁ・・」
福田は慣れないこういう場でのぎこちない会話を始めた。
だがそのあまりに冗長な言葉の流れを嫌ったのか、ネルソンは遮るように
話しだした。
「バット!」
周囲は一瞬にして静まりネルソンの口元が次になにをいうか、気にした。
「とても残念ですね。これは、一種の不幸といってもいいでしょう。
このすばらしい光り輝く純白の繭玉・・これはスバラシイものです。
ですが・・」
「ですが・・?」左沢は身を乗り出した。
「ですが・・・?」右田も身を乗り出した。
「これでは・・誰も買いません。これは原材料にすぎません。
人々が望むもの、それは紡績されて出来た糸です。
しかしこの国には・・残念ながら良ぃ機械がナイ。
この繭玉の美しさをダイレクトに糸に出来ないのデス。」
福田と前川は呆気に取られた。
「ワタシが東洋でのライセンスを所有しているフランスの紡績機械があれば、高品質で大量の糸が簡単に作ることができます。
そうすれば原材料の儲けプラス加工の儲けが圓寅さんの元に入ります。
その儲けは単純に見積もっても現在の二倍。
しかもいまはいい。日本の安物・・そういって亜米利加は買ってくれる。
だが・・あと数年でそれだけじゃ買わない。
買わなくなりますよ、誰も。」
右田は茶碗を持った手をゆっくりと下ろす。
左沢は目玉だけがネルソンを見る。
「質なのです。クゥオゥリティなのです。重要なのは。
あなたも元は技術屋?テクニシャンと聞いてます。
品物の品質は、機械によって高めることができる。
ちがいますか?」
ネルソンの強引な話の持っていき方に少々面くらいながら福田善一は天井を見上げた。
左沢は声のトーンを落として話はじめる。
「どうだろう、福田さん。
我々内務省も殖産興業を旗印にさまざまな産業振興策を行なっている。
大阪紡績會社も作った。
だがここいらにも大きな工場がさ欲しいじゃないですか。
例えば、圓寅さんの繭玉をこの近くの山を切り出して工場を建ててですよ。その場で糸に加工してしまえば。
国内もとより横濱に近いこの場所ならすぐに輸出することができる。
商売ってモノ、需要と供給ですよ。供給が足りないんですよ。
今のちんけなマニュファクチュアじゃぁダメだ。
大きな機械が廻って廻って、利益が上がれば・・これがあなた方、圓寅養蚕の儲け。ひいては国家の儲け、これぞ天皇陛下の御意志。」
右田はすかさず声を上げる。
「大日本帝国のために!世界に湧出するために!」
こう取り囲まれて、やんやといわれると、福田善一は少々疲れ果てた。
「解かりました、だが・・私ひとりで決められるものではないので。
株式會社の仕組みというのはご存知のとおり、取締役会の議決ひいては
株主総会の議決が必要なのですよ。」
「これは内務省ならびに大日本帝国政府、ひいては天皇陛下の御意志なのです。お分かりですな。よく含み置きください。」
そのとき二階へ上がる階段から大きな音がして
次に「いてぇーっ!」と大声がした。
「くそう、あの西班牙(スペイン)娘め、ひっかきやがった!」
障子の向こうで大きな下品な笑い声をあげているのが桑畑権蔵であることは福田千吉にはすぐにわかった。
廓の女将の声がする。
「権蔵さん、権蔵さん、そんなに向きになると・・」
「ババア、やかましいわい!あの小娘必ず乗りこなしてやるからなぁ!」
「ちょいと落ち着いてくださいな、お酒でも・・」
「おぅ!」
力任せに障子を開けるとふんどし一丁の桑畑権蔵が立っていた。
周囲を見回し、福田千吉と目が合うと
「おう、珍しいじゃないか!お前がこんなところに来ているなんて。」
と卓につくと大声を張り上げた。
「女将、酒だ!つまみもな!」
はーい只今、と、女中たちの声がする。
余りの強引な登場に一同唖然としていた。
ネルソンに至っては咳払いをする始末。
その態度が気に入らなかったのか、桑畑権蔵は大声で恫喝するように云う。
「おまえら廓に来て、なぜ服なんか着てるんだ?しかも・・素面じゃねえか。」
「ほらほら、飲め、飲め、脱げ、脱げ、なにをしてるんだ、お前らは!」
女中が酒を運んできたので、互いに注ぎあい飲み干す。
次に女中がツマミを運んできた。
それをみると、左沢と右田は目を丸くした。
ネルソンはたじろいだ。
「なんだ、うまいんだぞ、これ。喰え!」
大皿に盛られた“蚕の蛹(さなぎ)と唐辛子の炒めもの“をバクバクと食す桑畑権蔵。
「こいつぁ清の料理人をわざわざ雇ってさ、作らせた中華炒めだぞぃ。
仕事を終えてなお我らに尽くしてくれる、お蚕さまには頭が上がらんよ。まったく。
それにな、こいつは、効くんだよ、あっちのほうにもな!」
桑畑権蔵の豪快さに内務省の役人もアメリカ人のビジネスマンも舌を巻いた。
「ここいらの料理屋の名物といやぁ、鯉だ。だが其の鯉の餌はやっぱり、このお蚕さまの
蛹だ。蛹を粉にしてよ、ばら撒いてやれば鯉は喜んで喰いよるわぃ。
ここの蚕の出来がいいから、鯉も肥えよう。そんな鯉の養殖場もウチの資本だがね。
ワハハハハ!」
豪快な桑畑権蔵の笑い声が響いた。

作品名:擬態蟲 上巻 作家名:平岩隆