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やさしいかいぶつ

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「おれ、お前食べるよ」
淡い花畑の真ん中、かいぶつは言った。パジャマの女の子はただ微笑んでいるだけだった。
「お前死ぬんだよ」
真っ黒に塗りつぶされた巨大な図体。てっぺんに小さな三角耳がふたつ、生えている。それがやけに可愛らしくて不似合いだと思って、女の子は笑う。
つぶらな瞳は黄ばんだ歯のように淡い色だった。口は大きく、林檎より真っ赤だった。そして、鋭い銀の牙。
小さな女の子は、ただ微笑んでいた。かいぶつはそれを見て、馬鹿にされている気がして腹が立った。
「お前死ぬんだよ」
かいぶつは繰り返した。
「そうね」
脅すように、その真っ赤な口を開けた。すると女の子は、自分よりも何倍も大きなかいぶつに抱きついた。
不思議な匂いだった。甘い、甘い草原の匂いだ。女の子はそう思い、また笑った。
食べて、とはいわなかった。かいぶつに任せることにした。
顔を上げると、当の本人はかなり戸惑っているようだった。
照れてるのかな。女の子は、愛しい気持ちでいっぱいになった。
「食べないの?」
ちょっと意地悪を言ってみる。
かいぶつはむきになって、女の子の頭を口に入れかけた。そのとき、ちょうど女の子の頬の傷に触れた。
「お前けがしてる」
「そうね」
けがなんて、しょっちゅうだった。生きてる以上、皮膚は裂けるし、血は流れる。息を吸うのと同じように、当たり前なこと。
沈黙が続いてどうしたのかと思うと、急に地面が揺れた。
気づくと、女の子は持ち上げられて、かいぶつの頭の上に乗せられた。
「おれ、血きらいなんだよ」
唐突なことを言い出す。
「だったらあたし、血まみれよ。あたしの身体は血で出来てるもの。」
「じゃあ、お前食べるのやめた」
そして、腕を伸ばし、女の子の頬の傷をなでる。痛みはなかった。くすぐったかった。ああ、甘い草原の匂いが、こんなに近くにある。
満ち足りた気持ちで、女の子はその大きな太い毛むくじゃらな腕に抱きついた。自分も同じ匂いになった。
小さい頃読んだ絵本のかいぶつと、同じ姿をしていた。
「ねえかいぶつさん、名前はなんていうの?」
かいぶつはぶっきらぼうに答える。
「名前なんて、いらないよ」
「でもそしたらあたし、あなたのこと呼べない」
「呼ばなくていいよ」
「ねえ、ここには太陽がないの?」
「ないよ」
「一年中曇りなの?」
「ここは空は灰色で、地面は花畑。そう決まってるんだよ。質問が多いと食べるぞ」
女の子はそんな脅し文句も無視して、質問を続ける。
「ねえ」
また、地面が揺れた。色とりどりの花が回転する。かいぶつが女の子を頭の上に乗せたまま歩き出したのだ。
果ての無い、花畑の世界。あたたかい風が吹いて、二人を包む。
こんなに素敵な場所、知らなかったと思った。
「ねえ、どこにいくの」
かいぶつは答えなかった。女の子もそんなに答えを気にしなかった。むしろ、ずっとこうしていたかった。
「ねえってば」
「うるさいぞ。おまえ・・・―――」
かいぶつが黙る。名前がなくて困るのはあなたの方じゃない、と女の子はからかった。
「ハナって呼んで。あたし、あなたのことガオガオって呼ぶ。」
「変な名前。気に入らない。」
けれど、ハナは気に入っていた。絵本に出てくるかいぶつの名前だった。さとすようにこの黒いガオガオの耳をなでた。
「ねえ、ガオガオ。あたしはどうしてこんなところまできてしまったの?」
「知らないよ。気づいたらハナが目の前にいた。そしておれははらぺこだ。」
じゃああたしを食べればいいのに。そう女の子が言い終える前に、ガオガオは座り込んで、足元にある花をむっしゃむっしゃと食べ始めた。彼女にとってそれはずいぶん面白い光景だった。
花を食べる生き物なんて、今まで見たことなかった。やっぱり、かいぶつだからかな。
「花を食べるなんて、あたしを食べてるみたい」
うっとり呟いたが、ガオガオは食事に夢中だった。あっという間にガオガオの周りに地面が見えてくる。
ハナも足元にあった花びらをかじってみた。ぺらぺらとして、あまり味がしなかった。思わず吐き出してしまった。それすら拾って、ガオガオは口に入れる。
そんなこと、されたことなかった。ハナはすごく驚いたが、ガオガオはそんな彼女を気にも留めなかった。
花びらを食む音だけが聞こえる。風はもう止まっていた。真っ黒なガオガオの真っ赤な口に、いろんな花びらが吸い込まれていく。
良い時間だった。蜜を吸いながら、ハナは流れる灰色の雲を見ていた。退屈にも似た、まどろみにも似た、良い時間だった。
「ガオガオ」
ガオガオは何も言わなかった。それでもいい。
すると、だんだんと強い眠気が襲ってきた。眠りたくなかった。けれど、ガオガオが自分の頭をなでてくれたような気がして、安心して眼を閉じた。

作品名:やさしいかいぶつ 作家名:夕暮本舗