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河童問答

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 しかしこの老人、話をしながら頻りと屁をするので心もち堪らぬ。二言三言話すとそのたびに腰を少し浮かせ屁を放つ。その臭いと音が気になって話どころではない。
「釣りはやらんのか?」老人が屁をしながらまた聞く。
「やりませんな」私は素っ気なく答える。
「ほお、そうか」老人が何か感じ入ったようにして深く頷く。
 そうして、しばらく考えるような仕草を見せたあと、また河童の話をはじめた。
 ――翁曰く。河童というものは春になると川に下りてきて棲みつき、盆が過ぎ、秋になると山に上り棲みつくのだそうだ。
「ところで河童というものは海にはいないのですか」たいして興味もなかったが話の流れで私がそう尋ねると、「もちろんいる」と老人が即答する。
「海座頭や人魚などと言われるあやかしどもがそれである。七体集って長じると即ち是が海坊主となる。海に棲むあやかし共、やがて時が来れば龍蛇となって再び川を遡り山へと還る。それが山童である。このようにして我らは循環するのだ」
 いかにもいい加減といった様子でそう言うので、おそらくこれは嘘であろう。まったくどこまでが本当でどこからが嘘なのかよくわからぬ老人である。善悪定かならず。そのありさま妖精の如し。私の不審そうな顔を見ても老人は無表情のままだ。「ふむん」と一つ頷くと懐から薄汚い盃を取りだした。
「ならば、これを飲むといい」
 そう言って老人が私へと向かい、その盃を差し出してくる。見るからに古い盃だ。欠けてひび割れたその盃には透きとおって美しい酒がなみなみと注がれていた。私が一口これを啜ると何か清らかなものが身のうちに広がっていくのが感じられた。
 まさしく〝甘露〟である。
 続けて一息にこれを飲み干した私であったが、見れば、何処からともなく酒が湧いてきて再び盃を満たしていく。
「その酒は尽きることがないのだ」老人が言う。
「それこそが不老不死の霊薬、アクアウイタエである」そう言って老人はまた屁を放つ。
 その後、我々はきゅうりに味噌をつけて食った。
 私は、その後もしばらくこの老人と話したが、ことごとく会話が噛み合わずよくわからぬ。よくわからなかったが、よくわからないなりに楽しい一時であったように思われる。日差しは焼けつかんばかりに熱く、多量の湿気を帯びた大気がぬめぬめと肌にまとわりつく。
 やがて川の上流から青い船がやって来る。
 私たち二人は、この船を黙って見送った。
 最後に、この老人から、「河童が水面から顔だけ覗かせて人の世を見るとき、はたして何を思うか」そう問われた。
 ――私は黙ったまま一度まばたきをする。
 すると老人は、「うむ、確かにそのようなところだ。今の消息を忘れるでないぞ」そう言って、あとはもう振り向きもせず去っていった。
 老人は釣り竿を担いで、街のほうへ向かって歩いていく。楚水悠々流如馬。なるほど。河童とはいえ川に棲んでいるわけではないのだな、と、私は少しだけ感心した。たぶん、あれは神に近いものだ。

 帰り道、逃げ水を見た。ふと路傍を見れば、来るとき助けてやった蝉のやつが引っくりかえって、今度こそ死んでいる。その亡骸に、数えきれぬほど蟻が群がっているのを見て思った。

――自然は循環している。

作品名:河童問答 作家名:有沢捨彦