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千と一匹の蝶

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千と一匹の蝶 春

 春風が気持ちいい明るい道を進んでいると、道端によく蝶を見かける。その一匹一匹の蝶にはそれぞれ違った別の模様があるはずなのに、蝶たちはそれを無視したように我を一種類の蝶だと言い張る。生きている場所は種類ごとにある程度集まり、好む花も大方同じだ。彼らが意図的にそうしているのか。もしかしたら私や、私の祖先がそう思い込んだことによって、蝶たちの生活を縛っているだけなのかもしれない。
 こんな考えをするようになったのは私がこれまでに多少なりとも知恵を身に着けてきたからだ。知識も感性も整わず、無法的に、四方八方に飛び散っていた幼いころにはあり得ないことだった。黄色い小さな花に一匹のモンシロチョウが止まる。軽い体を、これまた軽い花の上に乗せ、花の揺れる強弱と共に、揺れている。道を歩いていた私の足もその弱の揺れに誘われ、移動を止めるまで速度を落とした。
「こんなに小さな花に身を任せるこの蝶は、あのときの蝶と同じやつなのだろうか」
何年も前の、桜が咲いて、日が長くなり始めた四月の初めにもここを通っていたことを思い出した。






 おかしなことは日常的に起きているわけで、それに気づかない人が多いだけなのだ。例えば空に虹がかかるのを見て、その麓へ行こうといっても誰もさあ、いこう!と賛同してくれるものがいないことだ。花に毎日きちんと、たっぷりと水をあげたのに、花がしょぼんと枯れてしまうことだ。幼い彼の頭の中の宇宙では正解のことが、宇宙の隙間からひょっこりと顔を出してきた新手に一瞬にして間違いにされることが多々あった。その度に、彼は反発するのだが、その新手は彼よりも巨大で、力も強く、そのうえ、立派なやつで、仕方なく受け入れる。そうして受け入れた新しいおもちゃは、棚に戻されることなく、暗い世界へぽいっと放たれて、どこかに姿を消してしまう。そもそも実体のないものをどうやって見ているのか、彼にもわからなかったが、それでもちゃんと受け取ることはできていた。火は熱いものだとか、水の中では呼吸ができなくて苦しくなることとか、そんな当たり前のことはいちいちその姿を探さなくてもすっとどこかからかにじみ出てくるのだ。
 
 彼は今、きつい坂道にいた。買ってもらったばかりの小さな自転車を必死に押しながら、鼠色の道を一歩一歩進んでいた。道の横につけられた白いガードレールは車や人がそこから落ちないようにするためのものだと新手の人から教えてもらった。それまで彼にとって
ガードレールは落書きを許された白い物体であった。その多くは白いまま何も書かれていないが、なぜそのままなのか、彼には疑問であった。白いガードレールを一つ、また一つと越えて、彼は自分がいまガードレールの何個目までやってきたのかを数えていた。この坂のガードレールは全部で三二個だ。一年前、友達と虫取りに出かけたときに数え上げた。あの時も今のようにぜーぜー言いながらなんとか登り切ったのだが、今はあの時ほどきつくない。それからしばらくして、一週間に一回、この坂を登って上の山まで行くのが習慣になった。なぜ同じ道を何回も登るのか、彼にもわからなったが、子供とはそういうものだ。もう六回目になる。月から日までの時間を六回も過ごしている。この六回の中で、彼は様々なことを知った。この坂を徒歩で通る人は彼以外いないこと。日曜日の三時ちょうどに頂上の貝見神社に猫が座っていること。そして横の時計はいつも三分早いこと。この坂だけで百くらいの新手に出会った。そのうちの九十くらいは彼の頭の中にすっと溶け込んで宇宙の成分の一部になってしまったのだが、代わりに彼の宇宙がぐっと大きくなった。広まった宇宙には限界はなく、永遠と続く物語がそこにはあった。その広がった宇宙に新しい星ができたのは一週間前のことだった。
 ガードレールを約半分ほど進むと、一つ壊れたガードレールを見つけた。車か何かが擦れたような跡があり、その跡が蝶の姿に見えた。というのも、この道には蝶がたくさんいて、昨日少し降った雨によってできた水たまりに集まっている。この壊れたガードレールの近くにも水たまりがあり、そこに映る蝶の様子が実に美しく、その様子を何度も見てきたのだ。その姿がガードレールの擦れ傷に重なったのだ。黒い蝶が一匹そこにいる。初めて出会った黒い蝶だ。その動かない蝶は彼の想像力と偶然の反復によって作られたものであり、その幻によって彼はまた宇宙を広げた。その広がった宇宙の中で彼はなんとかその宇宙を動かす方法を探した。今、この蝶がガードレールから飛び出し、空を飛んだら、どれだけ気持ちがいいだろうか。彼が創造したものがそのまま彼の世界に飛び出してくるのだ。そんなことを考えてたらさっきまで考えていたきつさが足から消えていた。どこまでも歩いて行ける気がする。彼はやはり子供で、身軽なやつだった。
 もちろん、黒い蝶を動かす方法など見当たらず、彼は宇宙の中を探すのをあきらめた。これまでも見つからないことはあったし、今回もそれと同じで、いつかふっと答えが見つかるのだ。それまでこいつはどこかにしまっておく。黒い蝶をその場に残し、彼は自転車を押してまた進みだした。


 坂を登り切った彼は初めて神社のなかに入った。なぜこれまで入らなかったのか、その理由は四段上に立っている鳥居が怖かったからだ。口を大きく開いて、いらっしゃいと誘っていることはわかるのだが、誘われているのが自分なのかがわからなかった。違う人を呼んでいるのならば、入ってしまっては鳥居の向こうで待っている人に怒られて、二度と家に帰れないように思えたのだ。この恐怖心が四回も入ることを拒ませた。そして今回もそうなるはずだったのだが、近くにいたおじいさんが、たまに来ているが入っていかないのかいと声をかけてきたのを拒むのもおかしいなと思い、入ることにしたのだ。この大きく口を開いている鳥居を誰でも入ってくれという意味だと勝手に解釈して、おじいさんの後ろをゆっくりと歩き、大きな口の中へと入っていったのだった。


作品名:千と一匹の蝶 作家名:晴(ハル)