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幻燈館殺人事件 中篇

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「いつ作業が発生するのかが分からないような状況であればいざ知らず、元関係者である怜司さんの話によれば、今は使うことのない時期です。にも拘らず倉庫の鍵が置かれているということは、ある程度までは自由に倉庫を使ってよい、という持ち主の意思表示と言えます。流石に倉庫の関係者全員とは言いませんが、関係者の中でも近しい人たちはいろいろと便利使いしていたと思います。そうでなければ、鍵を置いておく必要はありませんからね。鍵の存在を知っている関係者ならば、照明が点されていたとしても、あぁ誰かが使っているのだな、と思うだけでしょう。鍵の存在を知らない場合、それは倉庫の関係者ではありませんから、例え照明が点されていようとも、同じく誰かが使っていると思うに留まるでしょう。更に、倉庫から誰かが出てきても、誰かを呼びに行ったのかもしれないし、別の場所にある何かを取りに行ったのかもしれないのですから、翌朝になってわざわざ確認に赴いた目撃者の行動には、いささか疑問が生じます。しかし、確認に赴いたという目撃者の行動そのものに対して、警察は何の疑いも向けていません。つまり、目撃者は前者でも後者でもないのです。目撃者は倉庫の持ち主、または、管理責任者のような役割を担っている人物、となります。管理責任者であれば、使用申請を受けていなかったので確認に行った、という大義名分を掲げることができますからね。警察に疑われることもありませんし、不法侵入で逮捕されることもありません。さて、話を最初に戻します。被害者である桜子さんは、現場となった倉庫を自由に使える立場にはありません。必然として、怜司さんが見た男、山本刑事の見立てにある浮気相手の男が、あの倉庫を自由に使える立場にあることになります。便宜上、怜司さんが見た男を真犯人と呼びますが、真犯人と目撃者、この二人が同じ条件を持つ人物であることは、単なる偶然でしょうか? 確認することは簡単です。目撃者と倉庫との関係について、倉庫の関係者に話を聞くだけで済みます。もっとも、すでに調査済だとは思いますが」
 花明は、ここまでを一息に話し終えると、深く息を吸った。
「目撃者が森雪乃を殺害した犯人だ、と考えているんだな」
 蜂須賀は、誰に言うでもなく落ち着いた調子で口にする。
「可能性の問題です」
 花明は断言を避ける。自信がないからではなく、証拠がないからだ。
 花明の内に在る、怜司は犯人ではない、という思いは、何の裏づけもない単なる心証に過ぎない。そして、その“裏づけのない単なる心証”に基づいて話が進んでいることの不自然さには、花明自身も気がついている。
 そして、今ここで説得力のある仮説を打ち出すことができなければ、花明の目の前にいる刑事は容赦なく怜司を被疑者として拘束するであろうことも分かっていた。
 蜂須賀が、味方をする、と言ったのは嘘ではない。嘘ではない証拠に、こうして猶予が与えられている。
 怜司を守るためには、僅かの可能性、些細な不自然、どんなに小さな穴も、どんなに微細な亀裂も、何一つとして見逃すことはできない。
 思考を巡らせる中で、六年前にもこんなことがあったな、と花明は思った。
 犯人として疑われ、藁にも縋る思いで打ち立てた仮説は、花明自身でもそんな馬鹿なと笑ってしまいそうになることがあった。無関係な第三者であれば、きっと笑い飛ばすだろう。
 ここ数年は、そんなことを考える暇もないぐらいに目まぐるしい毎日であったが、改めて思い返してみても、よくぞ切り抜けられたものだ、と我が事ながら感心するしかない。
「何か?」
 蜂須賀は花明に現れた機微を見逃さなかった。
「いえ、以前にも似たような状況になったことがありまして。今回の件とは関係のないことです」
「分かった」
 蜂須賀は、ちら、と怜司に視線を飛ばしはしたが、それ以上は追及しなかった。
「別の方向からも考えてみたのですが」
 花明は意識して口調柔らかに話す。
「動機は愛憎の縺れだということですが、その場合、犯人の怒りは恋人の女性よりも浮気相手の男に向かうものではないでしょうか?」
「ははっ」
 花明があまりにまじめに話すので、蜂須賀は失笑してしまった。
「先生はどうやら男女間の問題には不慣れのようだ」
「否定は……しません」
「動機が愛憎の縺れであれば、恋人ではなく浮気相手に向かうはずだ、だから久瀬蓮司は犯人ではない、と、こう言いたいのだな?」
「可能性の問題です」
 花明は同じ言葉を繰り返した。
「愛憎の縺れにおいては、その憎しみが浮気した恋人と恋人の浮気相手とのどちらに向かうか、誰にも分からない。仮に、裏切られた怒りが強ければ、憎しみは浮気した恋人に向かうだろう。恋人に対して盲目的な愛情を抱いていれば、浮気相手に向かう。巷ではそんなふうに囁かれているが、何の確証もないし、例外も多い。双方に怒りをぶつけ、最後には自分も命を絶つ、なんてこともある。一つだけ言えるのは、男女の仲には他人が口を挟むもんじゃない。碌なことにはならん」
「それは経験上、ですか?」
「そうだな」
 蜂須賀はあっけらかんとして言い放った。
 蜂須賀は、いわゆる美形と呼ばれるような顔立ちではない。だからといって造りが荒いわけでもない。表情の変化に乏しいため傲岸不遜な印象を持たれやすいが、整った身嗜みや常に余裕のある立ち振る舞いによって、危険な香りを身に纏う男、という一つの魅力となっている。
 人当たりの良い笑顔を振り撒く花明とは対極にあると言ってもいい。
「実は、真犯人が桜子さんを殺害した動機について考えていたんです」
 花明は、急須に残っていた茶を自分の湯呑みに注ぎ、立ち上がった。そうして湯の補充を行いながら話を続ける。
「僕がもらった手紙では、桜子さんは妊娠を喜んでいました。そのことから、桜子さんが浮気をしていたとは考えにくい」
「そうだとすれば、部屋にいるとき不機嫌だったのはどういうことだ?」
 怜司が鋭く問う。
 浮気をしていなかった、という言を否定するための問いではなく、単純な解明を求めたものだ。
「妊娠初期は情緒が不安定になると聞きます。妊娠したことを言い出せない自分に憤りを感じていたのかもしれません」
「だが、男と会っていた」
 蜂須賀が指摘を入れる。
 怜司では言いづらかろうと気を利かせてのことだ。
「深夜に男と会っていたことは事実ですが、桜子さんはそんなつもりで会っていたのではなかったんです。これは推測ですが、怜司さんが職を失っている状態でしたから、お金に関する相談だったのではないかと思います。子供を産むとなると、何かと入用になりますから」
「相手の男だけがその気になってしまっていた、と」
「はい。桜子さんに拒絶されたことで逆上し、犯行に及んだ」
「となれば、突発的な犯行だ。それでは凶器の説明ができん」
 犯行現場は資材倉庫。事件後の現場検証では、木槌や金槌などの工具は確認できた凶器となるような刃物の類は置かれていなかったことが確認されている。突発的犯行であれば、もともと倉庫にあったものを犯人が凶器として使用し、そのまま持ち去ったことになる。
 蜂須賀が言わんとしていることはこうだ。
作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近