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お蔵出し短編集

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 1

果てしない草原を埋め尽くすのは実に無数と云うしかない馬と、歩兵達だった。
その姿には老若男女を問わず、しかも、口元には皆等しく笑みを浮かべている。
例えて云うならば、それは『街』が移動するかのような。
しかもそれは、理想郷、黄金郷、呼び名は何でも構わない。
究極の平穏と安寧が支配する、ささやかな諍いや心の歪みをも生む事がない、『共同体』としての極北の姿だった。
ジプシーの集団が整然と規律に則り、軍隊が明るく微笑みを絶やさず、埋め尽くす全体は無数であり、かつ紛れもなくひとつの個であった。
それはあるいは奇跡の体現。
それはひとつところに留まる必要のない街であり、国家。
そしてその中心に、重力の底に鎮座する者は、当然のように極限の存在でなければならない。
その存在は―――

「腹ぁ、減ったなあ」
漆のように黒々と光る毛をした黒馬に跨がり、情けない様子で口元をへの字に曲げ、右手で胃袋の上辺りを撫でていた。
それを聞いて、隣に侍り白い馬に跨がって闊歩する痩せた金髪の優男がゆっくりと頷いた。
「皇帝はお腹が空かれたそうだ」
ふざけるように呟かれた言葉は、どこか楽しげな音を帯びている。
誰かがくすくす笑う声が聞こえる。
女達の笑い声だ。
それはまるで、腹を減らした子供の頼りない戯れ言を『仕方のない者だ』と忍び笑うような、そんなある意味で無礼な笑い声であったのだが、困った事にそこには全く邪気がない。

この社会であり世界の中心を担う、等身大のその男は、実に全く気負いがなかった。
じろりと優男を睨み付けこそすれど、そこにはやはり闘気も邪気もない。
どこまでも、例えて云うならばこの澄んだ青空のように、社会は、集団は澄み切ってそこにあった。

中心の担うその男の元に、一頭の馬に跨がった者が後ろから近づいた。
甲冑に身を包んだその人物は亜麻色の髪の毛を太く三つ編みにしており、男に並ぶと馬の背に括り付けてある革袋から器用にパンを一斤取り出して男に恭しく差し出した。
「すまんな、アゼル」
男は太陽のような明るい微笑みを浮かべ、そのパンを右手に掴み取った。
そしてそのまま口に運び、毟るように豪快に齧り付く。
豪放という言葉がちょうど良い食べっぷりだ。
亜麻色の三つ編みをしたアゼルと呼ばれた女は、頷くとやはり―――掛け値無しの美しい微笑みで―――男を見ると、馬の歩みの速度を落とし、集団の流れに併せて自然とまた後方へ下がった。
「どこへ征かれるおつもりですか」
優男がそっとそう尋ねる。
「そうさなあ」
皇帝と呼ばれたその男は、そう呟いて顎を右手でそっとさすった。
そしてまたパンを一口囓る。
むしゃ、と言う音が気持ちよく優男の耳に届く。
「世界は所謂儂の物だから、どこへ行こうと儂の自由である事には疑いはない。しかし、昨今実は大層に残念な事を聞いた」
皇帝と呼ばれた男がそう呟くのが優男の耳に届いた。
「何です?」
だから、優男は尋ね返した。
「『それ』を信じられん可哀想な者がこの世には居るというのよ。林檎が枝からもげたなら地に落ちるが道理。それくらい当たり前でかつ当然な、この世界の普遍の真理が―――世界は遍く儂の物であるという単純な事実すらが―――理解出来ぬ哀れな者が、西の大地に居ると聞いたのだ」
皇帝のひと言に大地が、いや、大地を覆い尽くさんとする皇帝の兵が、民が、その全ての隙間を充たし尽くすかのように、波紋の如くその意思と意図を広め、広がった。
優男が、すっと右腕を挙げる。
「西だ!」
応、と声が上がる。
たちまちにその声は全ての王の民に広がり、進撃の喇叭となった。
しかし、
その鬨の声は、雄々しくあると共に優しく、圧倒的であると共に優雅で、どこまでもその中心にある皇帝にのみ捧げられる祝砲のようなものであり、この集団が、国家が唯一無二のものである事を全ての存在感で世界に示し続けていた。


作品名:お蔵出し短編集 作家名:匿川 名