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Sonata

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 それは、雪の降りしきる夜のことだった。
 殆ど雪が降ることのないこの地域に、その年初めて雪が積もった。空からほろほろと落ちいく白い牡丹は、否応なしに視界を覆い、車を運転する彼、桐生一弥(きりゅういちや)の機嫌を苛立たせた。いつもよりもスピードを出せないのは、待つことが嫌いな一弥にとって非常に腹立たしいことだったのである。しかも、仕事先である研究所帰りで疲れもたまっていた。
 自宅に到着するころには、苛立ちもピークに達し、信号待ちの合間にいつものように煙草をくわえたのだった。
 角を曲がり、大通りから路地に入ると人気が極端に減った。寒さからだろうか、家の明かりはついているのに、道路で歩いている人間を見かけない。紫煙をくゆらせながら、一弥は降り続く雪をかきわけて車を走らせた。ワイパーを動かしているが、それでも振り切れない欠片が付きまとって鬱陶しい。かけていたサングラス越しに目を凝らし、一つ目の路地を抜けた直後。
「ちょっ、」
 最初に視界に入ったのは、白いキャンバスにぽっかりと浮かぶ漆黒だった。そこだけ穴が開いたかのようにモノトーンの色彩に侵されている。その黒が、人の髪の毛だと気付くのにそう時間はかからなかった。
 急ブレーキを掛け、咄嗟にギアを落とす。急にハンドルをひねったところで、道端の黒がふいに動いた。
 間一髪で避けた一弥は、直ぐに車の外へ飛び出した。くわえた煙草を道端に打ち捨て、路地の真ん中に倒れている人物に駆け寄る。泥酔して眠っているのならば、文句の一つでも伝えてやろうと思ったのである。
 しかし、一弥が殴りかかろうとしたその時、ん、と小さな声が聞こえた。倒れこんでいるのは明らかに男なのに、それとは思えないハイトーンである。
 良く見れば、まだ子供だった。
「何なんだ……」
 肌は白磁を通り越して青ざめている、唇は戦慄き、人物は小さく己の肩を抱いた。寒い、高い声がそうつぶやく。それはそうだろう。こんな極寒の中、雪の上に伏していたのである。
 寒いと呟けているのであれば、まだもうしばらくは無事だろう。これで、うっすら笑みを浮かべているようであれば、凍死寸前、今直ぐ病院に担ぎ込まなければ、命の危険があるけれども。
 ただし、この野垂れ死にそうな子どもを無視しようにも、車を動かせないのではどうしようもない。一弥は困り果ててしまって、ポケットから煙草をもう一つ取り出した。寒さで冷えている手のひらには、ジッポの冷たさが凶悪にしか思えなかった。
 火をつけないまま、一弥は目の前の、死体になりかけている子どもに手を伸ばした。これがある程度歳のいった男なら、足で蹴り飛ばして道の脇に動かすのだが、まだ子どもだということもあり、抱え上げることにしたのである。自分の親切さに涙が出そうになったが、道端を塞がれたという怒りがそれを上書きしていた。
「ったく、邪魔にも程が」
 持ち上げたところで、一弥は少年の軽さに目を見開いた。見たところ、中学生くらいの身長をしているが、これでは小学生と同じくらいなのではないかという錯覚に陥る。中学生の平均身長がどれくらいかは知らなかったが、これはいくらなんでも軽すぎだ。
 火の付いていない煙草が、少年の頭を滑って地面に落ちた。

 そう、彼が少年をもち上げたのは、ただの気まぐれだったのだ。

 それ以上でもそれ以下でもなかったのだが、一弥は自分のしていることを今後激しく後悔し、脱力し、肯定し、最終的には自分に称賛の言葉を浴びせることになる。

 普段の彼なら間違いなく、いつものように道端に打ち捨てて行くところだった。男も女も関係ない。子どもなんてもっての外だと思っていた。駄々をこねるわ、世間を知らないわ、話が通じないわ、ロクなことが無い。
 しかし、一弥はどういうわけか、車に彼を乗せていた。幸か不幸か、後部座席にのっていたのは、愛読している家具の雑誌くらいだ。他には何もない。横たわる少年に自分のコートを被せて、暖房の温度を上げる。
そのままエンジンをふかし、これは誘拐になるのだろうかと、疑問をもちながら、路地を曲がってすぐの自宅へと向かってしまったのだ。
作品名:Sonata 作家名:柳ゆずる