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LOVE FOOL・前編

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景色は隔絶された空間からよりリアルな世界へと世間を顧みない魔術師を誘う。
ユースティティアの率いる団員達は皆寡黙で、前だけを一点に見つめる馬の背に騎乗し揃った歩みを繰り返していた。
(面倒な事になった)
深緑の座席に深く身を預け苛々と組んだ脚を揺らし、内心でそう零す
漸くイエソドに戻り、これから自身の魔力を取り戻す術を試す筈だったのにとヴィヴィアンヴァルツは
隣で深刻に俯く同乗者を睨む。
興味の無い国がどうなるかよりも、呪いが何であるかよりも自分の魔力が戻らない事の方が重大なのだ。
何故なら魔力さえ戻れば全てを解決出来る。ヴィヴィアンヴァルツにはそれほどの価値があるのだと、
自分自身がよく知っていた。
無意識に指輪をなぞる、気難しい魔法使いの恨めし気な視線を受けながら当のアストライアは正面に一人座るユースティティアに向き直る。

「確かラモナの王位継は第一親等の血族のみ。…後継者は無事なのか?」
自身一人きりだった到着時と違い、騒がしく変わった馬車の中を落ちつかない表情で瞳を泳がせていた騎士はふいに問うアストの言葉に唇を噛んだ。
薄い灰緑髪の奥から瞳を曇らせ、額に指を当てる。
整った顔立ちに憂いを浮かべ一層、彼の容姿を際立たせた。
「…そうですね、ヴィヴィアンヴァルツが犯人でないのなら無関係な者を巻き込んでしまった事になる。
到着までの間少し状況を説明しましょうか」
「…。」
彼にはヴィヴィアンヴァルツに掛けられた容疑の有無を判断出来ない。
名高き魔術師ヴィヴィアンヴァルツと偶然知り合った騎士アストライアを連れて。祖国、ラモナへ一刻も早く戻らねば。騎士ユースティティアは親を亡くし、悲しみも癒えぬうち命を狙われる幼い次期国王と旧友でもある青年の身を案じ答えた。

++
紫煙とアルコール。オイルの混じった蒸気の臭い。
町を覆う霧の濃度から常時闇に包まれた、この世の汚い物全てが混在した様な町は何度訪れても
馴染めそうにない。

自身を売り物にした女と蔑視ながらも、無しでは生きられない男達の隙間をぬって少女は駆け抜けた。燃える赤に尻尾にも見える長い髪束にメッシュを入れて、一輪の蒼い薔薇をリボンに差す。
鉄の含む煉瓦で舗装された地面を蹴り、可憐で小さな乙女は上等なドレスを乱しながら
町の中心であるひと際派手な看板の掲げられた館の扉を開ける。
咽返る華の香りと甘い人の囁きすら汚らわしい。
少女は売春宿の地下に在る目的地、賭博場の階段へと脚を運んだ。

錆ついて重い入口の向こうには厳つい男達が一攫千金に明け暮れていた。
此処で莫大な利益を得た彼等が生きて帰れるほどの幸運を使い果たしていなければ良いが。
ランプの灯りの中、一見迷子かと思うその幼い顔に心当たりがあるなら犯罪者や裏の世界に精通している者だろう。彼女の背後には彼等が恐れる程の凶悪な存在がある。
その内の一人でもある、館の主人。
中央の円卓でカードを切る女の前に青薔薇の少女はすとんと腰を下ろした。
「国王、王妃は始末し、後継者は我儘放題の馬鹿王子。国を傾ける以外まだ何か要望が?」
その女―。並みの男よりもすらりと背の高いスレンダーな美女は、煙管を咥えたまま嘲笑する。
夜にも劣らぬ深い藍の短髪に緑色の薔薇をあしらったヘッドドレスが彼女のトレードマーク。
大きく胸元の開いたシャツにマーメイド型の衣装が体躯の滑らかなラインを強調していた。

魔女達が集うと、テーブルを囲んでいた配下達はこぞって席を立つ。
手の内で器用に舞い踊るカードを眺め、二人きりになった処で少女が重い口を開き始めた。
「それが、もう一人居たのよ。王宮育ちとは違う、教養ある騎士として育てられた、大人の男がね」
「…。」
紫煙を吐く唇から唸る声と共に、獣に似た獰猛な瞳が細く少女を射抜く。
穏やかな微笑みを冷酷に浮かべる彼女の支配者同様に、目の前の魔女もまた恐怖の対象であった。
いつ魔手を伸ばされるか判らない狂気に身が震える。
無言でこちらを見据える眼光から身を退き、窺う眼差しで少女は云う。
「我らが支配者…あの方は怒りを露わにする事はないけれど。
やり損ねた仕事の続きを望んで…」

「口の利き方に気をつけな。誰が殺り損ねただって!?」
指に挟んでいた長い煙管を円卓が割れる程の勢いで叩きつけ、魔女は胸元から取りだした小銃を
彼女の額に突きつけた。
「狙った獲物は必ず死ぬ。お前も知っているだろう?私の持つ「オーバー・キル」の威力を」
「…っ!」
テーブルを挟んでいるからと油断していた。
卓上に片膝を乗せ、肉迫する表情は此方を仲間だとは思っていない。
この女はいつでも撃鉄を引く。
引き寄せられた痛みと恐ろしさで身が竦み、声が出なかった。
「それとも、お前も生きたまま蛆虫共の餌に成らなきゃ解らない?」

「や…」
じりじりと床から爪先が浮く身体を捻り、懸命に首を振る。
薔薇の冠を抱く仲間のうち、最も殺されたくないと思うのは彼女の能力だった。
一触即発の緊迫した誰もが固唾を呑み息を殺して見つめる空気の中、少女を後ろから抱きすくめる人影があった。
気配の無いそれは、目を凝らすと、灰色のフードを被った青年であった。
彼は魔女の手から蒼薔薇を解放すると膝の上にちょこんと座らせる。
「焦らなくても大丈夫さ、エバーグリーン。僕も、僕の「茨姫」も有能なんだ」
可哀想に、怖かったね。
そう囁き、血の気が失せた頬に青年が口付けると今度は顔中が一瞬で赤く染まった。
「あ…。ありがとう」
「とんでもない。僕はいつだって淑女の味方だよ、気を付けて御帰り、送って行こうか?」
香水のきつい臭いとは異なる、彼の纏う伽羅の香り。
抱きしめられるまま身を預けていたが、注がれた緑の冷めた視線に少女は慌てて絡めた腕を離した。
「ううん、良い。―じゃあ伝えたから!」
要件の伝達が彼女の仕事。
それを終えれば此処に用は無いのだが。
名残惜しそうに青年を振り返れば、とろける微笑みを浮かべ蒼薔薇に手を振る。
此処に来るのは厭で恐ろしいが、こうして彼に逢えるのだから断らない。
爽やかで優しい、彼女の想い人。


「よく云う。淑女の敵、が」
呆れたと腕を組む緑薔薇が吐き捨てると彼は悪戯っぽく指を口許に当て、黒い薔薇の施された額飾りを揺らす。背けた顔から零れる嗤いは彼女だけが知って居るこの男の本性だ。
++

大地と緑と豊かな水源に恵まれた王国、ラモナ。

歴史は他国より古く、科学と魔術とが危ういバランスで自己主張を重ねながらも融合し、
時にはそれが国同士の争いにも発展する混迷した世界で未だ貴族の血統が栄華を誇る。
主人と従者の絶対的な階級社会、昔の悪習が尊ばれる差別の都。
最もそう思うのは余所者だけで、国民は皆それを誇りとしている様だった。
国が豊かで穏やかな証、王族が慕われている証だとアストライアは思う。

しかし自分自身と研究対象にしか興味の無い、イエソドの住人とは対極の、この価値観を
隣に座る魔術師はどう捉えるのだろうか。
また余計な言葉で敵を煽らなければ良いのだが…。

「緑の都…というわりには、随分陰鬱な王都だな」
「…うん?」
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨