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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅳ

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 美紗は仕方なく部屋の出口へと向かった。ドアノブを少し回すと、扉の向こうから直轄チームの面々の声がますます騒がしく聞こえてきた。金曜夕方という時間帯に入ってきた些細な作業を巡って、メンバー間で仕事を押し付け合っているようだった。彼らにとっては、そんなやり取りも、ある種のコミュニケーションになっている。
「ひとつだけ、業務のことでお聞きしてもよろしいですか」
 美紗は、ドアの隙間から見える「直轄ジマ」の様子を凝視したまま、尋ねた。普段の臆しがちな態度とはまるで違うその口調に、日垣はわずかに眉を上げた。
「家庭環境に問題がある人間は、ここには勤められませんか」
「うちで必要なのは、仕事に見合った能力と真摯な姿勢だけだ。組織を害する可能性がなければ、親族問題に留意する理由はない」
「ありがとうございます。帰ります」
 美紗はにこりともせずに挨拶をし、ドアを大きく開けた。
「鈴置さん」
 能面のような顔が、わずかに上官のほうに振り返る。
「ご兄弟は……確か、いなかったね」
 美紗は短く「はい」と答え、第1部長室を出た。

 騒がしい「直轄ジマ」に戻りかけた時、ちょうど五時になった。館内放送で国歌が流れ始め、美紗はその場で立ち止まった。
 防衛省では、地方部隊と同様に、課業時間の開始時と終了時に、国旗の昇降に合わせて、各棟各部屋に国歌が流れる。曲が流れている間は、制服も背広も仕事を中断し、全員起立して直立不動の姿勢を取るのが慣例だ。入省当初の美紗には、この光景はかなり衝撃的に映ったが、勤め始めて三年目にもなると、国歌の冒頭部分が聞こえると同時に、自然と身体が動きを止めるようになっていた。
 美紗は、部長室を背に姿勢を正したまま、第1部の大きな部屋を見渡した。「直轄ジマ」に近い総務課で、吉谷綾子だけがすでに帰り支度を整えていた。独身時代は大いに夜の街を満喫したであろう彼女も、子供を持つ身となった今は、金曜日の夕方も子供の待つ保育園へと急ぐのだろう。その母親らしいにこやかな笑みを、美紗は遠くからじっと見つめた。間違いなく家族を深く愛している彼女に、もう二年半ほども会っていない自分の父母のことはとても言えない、と思った。