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幻燈館殺人事件 中篇

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「では、先ずは桜子さんが殺が――」
 ぐぅきゅるるる、と盛大に腹の虫が鳴いた。
 花明と怜司は、互いに顔を見合わせる。
「安心したら、気が抜けてしまったらしい」
「僕も、お昼を食べ損なっていました。何か入れておきましょう。学内に食堂が――」
「できるだけ人が集まるところは避けたい。それに、持ち合わせがない」
「僕が何か買ってきます。しかし、ここは飲食が禁止されていますから、僕の研究室に行きましょう。それに、お見せしたいものがあるんです。お金のことは、貸しにしておきますから、いつかきっと返してください」
 花明はにっこりと笑って立ち上がり、インバネスを羽織った。

 図書館を出た二人は、急く気持ちを抑えてゆっくりと歩いた。
 目的地である花明の研究室は、大学敷地の中央方面へと進み、幾つかの建物脇を抜けた先にある。
「もう離れて歩く必要はないですよ」
 二十六歳の花明に対して、怜司は三十歳。並んで歩く二人は、端から見れば学生と教員のように見える。配役は、花明が学生で、怜司が教員だ。
 花明が若いことも大きな要因の一つだが、怜司が持つ雰囲気は、教員のそれに近しいものであった。
 九条の跡取りとして生まれた怜司は、幼い頃から英才教育を受けていたが、逃亡の身ではそれを活かすことなどできず、また、絢爛豪華な屋敷で使用人に囲まれて育った怜司には、赤貧生活は過酷なものだった。
 怜司が抱える現実への失望は、教授や助教授たちが抱える自分が望む研究を行えないという現実への失望に良く似ている。怜司が世間知らずであったことを差し引いても、だ。
 詰まるところ、より苦労していそうなのはどちらか、という印象の問題だ。
 花明にしても、望む研究を行えていない現状は他の教授や助教授たちと同じだ。ただ、花明は現状を嘆くということをしないため、外からはその苦労や苦悩が見えにくい。
 その結果、若さを毛嫌いする者たちには疎まれるようになってしまった。陰湿な嫌がらせが、花明の食欲と安眠とを完全に奪い去った時期もあった。
 それでも花明は、現状に感謝している。
 花明にとって、苦労は苦労ではないのだ。
「この建物です」
 花明がそう言って足を止めたのは、全体が灰色で飾り気のない四角い箱のような建物の前だった。
「これは……またなんとも」
 怜司は建物を見上げると、そう語尾を濁した。
 帝国大学は、幾つかの門を除いたほぼすべての建造物が、華やかな装飾を施したゴシック様式で統一されている。しかし、二人の目の前にある建物は、機能性と合理性とを追求して建てられた、ゴシック様式の対極にあると言っても過言ではないものだ。
 モダニズム建築などの名称で呼ばれる、ゴシック様式とは一線を画した存在であり、帝国大学内は勿論のこと、帝都周辺でも類を見ない。怜司に限らず、初めて目の当たりにした者は、ほぼ間違いなく言葉を失う。
 それだけ奇異な建物であるということだ。
「行きましょう」
 花明の呼びかけに、怜司は素直に従った。
 一階に待合ロビーのような広間はなく、入り口すぐの場所に硝子戸の小窓があって、その先に事務室がある。
 廊下を挟んで、事務室の正面に上階へ続く階段がある。廊下は建物の中央をまっすぐに突き抜けていて、そのまま裏口へと続いている。
「誰もいないのか、無用心だな」
 しんと静まり返える廊下に、怜司の声が響く。
「十八時までは誰かがいるはずなんですが……おかしいな」
 花明は小窓を覗き込み、事務室の中を確認する。
 専属の事務員などはおらず、ゼミ生や院生が交代で受付を行っている。具体的には、研究室に在室しているかどうかを来客に伝えるのだが、この学部棟を訪れる者はほぼ皆無なので、起きてさえいれば何をやっていてもいい。
 しかしその自由さは、居なくてもいい、という解釈を呼び起こしてしまう。
「正門で会えてよかった。誰か訪ねて来たら、中で待っていてもらうようにお願いしておいたんですよ。まさか居ないとは思いませんでした」
 花明は後ろ頭を掻きながら、ははは、と笑った。

作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近