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竜が見た夢――澪姫燈恋――

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第二章   特別という異端




 見ているだけかと思われた女は、二人の間にある硬直も破った。
『巫女よ、我は喉が渇いた。神酒を持ってきてくれまいか?』
「え……あ、はい。畏まりました、主様」
『それとこの己が身を省みぬ愚か者のために薬草などを持ってきてやるが良い』
「はい」
 従順にうべない、瑠璃は衣擦れの音だけをさせて部屋から立ち去った。
 残された人と、人ならざる者。
 口火を切ったのは人の男だった。
「御身は竜であられるのですか?」
『いかにも。我は水の竜、そしてあの子は我が巫女じゃ』
「あの……」
『何かを問うより先に名を名乗ってはどうじゃ、無礼者』
 ともすれば傲慢としか取りようのない物言い。なれどその身が神であれば当然と言うよりほかなく。戒は僅かに頭を下げた。
「失礼をいたしました。私は戒と申します。助けていただき、感謝しております」
『その礼は我が巫女に与えよ。眠るそなたをずっと看ていたのだからな』
「……私は、竜も竜にお仕えする方にも初めてお会いいたしました」
 だからなんだと、蒼い目が冷ややかに戒を見下す。
「竜にお仕えする方は皆、ああも己が感情に無知であられるのですか?」
 少女の、竜と同じ色をした双眸を思い出す。
 心の奥底で揺れる感情に気づかず。無意識の中でそれを抑えつけ。
 結果、表面には感情らしいものがほとんど現れない。

 戒が生まれ育った部族は武の一族だった。そのために幼い頃から様々な訓練を受ける。
 感情の制御も多少はあるけれど、それは己のうちにある感情の名前を正しく知った上で行われる。
 だから彼の部族の子供たちはみな表情が豊かで。自分の今の気持ちが分からないということはない。

『いいや。あの子は我の力が馴染みすぎた、それだけのこと』
 戒の内心を推し量るように目を眇めたまま、淡々と竜は答える。
『ゆえにあの子は両目とも色が変じてしまった。あの髪から察するにさぞ美しき黒曜石であったろうに、惜しいことよ』
「目の色が……?」
 竜の言葉を繰り返して、ふと聞きかじりの知識を思い出した。
 竜に使える者は、その片目が竜と同じ色であると。
 いわく、北は玄(くろ)、南は紅にして東は蒼、そして西は白と。それは竜の力の反映を意味し、ゆえに馴染みすぎたかの少女は双眸が……。
「しかし……」
『――そなたが何を思うているか知らぬが』
 独白のように呟く戒に詰め寄り、竜はその太い首に手をかける。
 女の姿を取ろうともその身は人にあらず。鍛えた男の首であろうともたやすく一ひねりできる。
『そのように他者を気にかける余裕があるのかえ? ――罪人よ』
「――っ!」
 硬くなった戒の表情を見て神は嗤う。
『我とてそこまで非情ではない。我が巫女が手当てをしているゆえ、傷の癒えぬそなたを追い出そうとは思わぬ』
 だが、傷が治ったら?
『そなたは逃げているのだろう?』
 男の目に激情が宿る。心情を読み取られることへの、そして自らへの怒り。
『そなたは旅人じゃ。傷が治ればまたいずこなりとも行くのであろう、ここから去るのであろう』
「……」
『瞬きのように短い時間しか共にせぬ者がいらぬ気を回すな。その余裕もないくせに』
 ただ案じるだけならば誰にも出来る。しかし行動しないのなら、行動できないのなら。
 それは残酷な結末しか生まないのだから。
『留まらぬ者はあの子に何もしてやれぬ。ならば何も聞かず、気にかけず。ただ己の身を治すことだけに専念するがいい』

 そして立ち去れ、と。

 そこに在るだけで畏怖の念を抱かせる「もの」は命じた。


 日ごろから鍛えていたおかげか戒の傷は順調に癒えていく。
 竜と巫女が住まう宮には雑務をこなす者もいて、そういった者が戒に食事を運び、包帯を変えるなどといった世話をやいてくれていた。
 それらの厚意――と言っていいのかは分からないが――をありがたく受けつつも、戒の心には最初に会ったきり姿を見せぬ巫女の少女が残っていた。
 傷がある程度癒えたら動きたくなる心情を察したのか、宮の一部と庭であれば出歩いて構わないと、その日戒に食事を運んだ娘が言った。巫女がそれを許した、と。
 どこか怯えた様子で瑠璃からの言葉を伝える少女に礼を述べる。
 少女が立ち去ると、早速とばかりに彼は立ち上がった。
 歩き出さないうちに顔をしかめる。思っていたよりも筋肉が落ちている。
「今仕掛けられたら終わりだな……」
 自嘲を零し、どこかに身体を動かせる場所はないだろうかと考えながら部屋を出た。
 神の宮であるからだろうか。続く廊下はとても静かで、足音を立てるのが忍ばれる。もとより音を殺して歩く性(さが)を持つのではあるけれど。
 聞かされた道をたどり、庭を目指す。幸いにして戒がいた部屋からはそう遠くなかった。

「――っ……」

 天気は雨。緑は色を濃くし、池は絶え間なく波紋を広げる、その中で。
「何をしておられる!」
 一人たたずむ巫女がいた。
 床を離れたばかりであることも忘れ、履物を探す暇ももどかしく。戒は裸足で庭に下りて少女の傍へ駆ける。
 男の怒声に身体を揺らし、瑠璃は乏しい表情で振り返った。長い髪は濡れ、その重みを増す。無垢な蒼い瞳はいとけなさばかりを強調して。
「……」
 瑠璃が何かを言おうと口を開いたが聞かず、戒は乱暴にその腕を掴んだ。どれだけ雨に打たれていたのだろう、その細い腕は冷たい。
 縁側を濡らしてしまうと、奇妙に冷静なことを考えたのは、少女ともども上がってからのことだった。だが、それよりも。
「何をしているのですかっ。このように身体を冷たくされて……貴方は倒れたいのですか!?」
 大きさこそ抑えられているが鋭い叱咤に瑠璃はまたも華奢な身体を揺らす。けれどそれ以外に変化は見えなくて。
 戒の苛立ちも知らずに巫女は告げる。
「水は、わたしを害しません」
「――それ、は……どういう……」
「わたしは水の竜に使える巫女。雨もまた水にございます」
 雨に濡れようとも体調を崩さない。たとえ流れの急な川であっても、その身を押し流すことはない。
 存在の特異さを教えられ、息を呑む。けれど。
「……それでも、雨に打たれれば寒い思いをしましょう。そのような貴方の姿を見れば案じるものです」
 瑠璃のものに比べればあまり濡れていない己の上着を脱ぎ、少女に羽織らせる。白地に蒼の糸で刺繍のされた千早に、戒の黒い羽織は不釣合いだった。
 男の気遣いに、瑠璃は。
「……わたしは水の竜にお仕えします『巫女』です。人ではありません」
 淡々と、己の真実を述べるのであった。

 竜に仕えるものは常に存在しているわけではない。
 そもそも生まれつき巫女あるいは巫としての力を持つ者は、母親の胎内にいる時分から竜の力によく馴染んだがためにそうなる。
 様々な縁と巡り合わせがかみ合わなければ生まれないのが道理。とはいえ竜の従者の長き不在は世にとって良いものとはならない。
 なぜならば竜の力は強すぎるから。
 竜に仕える者はすなわち、竜の力が世を破壊しないための歯止めなのである。ゆえに、竜は己の従者が長く生まれない折には『今』生きている者の中から従者を選ぶ。