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尖閣~防人の末裔たち

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と古川は、同情の眼差しを向けた、こんなに大きな財産と、そこで働く海の男たち、、、きっと漁師は一筋縄ではいくまい。そんなところに最高の階級まで上り詰めたとはいえ海上自衛隊の河田がトップとして入り込んだ。同じ海の男といえども勝手も文化の違いに苦労したに違いない。 
 河田は思わず、おっ?といった表情で古川を見た。若いのにこんな捕らえ方ができるヤツがいるとはね。河田は心中呟いた
古川は照れ笑いを浮かべながら言い訳のように続けた。
「いや、規模は雲泥の差で蟻ほどにもなりませんが、私は義理の父の跡を継いで何もかも失いましたから。その難しさ、少し分かる気がします。」

 ほんとに俺の場合なんて足元にも及ばないくらい小さいことだが、気持ちは分かる。と古川は思った。古川が新聞社を辞めた理由は、この激動の防衛環境の中、社会部へ移るよりもフリーで活躍したいという本音の部分と、建前は建前だが、人に言っても形だけの同情が返ってくるのが分かりきった理由があった。形だけの同情なんてされると今までの人間関係すら疑問に思えてしまうそう思った古川は、この建前の部分について多くを語らなかった。
「この就職難のご時世に独立する意味があるのか?」「記者だってサラリーマンだぞ、飯の種を捨てることは無いんじゃないか?ここに居たっていろいろ出来るぜ」「お前はまだまだこれからだ、今まで防衛で得てきた知識と経験と視点で社会部に新しい風を入れたらどうだ?」古川を思い留まらせようとする同僚や先輩の声は心に染みるものとなり、今でも心の財産となっている。建前を語らなくて良かった。その代わりみんなから心の財産を貰った。と古川は思っている。古川が新聞社を辞めるきっかけとなった建前の部分。それは、妻の父親が栃木県小山市で経営する小さな印刷会社の跡を継ぐためであった。
 社会部への異動の話しが出始めた夏の日の朝、その義父が病に倒れた。検査の結果は、末期の食道癌だった。こうして病院へ行かないことが取り柄でがむしゃらに働いてきた義父は、それが仇となってしまった。末期の食道癌でまともに食事を採れない義父は見舞いに行くたびに痩せ衰えていった。発する言葉も少なくなってきたある日ぽつりぽつりと義父が言った
「俺の印刷会社、、、玄さんが何とか切り盛り、、、してくれてるよな?」
「玄さんに任せきりにしてます。すみません。」
と枕元に立った古川は申し訳なさそうにうなだれた。
「それは、、、いいんだ、悟君も仕事が、、、あるんだから、、、玄さんなら安心だ、、、しかし、、、」
義父の目が心なしか潤んできたように見えた。義父は潤んできた目をぐっと閉じて続けた。
「私が死んだら、、、あの会社を自由にしていいと言いたい所だが、、、玄さんは再来年の春で退職なんだ、、、」
玄さんこと山田玄は58歳、義父が印刷会社を立ち上げた頃からの社員だった。一時は30人近くいた従業員も景気の悪化と共に激減し、今は玄しか残っていなかった。それでも仕事をこなせる量しか仕事が入ってこなくなっていた。義父の命と共に消えてしまいそうな印刷会社。もはや風前の灯だった。
「なあ悟君、、、玄さんが退職するまででいい、、、あの会社を、、、継いで欲くれないか、、、玄さんを路頭に迷わせるわけには、、、いかないんだ、、、その後は好きにしていい。。。申し訳ない」
古川に向けて開かれた義父の目には涙が溢れていた。古川の脳裏にこれまでの義父との思い出が走馬灯のように駆け巡る。古川は思わず屈みこんで両手で義父の手を握った。骨と皮だけになってしまった弱々しい手は義父の思いを伝えるかのように熱く火照っていた。
「分かりました。安心してください。」
 古川は力強くそして噛み締めるようにゆっくりと返事をした。
 それから5日後の夕方、義父の容態が急変し、亡くなった。
亡くなる数時間前、ICUに移された時に、酸素マスクを口に当て、次々に肺に溜まる水に苦悶しながら、付き添っていた古川の妻である娘の悦子に「悟君に、、、頼んだぞ、、、と伝えてくれ」と言ったのが家族が聞いた最後の言葉となった。
 古川は、義父との約束を果たすためにも、新聞社を辞めるという選択をした。もちろんフリーでの活動も軌道に乗せるつもりで頑張っていた。しかし、その掛け持ち的な行動が誤解を呼んだ。経営者ではあるが、印刷のずぶの素人の古川が一から真剣に学ぶ姿勢にない、印刷という仕事を中途半端な気持ちでやっている、義父と玄がやってきた印刷の仕事に対する思いが、何よりも義父に対しての気持ちが足りないんじゃないか?そもそも前の仕事が諦められないんだろうな、その点は気の毒だ。。。と、玄には受け止められていた。
 口数の少ない職人気質の玄は、多くを語らず、時だけが過ぎていった。そして、義父の一周忌の法事が終わった後、古川に玄が言った
「1年間お世話になりました。もう十分だ。あんたは好きなことをやったほうがいい。まだ若いんだから。。。溜まっている仕事も綺麗に片付けた。辞めさせて頂きたい。」
 まるで義父の温かさを感じさせるような古川の肩に置かれた玄の手と、温かい言葉、そして眼差し、、、今まで、自分は玄に嫌われていると思っていた古川の目に涙が溢れた。
「玄さん。。。すみません。ありがとうございました。」
 古川は、心の中で義父へも詫びていた。
 形はどうであれ、結局父との約束を果たせなかった古川に対して古川の妻、悦子の堪忍袋の緒が切れた。悦子は新聞社を辞めて以来、イライラすることが多くなった夫に初めは同情していたものの、日が経つに連れ義父の跡を継いだことの当て付けかと感じるようになった。そして日増しに夫に対する肯定的な気持ちを持てなくなり、夫の言うこと為すこと何もかもに不満を感じるようになっていた。小山の実家に戻ってから友人の紹介で仕事を始めた悦子にとって、その職場で再会し、机を並べることになった高校時代の同級生との仲が深まったのは自然な流れであった。30歳という悦子の若さと子供がいない気軽さが関係を加速させ、そして土日が休みではない勤務形態も修復不可能なまでに古川との距離が開く結果を招いたのかもしれなかった。
 印刷会社を廃業にする手続きを済ませた後、宇都宮に来ているという権田からの電話で、宇都宮で飲むことになった。一応帰りを待っているといけないので、悦子に電話をしたが何度掛けても電話にでない。またリビングに忘れてったな、と古川は舌打ちしながら、ま、着信履歴には残るんだから、小言を言われることはないな、と言い聞かせて電車で宇都宮駅へ向かった。改札を出て東口で権田と久々に再会した。軽く右手を挙げて権田は微笑んだ。心なしか笑顔が冴えない。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
古川は久々の再開を喜んだ
「おぉ、何とかな、お前も元気そうだな」
 そして東口から出て数分歩いたところで見つけた焼き鳥屋で2時間ほど酒を飲んだ。職場の話、昔の同僚の動向、そして社会情勢に花が咲いたが、どことなく権田に元気がない。電話を掛けてきたときはあんなに元気だったのに。。。古川は権田の身の上に何かあったのかもしれないと心配になった。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹