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お蔵出し短編集

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それは看板で、あるビルの入口にそっとかけられていた。
タイトルはシンプルで、

『現代美術創作展』

とあった。
小さな個展のようだった。
何しろ名前がそこに添えられているが、ひとつしか書かれてはいなかったのだ。
僕はそれで、何となくそこに足を踏み入れた。
ガラスの自動ドアの向こうで、落ち着いたクリーム色をした壁の廊下を進むと、深茶色のドアが一枚あり、細かな金色のチェーンでぶら下げられたこれまた茶色のパネルには『現代美術創作展』としっかり書かれていたので、そこが僕が目指すところだというのは直ぐに分かった。
僕はそのドアに備えられた銀色のノブに手をかけて、そっとそれを捻った。

室内は、殺風景だった。
壁には絵画が掛けられて、通路のようにして設けられたスペースを仕切るように腰程度の高さをした棚が置かれ、そこにはいくつかの塑像などが展示されていた。
数は決して多くない。
いや、むしろよくこれだけの数で個展を考えたものだと僕は違う意味でため息をついた。
しかしせっかくここへ来たのもきっと何かの縁には違いない。
だから、僕は一点一点の作品を出来るだけフラットな視点を心がけて、旅行で初めて訪れる地で深呼吸をし、そこに漂う空気を味わうような気持ちで眺めてみた。
深く何かをそこに見つけようとかするのではなく、見えたまま、感じたままを胸に刻んでみた。
僕はその中であることに気がついた。
それは、この作者と自分の中の―――一方的で勝手なモノかも知れないが―――『シンパシー』に近かった。
ここに飾られた『芸術作品』の底辺に流れているモノに、僕は自由な何かを感じた。
解放された心とか、魂のようなモノを感じた。
その中でさらに控えめに見える何かや、空気が散り散りにならないようにとコントロールする意図のようなモノすらも感じた。
そうして眺めてみると、それらの作品は、実に面白かった。
『造形』が芸術の基本である僕にとって言葉を編むのは苦手なので、それを『面白い』と言って適切なのかは分からないが、『面白い』という言葉が『心が躍る様』を表すのなら、この作者の芸術は僕にとってきっともの凄く面白かった。
海を行く船の絵はフレームの向こうに大洋を感じさせたし、手首の塑像は何かに触れることをためらうような心情を僕に思わせた。
それで、

多分、一番最後にそれに気がついた。
でも僕はそこで足を止めて、その部屋のあらゆる芸術に目を向けてきた中で、初めて戸惑った。
そこにあったのは壁に掛けられた厚みのあるアクリルパネルで、その上には真っ白なスカートが一枚貼り付けられていたのだ。
そしてその脇には、やはり腰までの高さのテーブルが設置されていて、小ぶりの絵筆が二本水の入ったビーカーの中に挿されており、さらにその脇には新品のチューブ絵の具が何本も整然と並べられていた。

そこに言葉は何も無かった。
でも意図は分かった。

しかし、意図が分かってなお、筆を手に取ることが出来なかった。
何しろ、僕は文章と同じく芸術のためにと絵を描いたことが無かったからだ。

だけど、

僕は乾いていた自分の中の何かに、雨が降りかかるのを感じた。
そしてそのままその個展を出ると、真っ直ぐとあるデパートに向かった。
そこで買うべきモノは決まっていた。
テナントの専門店の中で売られている画材の中に、僕が求めるモノははっきり飾られていた。
それこそあまりにはっきりしているので、思わずそこに光が差しているのではないかと思えたほどだ。
僕は絵の具のセットと絵筆を買った。
流石にビーカーは買わなかったが、水を足せる小皿も併せて買った。

勿論それでも僕は会社をサボるようなことはしなかったし、帰社した後は定時からさらにいつも以上の残業をこなして帰宅した。
でもその間早く帰りたいと胸が高鳴っていたことは事実だ。
その理由は鞄の中に鎮座していた画材の一式と、僕の部屋の棚に飾られた彼女の存在であることは間違いがなかった。
帰宅すると、僕は真っ直ぐに昨日創りあげた彼女の元へ向かった。
彼女は真っ直ぐ背伸びをして、鮮やかなまでに凛々しく、同時に何かが決定的に欠けたままだった。
そして僕には、それが何であるのか、今でははっきり分かっている。
彼女に欠けているのは、きっと色彩の世界だ。
彼女は僕の『着色』をこそ求めている。

僕は彼女をテーブルの上に添え、まじまじと観察した。
その表情は清々しく、微笑む顔はしかし何かを僕に求めていた。
それが何であるのか僕には分かっている。
分かっている。
分かって、いるのに、

筆を握ったまま僕は固まった。
僕の手はなかなか動こうとはしなかった。
なぜだろうかと考えて、気がつくまでしばらくの時間を要した。
つまり、僕の目には、手には、
あるべきはずの『色』がそこに、見えてこなかったのだ。

彼女が求めているモノは分かった。
僕が与えるべきものが何であるかも分かった。
だけどそれは、さてと『具体的な何であるか』までは示してはくれなかった。
だから僕はそのまま彼女と向かい合い、彼女を眺め、彼女の声を聞こうとじっと静かに耳を澄ませた。
暗がりの中に蛍光灯の明かりだけが白っぽく光る部屋で、彼女は僕に何も語りかけはしなかった。
それで、僕はいつものようにステンレスのグラスにジンを注いでみて、口にそれを運びかけた。
しかし、
途中でその手が止まった。
喉を熱い液体が越すことはなかった。
何でなんだろうかと考えて、唐突に気がついたことがあった。
それは『アルコールで鋭敏になった気がする感覚』は、きっと偽物であると言うことだ。
理路整然とした理由など無くむしろ突飛な発想で、その気付きは直感に過ぎない何かではあっても、そういう意味ではそもそも僕の芸術事態はそうしたところから生まれてきているのだから、その『発想』に誤りが生まれる余地はまた、なかった。
だから僕は、注いできたばかりのジンを流し台にすべて流した。
濃いアルコールと薬っぽい独特の臭いが鼻の中を掠めたが、不思議と未練はどこにもなかった。
僕はその上でもう一度彼女と向かい合った。
すると、
今度こそ気がついた。
僕は彼女に訊くべきでは、尋ねるべきではなかったのだ、と。

それはきっと『プレゼント』とおんなじなのだ。
欲しいモノを聞いて与えるのは二番目に最良の方法だ。
人はよく誤解するが、最高の方法と贈り物は、贈る側の想像力からしか生まれ得ないものなのだ。
なぜなら、与えられる側に求めるモノを聞いた時点で、そこから生まれるはずの『驚き』は必然的に制限される。
受け取るモノが『測られる範囲』にある限り、そこから生まれる喜びはその測りの中から出ることが適わなくなってしまうからだ。

僕はこの凛々しい彼女に何を与えられるだろうか?
世界や彼女が好き好むとか、流行や廃りも関係なく、僕が彼女に与えられるものは何だろうか?
そう思うのは苦しかった。
だけど同時に、感じたこともないほど、かけがえすらないほど、楽しくて胸が躍った。
きっと僕はその時、それまでで一番の『芸術』を感じていたのだろう。

一晩があっという間に過ぎた、
作品名:お蔵出し短編集 作家名:匿川 名