小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

その前に窓を閉めさせて

INDEX|1ページ/1ページ|

 
『その前に窓を閉めさせて』

Y市は古い城下町で、町全体が緩やかな坂の上にある。市の西北には古い寺が集まっていて、その先に貧しい学生や飲み屋のホステスやら少し怪しい連中が住む古いアパート群がある。
三年前のことだが、大学生のマモルは、そんな古いアパートの中でも、一番安いアパートを選び、さらに一番安い部屋を選んだ。そこは昼間でも日が当たらず、年から年中湿っぽい一階の部屋である。隣は幾分新しいアパートである。今年の春先、その隣のアパート二階に若い女が借りた。マモルの部屋からみると、正面に位置する部屋である。ずっと空き部屋だった。ずいぶん前に女がカミソリで自分の首の動脈を切り自殺した部屋だということで、長い間、借り手がなかったのである。

マモルは女が引越ししてきたことは何となく分かったか、どんな顔をして、何をしている女なのか知る由もなかったが、引っ越してきた数日後のこと、朝、マモルが何気なく洗濯物を干していると、同じように洗濯物を干している二階の女性とばったり視線が合った。彼女が微笑んだ。美しい顔をしていて、マモルの脳裏に鮮やかに焼きついた。マモルは直感的にどこかアサガオに似ていると思った。化粧気のないが、端正で美しい細い瓜のような顔立ちは、どこか狭い路地裏でひっそりと咲いているようなアサガオの花を連想させたからである。

翌日の昼過ぎ、マモルがアパートを出ると、隣のアパートに住む例の美女が道端で立っている。何か戸惑っている様子だった。
「どうしたんですか?」と声をかけた。
その時、一陣の風が吹いてきた。彼女の長い髪が風にもてあそばれた。一瞬いい匂いが彼の鼻先に漂った。その時、胸のときめきを感じだ。
「駅に行きたいの。どう行けばいいのか、分からない。ごめんなさい。マキというの。窓越しに一度顔をあわせたから、知っていると思うけど、隣のアパートに引っ越してきたばかりだから、よく分からないの」と困った顔をした。
車が通る大きな道に行くには、幾つも細い路地を通らなければならないため、初めて移り住んだ人はよく迷う。
「僕はマモルといいます。三年前からここに住んでいます」
「大家さんに道を聞いたんだけど、私って、方向音痴なの。だから、どう行けばいいのか、よく分からない」
「歩いて行きますか?」
彼女は微笑んだ。
「歩いて行けるなら、行く。遠いの?」
「かなり遠いですよ。バスで行きますか?」
「バスで行く。タクシーより安いでしょ? 今、お金に困っているから、安く行きたい」とマキは言った。
「じゃ、案内します」
バス停まで案内した。それが始まりだった。それから、何度か、一緒にデートをした。やがて、マモルは恋心を抱くようになった。

夏が始まった。
休日の夜である、マモルはよく窓を開けて寝た。
ふとしたことで目を覚ました。時計の針はもう午前二時を回っている。虫の鳴き声に混じって何やら話し声が聞こえる。マキの部屋からだった。そっと、うかがった。彼女の部屋も窓を開けてある。薄いカーテンを透かして女の姿が映った。一人の男と向かい合っている。何やら楽しげに会話をしている。ふと、黙る。明りが弱くなる。部屋の中が分かる程度の明かりになり、二つの影は一つになった。その時の様子がマモルの脳裏からずっと離れなかった。顔の分からぬ男に嫉妬しながら夜を明かした。
夜が明ける頃、偶然にも男が窓を開けるのを目撃した。
窓を背に、「三万か。高いな」と言いながらマキに金を渡す。
「嫌なら。これでおしまいにしてもいいよ」
「いや、高いけど、また来る」と言って男は笑った。
「静かにしてよ。まだ六時前よ。みんな寝ているから」とマキが小さな声で言った。
マキが売春めいたことをしていることが分かった。

昼下がり、本当のことを知りたくて、マモルはマキを訪ねことにした。部屋をノックすると、マキが浴衣姿で迎えた。その日は夏祭りの日だったのである。
「聞きたいことがある」と言うと、マキは部屋に上げた。
部屋のドアを開けると、チリーン、チリーンと風鈴の音がした。
窓の向こう側に青い空があった。金属のような硬い青い空。一片の雲もない。
風船があった。
「風船どうしたの?」
「これ? 祭に行って、面白そうだったから買ってきたの」と風船を差し出した。
「売春をしている?」と単調直入に聞くと、
マキは青ざめた。
「昨日の夜、男を泊め、帰るとき、男は三万円渡した」
「見ていたの?」
「見ていた」
「どうする気?」
「大家さんに言う」
「それだけは止めて。もう、行くところがないの!」
「どうして君みたいなきれいな人が」
「わけは聞かないで」
「君ことが好きになったのに」とマキを抱きせた。
細くて折れそうな体だ。
「俺のことは嫌いか?」とマモルは聞いた。
「嫌いじゃない。いいえ、好きよ」
風鈴の音が気まぐれになる。
「いい音だな」
「きれいな音でしょ? 何だか子供の頃を思い出す」とマキも呟く。
マモルははっとした。同じように幼い頃を思い出したからである。……遠い日の夏、母が買ってきた風鈴、母と添い寝をした夏。チリーン、チリーンと風鈴の音が家の中を駆け抜けた。もう戻らない貴い夏。
「いい音だ」とマキを抱き寄せた。
風鈴の音を聞きながら、マキの匂いを嗅いだ。石鹸の甘い匂いがした。
「君を抱きたい」とマモルが言うと、マキは顔を赤らめた。
「本当に? どうして?」
「好きだから」
「でも、見たんでしょ?」
「もう忘れた。ただ、今は抱きたい」とさらに強く抱きしめた。
 マキはほほ笑んで彼の手を振りほどいた。
「その前に窓を閉めさせて」と言って窓をしめた。
それからだ。二人が週に何度か愛し合うようになったのは。