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眼の部屋

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私が連れてこられたのは、白い壁紙の上と、床と天井全てに、おびただしい量の眼が描かれた、シンプルだが奇妙で、真っ白な部屋だった。狂気的といえばやや言葉足らずだし、異常と表現するには、些いささか大袈裟だろうと思う。しかし、その中で私が最も驚愕きょうがくしたのは、部屋一面に描かれたデザイン群の瞳孔どうこうが、私を追って蠢うごめいていることだった。

私がこの部屋に連れてこられたのは、今から2日前になる。友人から、20万円支払うので、ここに1週間だけいてほしい、と言われたので、仕事を辞めたばかりで金に困窮こんきゅうしていた私は、それをあっさりと承諾してしまった。

ここに来てから色々な事を考えていた。すると、この部屋にいることが何故、20万円の価値に繋がるのか、ということよりも、やはりこの動く瞳孔の方に疑問の眼は向けられた。暇を持て余すついでに、その総数を数えてみると、壁一つに対して規則的に、約1万個、それが部屋全体、つまり、壁4面と床、天井にあるから、約6万個の目に見つめられている計算になる。なるほど、気が弱い人間なら、1週間ともたずに発狂してしまいそうだと思った。だが、私は奇妙なデザインや現象が好きなタチだったものだから、部屋の中で過ごす上で、それらが嫌になることは一度も無かった。

4日目、私をここに連れてきた人間が、私の顔を見にやってきた。すると、少々意外そうな顔をした後、何も言わずに笑いながら帰っていった。この時、何故彼が部屋の扉に鍵を掛けていったのかを問い詰める機会は、ついにやってはこなかった。

1週間が過ぎたが、彼は一向に姿を現さなかった。窓が無いので外の景色も分からなかったし、ドアの向こう側に対して大声で呼びかけてみても、返事は一切無かった。ドアノブをガチャガチャと捻ってみたり、壁の眼球を蹴りつけてやったりしたが、ドアは依然沈黙を続け、眼は壁のデザインであることに確固たる自信をもっているかのような毅然きぜんとした態度で、冷静に私を見つめていた。

2週間が経つと、デザイン達は、瞳孔だけでなく、自由に眼球ごと、壁を動き回るようになっていた。なにやら眼同士でアイコンタクトをとったり、笑っているような仕草も見られた。彼も姿を現さなかったので、手持ちの飲食物が尽きてしまった私は、命の危機を感じ始めていた。

それからさらに3日が過ぎた。眼は相変わらず動き回っていたし、彼の登場という劇的なプロットも、徐々に、その形を失くしつつあった。

死を覚悟しなければならない程、時間が過ぎたと思う。呼吸は荒み、空腹は胃袋を食い破って、喉の虫が潤うるおいを求めてゾワゾワと這い回った。そして、眼達にも変化が現れた。それらは、徐々に「瞑つぶりはじめていた」のだった。その行為は、死人を悼いたむようで、安らかな逝去せいきょを促すようで、私の未来を決定づけてしまったようでもあった。不気味、苛立ち、無力感、あらゆる感情が生まれては消えていく、なんとも言えない雰囲気、空気の重たさだった。その空気に溺れていくにつれ、全身が弱っていくのを感じ、やがて同じように、私も眼を瞑らざるをえなくなった。

どれほどの時が過ぎたか、大勢の喋り声が聴こえる中で私の眼は開いた。同じ部屋だったが、今度は壁の中にいた。向かい側の壁には同じようにたくさんの眼があり、横にもたくさんのそれの存在を感じた。喋り声は、その眼から聴こえていたのだった。私は眼になっていた。

あまりにもたくさんの声が聞こえてくるので、肝心の内容までを理解することはできなかった。何も事態を理解出来ていなかった私は、取り敢えず待機する事にして、何かが起こるのをじっと待っていた。そして、何分待ったか、事は動いた。

 ドアの軋む音と同時に、眼達のどよめきが部屋に充満した。ドアの向こうからやってきたのは、私を誘いこんだ男、それにもう一人の知らない男だった。連れられてきた男もまた、私と同様に何かしらの甘い蜜に釣られてやってきたようだった。私はそれを見て、嬉々と心配の入り混じった、複雑な心境になった。

 男はこの1週間をなんとか踏ん張っていたようだったが、私たちが動けるようになってモゾモゾしだすと、忽たちまち発狂し、舌を噛み切って、自ら命を絶ってしまった。

 その彼の遺体はどうなったかと言うと、彼が亡くなったと思われた瞬間に、文字通り床に沈んでいった。かと思うと、眼だけが床のデザインのように浮かび上がってきた。私もあのようにしてここの一員になったのかと思うと、合点がいったような、なんだか安心したような気持ちになり、不思議とそこに一切の不快感が沸いてくる事はなかった。

 どれくらいの時が過ぎていったのかは既に大事なところではないが、ここでの生活は快適そのものだった。壁の隅の、唯一“眼を合わせられる”空間で出会った眼と意気投合したり、腹の空かない自由さにちょっとした心地よさを覚えたり、生きていた頃のつまらない人生なども、すぐに忘れる事が出来たりと、人間的な拘束が一切無かったからだ。

 何十年か経ち、私はふと気付いた。一向に眼の数が変動している気配が無いことに。つまり、6万人以上になっている気がしないのだ。私は、なんだか無性に、それが放っておけない重大な疑問のような気がして、それについて考えずにはいられなくなった。一人で考えていても埒が明かないと思い、取り敢えず友人の眼に相談することにした。

 友人を探して半日ほど壁を移動していたが、一向に出会える気配が無い。一日中探し続けたが、ついに見つからなかった。6万人もいるのだから、すぐに見つかりはしないだろうと、割り切って眠りについた。

 翌日眼を覚ますと、心なしか、少し自分の視界が狭まっているような気がした。自分自身が壁の奥深くに沈み込んでいるようだった。事実、私は壁にほとんど沈んでいた。その時にようやく私は、自分がこの部屋から消えていこうとしている、という事実に気付いたのだ。こうして眼の数は維持され、この部屋が成り立っているのだと理解した。しかし、そこに恐怖は無かった。この世界への執着、愛、魂のようなものが綺麗に浄化されていくのを、無くなってしまった体で、脳で、感じられたような気がしたからだ。

 薄れゆく意識の奥底に、聞き馴染みのある、ドアが開いて軋む音と、その時生じる微妙な振動とが、水泡のように浮かび、消えていった。
作品名:眼の部屋 作家名:一弥