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遙かなる流れ

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母が家を出てからひと月程経ったある日私は、近所の人が、母が酸ヶ湯温泉の旅館で働いていると教えてくれたので、その話を頼りに酸ヶ湯温泉に行ってみる事にしました。
 青森は北海道から渡って来る人や渡る人が多いので割合列車は動いていました。まあ、青森からそんなには時間も掛からないのですが、酸ヶ湯はバスで無いと行かれません。
 バス亭を降りてその旅館を目指します。目指す旅館はすぐ判りました。
 入口で掃除をなさっていた方に、母の名を告げて居るか訪ねます。もしかして旧姓を使ってるかも知れないので、それも告げます。するとその方は
「ああ、いるよ、ちょっと待っておいで」
 そう言い残して奥に消えました。暫く待っていると、その奥から母が姿を表しました。
「和子……きたの……」
 その旅館の休憩室みたいな場所で母と私は向かいあって座っています。
「ご免ね。あんた達には悪いと思ったのだけどね。もう堪忍袋が切れちゃって……」
 そう言って母は遠い目をしました。
「お父さん、昔から女癖が悪かったから、またかと思ったけど、本当に別れるなんて思わなかった」
 私は正直な気持ちを話します。
「うん、樺太の頃からだからね。あんた保子が生まれた時の事覚えて居るだろう?」
 忘れる訳はありません。あの日は私はまだ小学校1年生で、朝から吹雪の激しい日で、私は母から
「生まれそうだから、お産婆さんとお父さん呼んで来ておくれ」
 と言いつけられて、カッパを身に纏うと、吹雪の中を歩き出したのです。風が強く前屈みになってないと前へ歩く事も出来なかった程でした。苦労してお産婆さんの家迄行き、
「もうすぐ生まれそうなんです」
 と告げ来てくれる様に頼みました。幸いお産婆さんはすぐ出てくれて、しかも後ろからの風なので家までは楽そうでした。
 私は更に先にある村の旅館に急いだのです。行き先なんか言われ無くても父の場所は判っているのです。どうせ村のだれかと泊まっているのです。父は本当に女の人に良くモテました。
恐らく樺太時代は一人で寝た晩などは無かったのでは無いでしょううか。
又、村の女の人もお金が無くなると父を誘惑して寝て小遣いを稼いだ、いやこの場合は生活費を稼いだのです。
 今では考えられませんが当時は良くあった事だという……でも子供のあたし達は嫌でした。母との間に男女二人ずつの子供を産んで、更に年中他の女性と関係を持ってるなんて、当時の私には不潔な感じがしたのです。
 旅館に着いて吹雪に備えて戸板が閉まってる玄関を手で何回か叩くとやっと返事がして、番頭さんが玄関を開けてくれました。中に入って雪を落として、父の名を言うと番頭さんは、ちょっと変な顔をして
「ああ、いるよ。すぐなのかい?」
「はい、子供が生まれそうなのです。私の弟か妹……」
 それを聞くと番頭さんは呆れた様な顔をして
「待ってな、今連れて来るから」
 そう言って奥に消えて行きました。
 暫くして父が浴衣の上に丹前と言うだらしない格好で出てきました。私は
「お母さんもう生まれるよ!」
 そう大きな声で言うと父は
「ああ、判った。今帰るからお前は先に帰ってなさい」
 そう、面倒くさそうに言うのでした。
 私は本当は父と一緒に帰れるものと思っていましたから、その言葉は子供心にショックでした。そんな事が幾度もありました。
「なんで今度は切れちゃったの?」
 私の問に母は
「青森に来て、苦労して家まで立てたのにまた作ったろう。しかも今度の女は図々しくてさ、なんか腹が立つんだよね。それで今度ばかりは別れてくれって本気で頼んだけど、一向に別れないから実力行使にでたら『離婚だ』と言ってきたので、それならどうぞって言ったのさ。それで離婚したの」
「そうか、今度は父さん遊びじゃ無く本気だったのか」
 母は何度も私に謝りましたが、例え父が謝って来ても帰る積りは無いとの事でした。父は仕事では人望があり商売も上手で、リーダーシップもありますが、唯一の欠点がこの女癖だったのです。
 母の所へ行った事は兄弟には内緒です。特にまだ小学校の末の弟の高俊には言えません。それに私たち今日兄弟に思いも及ばぬ事が湧き上がっていました。
 父の伯父に当たる人に中嶋と言う人がいます。私なんかは「中嶋の伯父さん」と呼んでいましたが、この人は子供がいないのです。
 しかも中々の資産家だったのでいずれ養子を取ってと考えていました。目をつけていた人がいたのですが、戦争で亡くなって仕舞いました。
 そこで中嶋の伯父は父に「上の秀俊を養子にくれないか」と言ってきたのです。
 最初は兄弟が別れ別れになるのか?と思っていましたが、後で名前だけ継いでくれれば良いと言う事でほっとしました。

 生活費は父が一応入れてくれていましたが、なんせ兄弟はこれから学校に進学するので、幾らでもお金が掛かります。
 私は少しでも家計の手助けになればと洋裁の仕事を回して貰う事にしました。当時高かったミシンを借りて洋裁の注文服を縫うのです。
 幸い注文は次から次へとありましたので、毎日の食費ぐらいにはなったのです。そうして暮しは段々落ちついて行きました。
 やがて上の弟が県立青森高校に合格し、妹は中学からキリスト教系の女子中高に通い出しました。
 私は兄弟の世話で日々の暮しが過ぎて行きました。困った事はたまにですが、あの女が家に来て泊まって行く様になった事です。私は父に随分言ったのですが、父の言い草は
「今度は手を切りそこねたよ」
 そう言った言葉が本気の言葉でした。恐らく、離婚したのは早まったとの思いがあったのでしょう。
その様な親の姿を見るにつけ、私は結婚なんて夢は見なくなりました。最も私たちの世代にあう男性の人は多くが戦争で亡くなっていて、非常なアンバランスな人口構成になっていたのです。ですので私の青春時代は洋裁に明け暮れて行ったのでした。

作品名:遙かなる流れ 作家名:まんぼう