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遙かなる流れ

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実は父は若い頃に肋膜炎を患った事があり、胸の病には強い方ではありませんでした。戦後、青森に引き上げて来ましたが、その時に既に結核に感染していた様です。それがここに来て発病して治療も受けていました。中々良くならなかったのです。(女遊びが止まなかったりしていました)
 一進一退を繰り返していましたが、かかりつけ医が当時薬として持て囃されていた「ストマイ」を手にいれてくれたのです。
 それを治療に使うと父の結核はみるみるうちに回復をしてきました。でもこの時、着き切りで看病していた私にそれが移っていたとはその時は思いませんでした。
 大分元気になった頃でした。父が
「なんか体がだるい」
 と言うので、今度はすぐ近くに出来た県立病院に検査をして貰いました。その結果は父に取ってあまり喜ばしいものではありませんでした。
 先方の医師は本人に真実を告知するのを躊躇ったみたいですが、父は若い頃東京で医師の書生をやっていたので多少の医学の知識があるのを認めた医師は本当の事を告げた様です。家に帰ってくるなり
「和子、布団引いてくれ。寝るから」
 そう言って寝て仕舞いました。
 結果としては父は一年後「肝硬変」で亡くなりました。私はその最後まで看病し看取ったのでした。
 大きなお腹をして、腹部に溜まった水をお医者さんが注射器で抜きます。黄色い水が洗面器一杯溜まります。
「これは栄養の塊なんだけど、お父さんはもうこれを体に吸収出来ないんだよ」
 お医者さんはそう説明してくれました。
 また、浣腸もしてあげありとあらゆる事を私はしたと思います。生活は妹の給料が主になりました。私も洋裁をしていましたが、以前より量が減ったので、その分収入も減りました。それに父の医療代も掛かります。
 そんな状況を見た下の弟の高俊は、東京の東大を受ける事を諦め地元の弘前大を目指す事になりました。
 幸い、東京に出た上の弟の秀俊が学費を出してくれる事になり、私は一安心しました。上の弟は中嶋家の遺産もあったので、それぐらいの余裕はあったのです。
 下の弟の高俊は賭け碁や賭け将棋は辞めましたが、何処からか家庭教師の口を見つけて来て
中学生に教え初めていました。そしてやがて
「人に教えるのは自分に合ってるかも知れない」
 と大学で教師を目指す事になります。弟は教育学部に入学する事になるのです。

 そうこう言っているうちに父の溶体は段々悪化して行きます。最初は「大した事無い」と強がっていた父もこの頃は弱気な言葉ばかりです。何かと言うと「和子すまんな」と言う回数が増えて来ました。
 色々な事をそれでも話しました。その中でも以外だったのは、私にはあちこちから沢山お見合いの話があったそうですが、尽く父が壊していたと言う事実でした。
周りの人に言わせると
「お父さんは和ちゃんを嫁に出したく無いそうだよ」
 と言っていました。また、「何でも婿さんが居ないか探していたみたいだよ」とも……
 私自身は、そのどっちも興味ありませんでした。父の女遊びを幼い頃から散々見て来た私には家庭を持ち夫と幸せに暮す、と言う事が思い描けなかったのです。
 その後私は父と色々話をして、今までわだかまっていた気持ちが少しずる氷解して行きました。母とのちょっとした気持ちのすれ違い、手を切り残った愛人の事など、もし父が寝付いて私と話す時間が無かったら、そのまま父を恨んでいたかも知れません。
 でも時間は待ってくれませんでした。昭和三一年六月、樺太で多くの人の命を救った父はお釈迦様の元に旅立ちました。
 葬儀には予想を超える人が弔問に訪れてくれました。中には引き上げの時に戴いたお金でなんとか生き延びる事が出来た。と住所を調べて訪れてくれた方もいました。天に登る煙を見ながら私は父の冥福を祈るのでした。

 大学に通う様になり高俊は増々家庭教師のアルバイトに精を出しています。ここ青森では弘前大生と言うと随分箔が付くのです。結構いいお給料を貰ってるみたいでした。妹の保子も彼氏が出来たそうです。
 何でも日本鉱業の社員の人で、あるサークルで妹と知り合ったみたいです。背の高いとてもハンサムな人で、妹は面食いなんだとその時思いました。
 そんな中、叔父や知り合いから幾つかのお見合いの話が来ました。私は、最初は気が乗らなかったのですが、妹や弟がたまに連れて来るガールフレンド(あくまでも弟はそう言っていました)を見ていると、お見合いぐらいならしても良いと思う様になっていました。叔父も
「和ちゃんももう二十六歳だし、決して早くは無いからね」
 そう云われて仕舞いました。
 今と違い、女で二十六といえば遅い方でした。何人かと会ってみたのですが、私はどうしてもその気になりませんでした。
「気持ちが乗らなければ無理をする事は無い」
 そう言われたので、全てお断りしたのです。
 そうこうするうちに、納骨の話になりました。実は父は東京の北千住に友達が住職をしているお寺があり、そこにお墓を買って自分の父等を埋葬していたのです。
だから、亡くなる時に「千住に埋葬してくれ」と残して亡くなったのです。
 その北千住の隣町の五反野と言う所には父の腹違いの弟夫婦(叔父ですね)が暮らしていました。戦後、米軍の払い下げの冷蔵庫を修理して塗装し直して売っていて、それが当たって大層羽振りの良い暮らしをしていました。
 小学生の頃北千住に住んでいた頃は良く遊びに行ったものでした。
「納骨に来るならウチに泊まってついでに東京見物して行けば良い」
 そう言われ私は9月の末に東京に旅立つ事になったのです。

作品名:遙かなる流れ 作家名:まんぼう