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逆光

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「自然年齢の伸びを社会が収容しきれなくなっている。社会の在り方を長寿社会に合わせなければ駄目だ。少なくとも八十歳までは雇用を継続すべきだよ。年金は八十歳から支給するとすれば財源問題は解決するだろう」
「長寿社会雇用モデルを制度設計してくれるといいのですね」
「すべての年金受給者の年金額を一律定額にするという案もあるね。現役時代の所得格差を反映させない均等給付制だよ」
 鈴木老人は、公的年金に格差をつけるべきでないと力説したが、佐伯は、所得格差は過去勤務の評価だから当然だという意見だった。
「高齢者で年金の少ない人は生活保護を受けるほうが沢山もらえるのでいいと言ってますね」
 佐伯は、年金では暮らせない高齢者が生活保護を羨望していると話した。
「そのようだね。高齢者のなかには、年金では施設に入れないが、生活保護を受ければ施設に入居できるので、なんとかして生活保護を受けたいという人が増えている。 それだけじゃない。若年者でも派遣切りとか突然の会社倒産などで失業した人が生活保護に駆け込んでいるね。一昔前には、生活保護を受けるのを避ける傾向があった。あの人は保護を受けていると陰でささやかれたり、軽蔑されたりしたからね。だが今は受けられるならば、受けるべきだというように変わっているね。生活保護が権利として受け止められているのだ」
 鈴木老人は、このことに首をかしげている。国や役所の世話になることは恥だという文化が、自分たちの若い時代にはあったのだが、最近は借金を返さないで自己破産する権利を行使するという者までいる。社会は自分の都合で利用するものだと思っているのだろうが、この風潮が定着するとこの国は危ないと、鈴木老人は危惧している。
「前期高齢者である佐伯君のような年代の人には、まだ過去の日本人の気風や気概は残っているだろうね。俺はそれに期待している。だから、働けというのだ。君たちが日本人の伝統を若者に継承させないと、この国は征服者に隷属する国になってしまう。自負心も自尊心もない国民になってしまう。精神的にも実質的にも植民地化されてしまうのよ。先の敗戦はこれほど重い意味を持っている。俺達、後期高齢者が築いた戦後の経済大国日本の実績と自負を、君たちの世代が継承してほしいのよ。そうでなければ、君たちの子供の世代は、どこかの国に隷属する弱小国家の悲哀を経験することになるだろう」
 鈴木老人は話すほどに熱気を帯びてきた。 
「高齢化社会を元気に生きるのは、子孫に明るい未来を残せるか否かにかかっている。この仕事を、俺達は、君達、前期高齢者にバトンタチしたいのだよ」
 と、鈴木老人は、佐伯に迫るように言った。
「この国は今、危機的な状況にあるように思いますね。僕たちの世代もすでにはみ出し世代ですが、先輩の言われるように、今一度、青春を取り戻したいですね」
 佐伯は鈴木老人の誘いに乗って来たようであった。
       
             三 
  この数カ月後、増本が倒れたという知らせが、奥さんから鈴木に寄せられた。脳溢血だった。なにしろ突然のことだったので、本人も奥さんも、何が何だか分からなかったが、異変に気付いて、飼い犬がけたたましく鳴いたので、隣家の人が来てくれて、救急車を呼んだという。
 最近、病状が落ち着いたので、鈴木と佐伯が自宅療養中の増本を見舞った。医師の往診と介護を受けている。右半身の手足不随があって行動に支障をきたしているだけではなく、言語も不明瞭である。尤も、ゆっくりとしゃべれば、普通に会話ができるので、聞く方がそれを心得ればいい。
 佐伯は、この状況を見て、自宅療養を難しいと察した。奥さん一人の手に負えるものではない。奥さんも後期高齢者で、腰痛を抱え込んである。杖なしには外出もできない。病院には長くは置いてもらえないので自宅療養になったのであるが、出来れば施設に引き取ってもらった方が、患者本人のためにも奥さんのためにもいい。長男夫婦は東京に住んでいてしかも共働きである。とても介護に帰っては来れない。
 佐伯は、介護の経験を積んでいるので、患者に対する介護メニューにも詳しくなっている。鈴木先輩に勧められて、定年後の再就職で勤務する今の施設に、増本先輩を受け入れることになろうとは思いもしなかったのであるが、受け入れざるを得ない現実が今、目の前にある。
「鈴木先輩に相談があるんですが、増本先輩を私どもの施設に受け入れさせてもらった方がいいと思うんです」
 と、佐伯は周囲には気付かれないように、鈴木の耳元に、低い声で静かに言った。鈴木は聞き終えると頷いて、
「そうしてもらえばありがたい。奥さん一人では介護しきれないだろう」
 と、これもまた、佐伯の耳元に、声を落として言った。
 このことは、翌日、鈴木から奥さんに、内密の相談として伝えられた。奥さんは、これから増本の介護をヘルパーにお願いするにしても、二十四時間毎日というわけにはゆかないのだから、自分にかかって来る負担の重さが気になっていた。だから鈴木の話は最高の助け船のように思えたのであろう、返事を待っていた鈴木のもとに、一日置いて、お願いしますと返って来た。鈴木が念のために、増本自身の気持ちを直接に尋ねると、
「僕が家にいたのでは、家内が迷惑する。腰痛を抱えた家内では僕の看護など出来るものではない。佐伯君が働いている施設であれば、安心して行ける。是非、世話してもらいたい」
 と、言う返事が返ってきた。鈴木は、そのことを佐伯に報告して手続きを進めてもらうことにした。
 増本が、佐伯の勤める施設に入居したのは、それから間もなくのことであった。この話の相談を母から受けた長男夫婦は即座に賛成したそうである。自分たちが介護のために東京から帰って来ることは、初めから考えてもいなかったのである。
 
 入院後、増本は、自ら積極的に、リハビリに励んで、予想よりも早いスピードで回復する。人の世話になりたくない、人に世話をかけたくないという思いが非常に強いのでしょうと、リハビリの医師が言った。数カ月で、退院の許可が出るまで漕ぎ着けたのである。
 退院間近の初秋の日に、森の公園で、バーベキューをした。集まったのは、増本と奥さん、鈴木、佐伯、リハビリの医師と看護師、長男夫婦である。
「増本が、この日を迎えられましたのは、皆様のおかげです。ありがとうございました」
 と、奥さんが最初にお礼を言った。そのあと、医師が、リハビリの経過を説明し、今後は、自宅で療養を続けてくださいと結んだ。
「もう大丈夫だから、心配しないでくれ、迷惑をかけて申し訳ない」
 と、増本が、たどたどしい口で言った。奥さんは増本に付き添うようにしているが、本人はそれを払いのけるような所作をする。
「さっそくはじめましょうか」
 と、佐伯が口火を切って、わいわいと、楽しい雰囲気になる。宴もたけなわのころに、
「佐伯君に乾杯しよう。彼の人生転換のための再就職が増本を救ってくれた」
 と、鈴木老人は満悦である。
「定年後の人生に迷っていた私に、針路を示してくれた先輩にこそ乾杯です」
 と、佐伯がジョッキーを挙げながら応える。皆も総立ちになって乾杯する。
「奥さんのご苦労にも乾杯だ」
作品名:逆光 作家名:佐武寛