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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(2/4)

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 がばっ、と顔を上げる。

「わ! きゃははは!」

 それを予想していた自分は、手を叩いてわらった。

「こらー、まじめにきけー」

 母は抱きしめて来、頭に頬ずりをした。

「…だいじな時にだけ、この引き出しを開けなさい」

 胸の中から見上げてくる小さな娘に、まじめくさって言った。

「ねぇ、ほんとうにだいじなときって?」

 母は、太陽のような笑顔で言った。

「いのちを、かけてもいいとき」

  *

 日向は手の中の鍵を暫く見つめていたが、

(急がなきゃ。)

 ミシンが載せられている机の引き出しの鍵穴に差し込み、回した。

「ひーなー、飯出来たぞー」
「!」
 心臓が突然高鳴り出した。

(兎に角、中のものを…。)

 引き出しを開けると、蒼い蓋の、ティッシュ箱くらいの木箱が入っていた。

「おーい、二階―?」

 とんとんとん、と姉が階段を上がって来る音が聞こえる。
 日向は咄嗟に箱を上から掴むと、鞄の中に突っ込む。

 穂乃華は妹の部屋をノックすると、返事を待たずにドアを開けて入った。

「ごはんだよ。ちょっと早いけど、食えるときに食っておこう」

「う、うん」

 妹は勉強机の椅子から腰を浮かせた状態で、頷く。
 穂乃華は顔を顰めた。つかつかと勢いよく歩み寄って来、片手を伸ばした。
 瞬間日向は目をつむり、首を縮めた。

「もうあったかくなってきたから、夕方からは窓しめよ? 虫入って来る」

 半開きになっていた窓を閉め、鍵まで掛ける。
 妹が両手で隠しているノートをチラ見すると、あのノートだった。

(それでこの反応か。)

「今やってる問題が解けたら、降りてきな」

 勘違いしたフリを見せて、部屋を出て行った。
 階段を下りる途中で、なにかの違和感を感じたが、そのままキッチンのコンロの前に戻った。穂乃華は、味噌汁を椀によそいながら呟いた。

「やっぱりあの段、ぐらついてる…日向が転がり落ちて来た日だな」

 汁椀を盆に載せ、食卓に並べようと振り返ったときだった。
 制服姿で鞄と竹刀を背負い、スニーカーを履いた抜き足で、廊下を横切ろうとする妹と目が合った。

「え、ちょっと日向」

「ごめんなさい!」
「あんた、だ――」

 走ろうとしたが、両手で持っていた味噌汁のお盆が咄嗟の迷いを生んだ。
 その間に、妹は脱兎のごとく玄関を飛び出ている。

「いっちゃだめ」

 味噌汁を盆ごと素早く食卓に置き、裸足のまま外に飛び出た時には、妹の自転車は夕暮れの中に飛び出していた。
 風を切るが如き勢いで、直ぐに坂の下へと姿は消える。恐らく全力で漕いでいるのだろう。

(…しかも行先が分からない。)

 相手の速さが分かっているだけに、僅かな出遅れが致命的と言えた。

「あんにゃろー…」

 頭から湯気を立てている穂乃華の方へと、二羽の黒い鳥が舞い降り、近づいてくる。    

「穂乃華お嬢様」
「あねさん、日向様はどうなされたんで」

「家出だ」

「ええっ、こんな時に。カラスの連中でさえ飛ぶのをやめてますぜ」
「だからあせってるんだろ! 早く探せ直ぐ探せ今探せ、三十分以内に位置を特定しろ一時間以内に連れ帰れじゃないと…」
「じゃ、じゃないと…?」

 ごくりとナナエの喉が鳴る。

「あ、あんた、聞かない方が…」

「今日の夕食が揚げ物から焼き鳥に変更される」

「サー! イエッサー!」
「あんた、なにぼさっとしてんの、いくよ!」

 二羽は先を争うように、オレンジ色に染まりつつある街へと向かって行った。

(…あの子、どうにかできるなんて思うなって云ったのに。)

 穂乃華は無意識のうちに、首に掛けたネックレスの先にある指輪を弄っていた。

「!」

 すぐに家の中に引き返して、二階に上がった。そして、迷わず母の部屋に入る。

「あのばか!」

 目の前のありさまに、今度こそ穂乃華の頭が爆発し、髪の毛は逆立った。
 開けっ放しの窓、はためくカーテン。ミシンの机に、空の引出し。

「一緒にだ、っつーの!」