小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

拝み屋 葵 【参】 ― 西海岸編 ―

INDEX|2ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

(序) 拝み屋 in LA


 三十畳はあろうかという大きな純和風の部屋で、奥にある簾に向かって深々と頭を下げる和服姿の女が一人。

「出発の準備中にすまんな」
 簾のさらに奥から、荘厳な声が響く。
「準備やと言うても、ウチが用意できるんは着替えぐらいですによって」
 女は顔を挙げて姿勢を正す。
 正座したその姿はあまりにも凛としていて、軟らかな語調とは正反対の緊張を周囲にもたらしていた。
「次の仕事の話なのだが、別件を同時進行してもらうことになった」
「ウチやったら構いまへん。どちらさんからのご依頼ですやろか?」
 オホン、という咳払いが一つ。
「日下部教授の元同僚の教え子の友人が監督する映画の制作を担当する男からの、依頼だ」
「お師匠はん。すんまへんけど、もっかい教えてもろてもええですか??」

「……二度は言えん」


 ―― 二日後

「当機は関西国際空港発ロサンゼルス国際空港行きでございます。お座席にお座りの際は、座席ベルトをお締めください。お手荷物は、前の座席の下、または頭上の物入れにお入れください。壊れやすいお荷物は、前の座席の下にお入れくださいますようお願い致します。機内は禁煙です。おタバコはお控えください。座席のリクライニング、フットレスト、テーブルは、離陸後安全サインが消えてからご利用ください。当機の離陸時刻は十五時三十分を予定しております。ロサンゼルス国際空港到着予定時刻は現地時刻十一時十分。時差はマイナス十七時間。飛行時間は十二時間四十分を予定しております。悪天候等の理由により到着が遅れる場合がございます。予めご了承くださいますようお願い致します」

 関西国際空港を飛び発った飛行機は、太平洋上の高度三万五千フィートを時速九百三十五kmで飛行する。
 機内の乗客は、毛布に包まり熟睡する者、イヤホンを耳に音楽や映画を愉しむ者など様々だ。

 何事もなく時は流れ、飛行機は二十分遅れでロサンゼルス国際空港に着陸した。
 到着ゲートから続く長い廊下を歩き、ようやく辿り着いた階段を降りて一階へ向かう。すると、入国審査を受ける順番待ちの行列が視界に飛び込んでくる。
 何処からともなく、間違いなく人生で初めて耳にしたであろう言語で発せられた罵声が響いてくる。
 多くの者は無関心を装い、無関係を貫く。それはこの国で身を守る確実な方法の一つだった。
 だがそこには、別の意味で無関心である人物がいた。誰もが迷惑そうに身を縮める中にあって、ただその人物だけが微動だにしていない。
 後ろで一つに纏めた黒い髪。タンクトップにミリタリー調のカーゴパンツ。足元はふくらはぎまでの黒いブーツ。

 その人物に入国審査の順番が回ってきた。
 審査官は事務的に質問する。

「What do you do?」
(職業は?)

「My occupation is “OGAMI‐YA”」
(ウチは、拝み屋さんや)

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十三歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、“世界各国”どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、師匠の一存で流儀が変更されようとも、彼女にはとやかく言える権利などないのだ。

 今回彼女が向かった先は、遠く太平洋の向こう、北アメリカ大陸西海岸。
 カリフォルニア州ロサンゼルス。
 日本では「ロス(Los)」という略称で呼ばれることが多いが、英語圏ではその略称を使用していない。“Los Angeles”という名称は、複数の天使という意味を持つスペイン語に由来するものであり、“Los”はスペイン語の男性定冠詞であるため、何の意味も持ち合わせていない。
 リトルトーキョーは、このロサンゼルスのダウンタウンにある。
 また、ディズニーランドは一つ隣(南東)のオレンジ郡アナハイムにある。
 *  *  *

「ようこそロサンゼルスへ」
 入国審査、手荷物受取、それから税関を経て、ようやく空港を出ることが許される。
 入国許可の印を貰った葵は、そこで大きく伸びをする。約半日間使われずに凝り固まった筋肉をほぐし、酸素を送り込む。
「もう行っていいですよ?」
「あ、えろうすんまへん」
「だいぶお疲れのようですから、ロビーのカフェで一息ついて行くといいですよ。観葉植物に黄色い花が咲いていてキレイでしたよ」
「ほな、そーさせてもらいますわ」
 カフェテリアは到着ロビーの出口向かって左側にあった。
 葵は迷わず歩を進め、黄色い花が咲いている観葉植物に一番近い席に座った。つい先ほどまで誰かが座っていたことを示す生温かい座席の感触がなんともムズガユイ。

「お願いしてたんが準備でけたーいうことやろか?」
「早ければ早いほど良いという話だったからな」
 独り言のように発せられた葵の言葉に、背後から返事が届く。
「こないな手の込んだことせぇへんでもえぇんちゃいますの?」
「お互いの身を守るためだ」
 背中合わせに交わされる言葉は、カフェの雑踏に溶け込む。
「イケメンでもない限りは、獲って食ったりはせぇへんよ」
「これ以上の無駄話は主義に反する」
 葵が言葉を交わしている相手は男。声から判断する限りでは、太りすぎでも痩せすぎでもない健康的な中年男性。
 他にも、言葉のイントネーションなどから、出身地や現在の生活区域を割り出すことも不可能ではない。たった二言三言の会話であっても、そこから得られる情報は多いものだ。
「ほんなら、これをその場所でごにょごにょしてや」
「ウェイトレスに渡せ」
 すぐにメニューを持ったウェイトレスがオーダーを取りにやって来た。
 葵はメニューを開くと迷わずにベーグルとマキアートを注文し、一辺が五センチ程度の小さな紙を挟んで差し返した。
 その僅かな間に、葵の背後に座っていた男は姿を消している。

 だが、当の葵はそんなことは気にも留めず、ついさっき注文したばかりであるベーグルの到着を待ち侘びていた。
 しっかりとした皮が噛み応えのあるベーグルは、ニューヨークスタイルと呼ばれ、北アメリカに広く普及している。日本でも売られているが、原料が違えば味も変わるものだ。

「まずは一つやっつけたで」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。