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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(3/4)

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信じるもの 信じないもの



 うっすらと目を覚ましたとき、蜜柑は一瞬自分がどこに居るのか分からなかった。

 地面の、当たり一杯に散らばったガラスや、柱や壁の破片。
 割れた鉢植えと砕けたプランター。
 小さな隕石の襲来でも受けたような穴を、そこかしこに開けているその風景は、確かに、自分たちがいつも昼食を取っているベンチからの風景だった。

「……」

 蜜柑は身体を起こした。
 一階の円廊から中庭に差し込んでくる光も、赤銅色に変わりつつある。見上げれば、空は既に紫色だ。 

「起きたか」

 突然隣から降ってきた声に、だが蜜柑はもう驚かなかった。
 あまりに人気のない、だが争いの後をくっきりと残し変わり果てた中庭を見て、何があったかは頭の片隅で推定していた。

「争いが、あったんですね」

 自分がテロリストの人質であるという事実を受け入れながら、蜜柑は言った。

「お前をめぐってな――だがすべて退けた」
「その人たちを」

 蜜柑は隣を振り返った。コートを着た狼男は、ゆっくり頷いた。

「殺してはいない。主は奪うために殺すことを固く禁じておられる」

 蜜柑はそっと、自分の胸元を見下ろした。やはりその白い石はそこにあった。

「この石、なんですか」 
「船の中で説明する」
「船?」
「お前をこの国から連れ出す」

 蜜柑は、狼男を見て、中庭を振り返った。
 自分を助けるための手段は、全部尽くされた後のように見えた。
 そしてもう一度狼男を見た。

「わたし、生きて帰れるんですか」
「主がお望みになるのであれば」

 蜜柑は再び、中庭を見、四階の自分のクラスの方を見上げた。

結局こっちが現実で、あっちが夢だったんだ。

「…そうですか」
「――」

 その一言を聞いた瞬間、何か固いものが彼の頭の内側にぶつかった。

 ”そうですか”だと?

 俺が生かして返すと思っているのか?
 いや、そうでもあるまい。
 この娘の目つき、さっきからの振る舞いには、希望が一切ない。奪い去られる生活への執着が。

 こいつは人生をなんだと思っているのだ。
 創造主から与えられた命を。
 そんなやつなら、攫って良かった。

(やはり愚かでけがらわしい不信仰者に過ぎん。)

 狼はさっき言ったことも棚に上げて、強く自分に言い聞かせた。

 一方蜜柑は、不思議と安らいだ気持ちでいた。
 いつか日向が言っていた、「泣き止んだ後の、ふと、安心した気持ち」に近かった。
 ここまで希望が破壊されれば、後は何が?
 ただでさえ自分には焼き印が押されているのに、この上テロの人質になって「世間に迷惑を掛けた」となれば、他人がどう扱うかは明白だ。
 蜜柑はほっとした。

(もう、がんばらなくていいのだ。)

 大学受験では自殺する人がいる。
 就職活動でも自殺する人がいる。
 うつになって自殺する人がいる。
 大きくなっていく。
 からだも。
 悩みも。
 脳も。
 複雑になって絡まって、どうにもどこにも動かせなくなっていく。
 このまま行ったら迷惑をかける。
 たいせつなひとに迷惑をかける。
 これでよかったんだ。
 ほんのすこししあわせなま、死んで行ける。
 この狼男は、目を覚まさせてくれた。

(冬の中の果実。)

 なんていい名前を、わたしは与えられたんだろう。

 ふと、大きな蛙が鳴くようなくぐもった音が、二人の耳に届いた。

「?」

 蜜柑は辺りを見回した。
 隣の狼は、何も聞こえなかったような顔をして頷いた。

「日が暮れてしまう。行くぞ」
「あの…おなかすいてるんですか?」

 立ち上がり掛けた狼男に、蜜柑は問いかける。

「だったら」

 急いで鞄を開けると、中に入っていた紙袋を取り出す。

「ちょっと、潰れちゃってますけど…」

 そう言ってあんこパンマンを差し出した。
 狼は面食らったが、すぐに顔を背けた。

「…持っておけ。しばらく食べられんかもしれん」

 蜜柑は微笑んだ。

「でもあなたは今お腹が空いていて、わたしは空いてないし、パンをもっていますから」
「……」

 うまそうな匂いのするパンだった。中に豆を甘く煮込んだものがはいっているらしく、その匂いもした。きっとこの娘の祖母が、その祖母から伝えられたパン焼きの技をふるった者に違いなかった。

 そう思うと、手が勝手に動き、一息で口の中に納めてしまっていた。

 甘くて、旨かった。
 あれ以来ずっと何も食べていなかったのだ。
 人の苦しみや、血を伴うもの以外は。

「……」

 夢中でパンを食べる狼を見ているうちに家を思い出し、蜜柑は胸が痛くなった。

(でも、もう決まってしまったのだ。)

 蜜柑は鞄からもう一つ、日向にあげるはずだったパンを取り出して、更にボールペンを取り出した。

「何をやっている?」

 少し怯えたように、狼が振り向いた。

「あの、何か書き置きしておこうと思って…だめですか」
「もう行きたい。短くしろ」

「…はい」

 蜜柑はボールペンを素早く走らせた。

「何を書いた?」

 字は読めないのか、狼が訊いた。

「ごめんなさい、って」

 短くしろ、という保身の言葉が出て、彼は自分を殴ってやりたいと思った。
 だが少女の寂しそうな笑顔を見た瞬間、更に強い衝撃を受けた。

(何をわびることがあるのだ。)

 何を申し訳ないと思うことがあるのだ。
 お前は被害者ではないか。
 素質のある者には独特な世界観を持っている者が多いが、それにしてもこの娘は異常だった。彼はこころをかき乱されながら、少女の先ほどの反応を思い出し、思い当たった。

(この娘、自分に価値がないと思っている。)

 だが、命の価値は分かっているのだ。
 だから喜捨をする。

(なんという情けない、いじらしい生き物だ。)

 若者にこのようなこころを持たせるというのは、いったいどんな国なのだ。いますぐこのような認識を持たせた連中を、この娘の目の前で這いつくばらせたい。
 お前はすくなくとも、絶望の中で飢えた他人に与えるパン一個分だけの価値のある娘だ。
 その価値により、知っているか。
 主は御手を動かしになり、お前を地獄(ゲヘナ)から救い上げる!

「おまえ」
「はい」

 この娘も、はりとばしてやりたい。
 自分から生を捨てるのは、主への反逆だ。
 自分の、自分のうつくしさに気付け! お前以外に誰も気づける奴はいないのだ。お前以外が気づいても意味は無いのだ。お前自身がお前の価値に気付かない限り、お前の人生は開けないのだ!

「…なんですか?」
「……」

 彼の心の中に、恐ろしいほどの葛藤が生まれていた。

(本当にこの娘を攫っていくのか?)

 でもどうすればいい。
 尊厳に見合うだけの報復は、どうすればいい。

(そうだ、一つだけ。)

 一つだけ、主にも子供たちにも言い分の立つ方法がある――

 彼は咄嗟に問いかけていた。

「主を信じているか」

 自分は何をしているんだ。早くしろ。

「シュ?」

「神だ。この世界を創造したお方だ」
「…いいえ」

 少女は、硬い表情で小さく首を振った。