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青井サイベル
青井サイベル
novelistID. 59033
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不夜城のかざりつけ 第四夜

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秘密の話をべらべらと並べ立てて、でもそんなことができるのは生きてる間だけ。
まるで下品な女トラヴァドール(吟遊詩人)みたい。


お酒を用意してきました。
焼酎をつめたいジャスミン茶で割ったもの。
そりゃほんとうはブランデーだの苺のフローズンダイキリが飲みたいけど、もう贅沢はできません。
百億貯める予定なので(未定)。



★  小公女の部屋

子供の時「小公女」が大好きで、むさぼるように何度も読んだ。
ことに楽しかったのは主人公セーラが寄宿舎でいきなり貧民の下働きにされ、みじめな屋根裏部屋へ移され、凍えお腹がすいていても
「ストーブにはあかあかと火が燃えていてあたたかいの、そしてテーブルには綺麗なおおいがかかっていて、すてきなごちそうが並んでいて・・・」と想像するところ。
のちすべては現実になり、お話はめでたく終わる。こんな美味な福音書もまたとない。
わたしにとって大切だったのは「信じていれば最後には幸福になる」とか「へこたれない」という部分ではなかった。
「想像が不幸を駆逐する」、という部分だったのだ。
やってみようか?



「・・・外からこの窓を見たら人は、少し訝しむだろう。濃い茶色のすだれが漏らすオレンジの灯りの向うに黒く、浮かぶ影。「こんな遅くに、何をやってるんだ?」
部屋の中は春のあたたかさを知って黙っている。いや、黙ってはいない。
天井にとりつけられたスピーカーが永遠に歌っている。わたしの好きな音楽だけを。ロックンロールを。わたしはそれに合わせて身体を軽く左右に揺らし続ける。
壁は先月業者に頼んで編んだ竹に替えてもらった。PCはひんやりした床に直に置き、わたしはインドの奴隷女のように気楽に両脚を組んで画面をなぞっている。
脇にはちょっと大きく低めのカクテルグラス。水色の氷でできたダイキリ。言いようもないくらい赤く輝くチェリーと、ひかえめに差し込まれたストロー。
深草いろのベッドで眠る夫にも、肩からテディのストラップがすべり落ちるのにも構わず、画面の文字に集中する。それが目下の幸福である限り。それぞれの独りのお楽しみを充実させてから新たに起き、生まれ変わった相手に、お互いの夢だの夜だのを贈り合うのは幸福なことだ。だからわたしは夜を深々と満たしていく。バリ島のランプが暗い床へ、案外鋭いその視線を投げている・・・」


こんなとこだろうか。ああ。現実は違うけど。まあいいや。
そこそこ不幸でもない今は、あまり想像がとばない。マリファナはもうこのご時世じゃ手を出せないし。



★ 前世

クリスマスが好きで好きでたまらない。変な顔をされるにちがいないが、年がら年中小さなツリーを出しっ放しにしていて、ことあるごとに点灯する。
専門店で友達が買ってくれた金の天使と金の星。
赤、緑、黄、青のライト。
グレゴリオ聖歌もクリスマスキャロルも大好きだし、ワム!のラスト・クリスマスもマライアの恋人たちのクリスマスも大好きだ。
十一月にもなるとうきうきそわそわ。先年はうきうきそわそわのあまり、三万円もするボブ・ディランのCDボックス・セットを、だんなさんに贈ってしまった。大満足した。


そうでない時も教会へはしょっちゅう行く。
かかりつけのクリニックの真向かいにカトリック教会があって、待ち時間や帰り際に寄る。
がらんと上に広がる聖堂はいつも静か。控えめなステンドグラス。祭壇にうなだれ、黙とうしてすぐ帰る。人がいなければ少し席に着くこともある。
クリスマス前に行った時には素敵な出来事に遭遇した。
二階のパイプオルガンが讃美歌を奏でていたのだ。時々つっかえる。練習していたのだ。
たまたま一緒に席に座っていただんなさんと顔を見合わせ、(いい時に来たね!)とほほえみあった。


聖書もある。結構読んだ。
それでもクリスチャンにならないのには理由がある。
「キリスト教が戦争を起こしている」こと、
「自分が罪深すぎる」こと、
「『地獄』がある」こと。


しかし同様に神社が好きでたまらない。
流行りの「パワースポット」巡りなんとやらではなく、氏神様。
実家に長くいたので、地元の氏神様が一番好きだ。
結構大きな神社だ。
参道は幅広く、関東でも指折りに数えられるであろうケヤキの大木の並木になっている。
初めて家出をした小学生の時、暮れていく中で神社にいた。
そのうち、樹の「中」から語りかけられた気がした。
(もうお帰り わたしはお前をいつも知っているから またいつでもおいで)。
わたしは樹に抱きついて、すこし泣いた。それからうなずいて、ぼろ自転車を漕いで帰った。
そのころから、姿かたちもわからない日本の神様に対する愛を、たゆまず感じている。大気の中におわすであろう巨(おお)いなる神様を。


地元の人もあまり行かないというか知らないらしいが、拝殿の裏には廃仏毀釈で統一された小さな神社があり、それぞれの神さまがいらっしゃる。
拝殿の真後ろに、わたしは用がある。
樹齢何百年だろう。
もしかしたら、千年は超えるのではないだろうか。
ご神木の巨大なイチョウの樹がある。
その高さときたら終わりがないくらい。枝葉はあまりに美しく巨大な孔雀の羽根のように広がり、幹は大人が何人も何人も手を繋いで伸ばさねば届かない。
樹を見上げ、勝手に話し掛ける。わたしが生まれる前からいて、死んだ後もいるだろうその神様に。
今は祈るだけだ。
名状しがたい自分の望みや悩みでもなく、係累の幸福健康でもなく、世界の平和ですらなく。
ただ、言葉ではない、へたをしたら想いですらない祈りを。


わたしは多分、「神様」を愛してるのだ。
子供の時から。
悪さをしても、いい子にしてても、いかなる時も。
神様はきっと昔、ひとつだったのだろうと思う。
それが人間の愚かしさでばらばらにされただけ。
バベルの塔より、ずっと昔の話。
フレイザーの「金枝篇」に載っている数々の神話より、ずっと昔の話。
人間は「お好み」の、その土地人々に合った神様を求めた。
だから今や神様は地球上でばらばらだ。でも、みんなすばらしい。
わたしの宗教観はパッチワークもいいとこだ。みんなすばらしい。
人間だって。ちがう?


わたしはかつて、きっと、すごく信心深い人間だったのだろう。
今生の前の世界では。





まだ、眠れない。いったん、ブレイクです。
クリスマスツリーを点けました。