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みやこたまち
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瞼裏の残層1.75 月が小さい

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職員室を出ると、自分がトイレ用スリッパをはいていたことと、今日が土曜日だということに気づいた。僕は、詰襟を着た中学生の姿で、大学のカフェテリアにいた。大勢の学生がトレイに拘束された両腕を小刻みに震わせながら、小腸のように連なっていた。

 トレイに、ゆで卵、肉の塊、サラダ、ハンバーグ、うどん、カツレツ、牛乳、寒天、たらこ、などをのせ続けたが、のせるそばから、床に落ちた。トレイ上を這う無数の沢蟹が、鋏を使って皿を押し出していた。足元を見ると、僕は紺色の海水パンツをはいていて、裸足だった。その足裏が、沢蟹がぶちまけた料理と、料理と共に落下した沢蟹と、誰かが落としたイクラのつぶつぶを、執拗に踏み潰していた。
 もう一度並びなおすと、皿は殺意を持って突き出された。僕はそれらを、沢蟹よりも早く、沢蟹もろとも、床へたたきつけた。波の音が聞こえた。厨房の奥に、誰かの牙を見た。僕はなんとなく恐ろしくなり、トレイに貼り付いていた、ひときれのサニーサイドアップを丁寧につまんだのだが、黄味はあっというまに破れて僕の指を汚した。僕はとてつもない羞恥を感じ、海パンの後ろに指先を幾度もこすりつけたが、ぬめりは取れなかった。

 カフェテラス。それはガラスと鉄骨のパルテノンだ。ドーム天井。噴水。椰子の木とかフェニックスとか、岩を這う蔦植物などが適度に配置されている。その中央に位置する岩場へ、庭師が下半身を固着させ、剪定鋏をジャキジャキやっている。波音が聞こえる。波打ち際から足元までの数マイルは、数ガロンのチョコと何ポンドもの耳が覆っていた。足の裏の違和感は消えない。

 この世界は大きな階段で曖昧に分かたれている。

 下は、バイキング形式の厨房と、レジがある空間で、その間を小腸がつないでいる。ボンネットバスを改造したホットドックの売店や、石窯ピッツアや、サラダバーなどは、少し離れた泉の脇に、ジェラードの屋台と共に並んでいる。これらは、厳格に区分されていて、自由には行き来はできない。ただ互いに監視することができるだけだ。
 階段は半円形で、勾配も緩やかだ。そう、10段かそこいらしかない。上には滝がある。そして、焼きそばや、烏賊焼き、スマート焼きなどの屋台が目白押しだ。みかん箱が大量に積み重ねてあって、その一つ一つの上に、いちいちサングラスが並んでいた。とにかく足裏が、ネトネトしていた。ドーム天井に貼り付いた夕焼けの前で、カラスが一列編隊を組んでいて、くわえた卵を際限なく落としていた。
 
 僕は、会計をあきらめて泉に向かおうと思った。なにしろ足裏がベタベタしていた。だが、トレイにまだ暖かい油粘土を盛大に乗せた友人に呼び止められてしまった。友人もベトベトしていたが、どちらかというと、彼自身が分泌した物のようだった。
 彼が言うには、ここは完全一方通行なので、この行列に並んだ以上は、レジを通過する以外に道は無いのだという。途中で気が変わって、買おうとしていたものを棚に戻してしまった彼の友人は、無数の眼に射すくめられて号泣していたそうだ。3時間半だったという。
 「あいつらが僕の獲物に指でもつっこもうとしたら、そんときは……」
 彼は片手でトレイのバランスをとりながら、もう一方の手で器用に粘土を裏返した。そこではすでに数匹の蟹が潰れていた。そのうちの数匹は、すでに卵をはみ出させていて、粘土には、すでに無数の小穴が開いていた。僕は彼に、必死で礼を言って別れると、つぶれたサニーサイドアップを額に押し当てながら、「財布」という言葉の記憶を懸命にまさぐっていた。

 レジ通過の記憶はない。サニーサイドアップも、なくなっていた。だが、忠告してくれた友人はOという名前だったことを思い出した。そして彼には友人など一人もいなかったことに思い当り、案外、3時間半泣いていたのは、この僕ではなかったかという気もしてくる。
 もしかしたら僕はまだ並んでいるのだ。涙と鼻水と涎と卵とを垂れ流しながら。波の音が止まらない。僕は小腸の最後の一切れだから、がんじがらめにされていた。

 二つの空間は巨大な闇に溶け合った。僕は、小さな紙箱を両手に一つずつ下げていた。それぞれに、ピンポン玉が1ダースずつ入っている。きっと誰かに命じられたのだ。
 ピンポン玉の一つ一つから、キーキーという音がしていた。満月に透かしてみると、内部には小さな蟹が蠢いていた。ピンポン玉の表面はヌルヌルとしていて、捧げ持つ親指と人差し指の間をつるりと抜けて、ポカンとあいた口のなかへ飛び込んできそうだった。だが僕には、頭上の月がピンポン玉より小さいことの方が、よほど優先するように感じられた。満月は海亀の卵のように円く、湿り気を帯びていた。
 
「一ダースのピンポン玉が一ダースの沢蟹だったら、もう一ダースのピンポン玉はなんだ?」

 僕は以前、こんなナゾナゾを聞いたことがあったような気がしていた。それはこの波の音よりも明らかなはずだったが、それを言ったのがO以外の誰だったのかを思い出すことはできなかった。
 それが油断だった。
 1ダースのピンポン玉が、次々と、ポカンと開いた僕の口に飛び込んできた。続いて、もう1ダースも同じだった。

 !1ダースのピンポン玉と沢蟹を飲み込んだ! !さらに1ダースのピンポン玉と 何か まで、飲み込んだんだ!

 僕の身体が小刻みに震えていた。波の音が止まらない。とうとう緑色の塊を吐いた。それは無数の蚊の目玉だ。僕は初めて恐ろしかった。だから裏返ろうと思い、裏返った。
 僕は、24個のピンポン玉の中で、ようやく人心地がついた。そして、そのまま置き去りにされ、そのことさえも忘れてしまって久しい。