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モノクロ、メモリー

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もしもし、お元気ですか

私は、今日も仕事に忙殺されて、なんだか自分を見失いそうになっています

来週、お食事なんてご一緒したいと思っていますが、ご予定はどうでしょう?

また、連絡ください


―――――待ってます





毎日毎日が淡々と過ぎていくのは、私が年を取りすぎたからだろうか。
もっと、そう、まだ新入社員だった頃や、もっと昔の学生服を着ていた頃は、いつも毎日が明るく見えていた気がする。
明日が待ち遠しくて、新しいものを発見するのが嬉しくて。

今のこんな身体には、もうそんな力、残されてはないのに。

そう思いながら、私は、重い腰を下ろす。

再来年で、40歳。
未婚独身、恋人なし。
仕事は忙しく、給料もいいけど、その分、使う暇なく、湯水のようにお金が貯まりに貯まって、貯金はついに2000万を余裕越え。
たまの休日に、高級エステでパパーッと10万投げ捨てるのが、ある意味の快感になっている。

子供4人抱えて、教育費と食費のために奥さんはパートに出てます、なーんていう同期には、時に宴会の場でののしられるようになった。

これは、ある意味のステイタス。
だから、こんな立場を楽しむように、私はなった。
望まれる形を、演じられる私に、私は、なっていた。

エステも飽きたし、次は何をしよう。

ぼんやり考えながら、天井を見上げる。
吊革につかまったまま新聞を小さく小さく折り畳んで目をこらしているサラリーマンと視線が合う。
私ののん気な思いが読めたのか、彼のムッ、とした表情に、私はすぐに視線をそらす。

満員電車で、座れる私。
それは、この電車の始発駅から私が乗る、ただそれだけの理由。

身体もそういえば固くなった、昔はぐにゃっと前屈なんて軽々できたのに。
階段を上ると、息が切れる、昔は軽々1段飛ばしで上がっていたのに。

次は、スポーツジムにでも通うかな。
しかも、都心のものすごく大きな、芸能人やセレブ御用達の場所。
案外、面白い出会いが見つかるかもしれない。

と思っていた瞬間、私の身体は、右方向へと思いきり流された。
ガクンガクン、と隣の中年サラリーマンに、肩を預けてしまう。
ドミノのように人が流れ、そして、止まった瞬間、私の膝に本が落ちてきた。
手作りな甘いオレンジ色のカバーで包まれた、薄い文庫本だった。

『…異物が線路上に発見されたため、急停車いたしました。皆様、大変申し訳ございません』

繰り返されるアナウンス、ざわめく人々の声に混じって、若い女性の、すいません、が降る。
吊革に右手を、左手で慌てて私の差し出した文庫本を取り上げる。
スーツではなく、ズタズタに刻みを入れたジーパンに、カラフルな色のシャツに、よれよれのパーカー。
スタイリッシュで、でも、どこか人と違っていて、ずれていて。
見た目では20前後、と言ったところ、でも、顔には幼さが残りすぎていた。

電車が悪いのよ、あなたが悪いんじゃないわ。

そう言っていただけたら、ほっとします。

謙虚に会釈をして、彼女はもう一度それを広げる。
字を追っていく彼女の顔は、好奇心に溢れていた。


次の日も、また次の日も、彼女は私の前にいた。
向こうに意図はあるのだろうか。
そう頭の片隅で思ったけれど、どうやら違うらしい。
彼女が乗ってくるのは、決まって私の乗る3両目。
ただの、偶然だろう。
いや、むしろ、私が今更その事実に気づいた、ということだと思う。
その事実に気づいて、私の日常は、少しだけ変わったのだ。
ほんの少しだけ。
それだけでも、淡々とした毎日を送る中に、少しの刺激を与えてくれたことには、他ならなかった。

彼女はいつも同じ時間の電車に乗る。
まず、一度、ふう、と目を閉じてため息をついてから吊革につかまったあと、ポケットから文庫本を出す。
そして、キラキラした瞳でそれを見つめながら、たまに笑顔を見せる。
何が楽しいのかな、と私はその笑顔を見上げながら思う。
たまに、寂しそうな顔を見せる。
何が寂しいのかな、と私はその顔を見上げながら、少し眉根にしわを寄せる。
いつも、4つ過ぎた駅で、その文庫本をしまい込み、5つ目の駅で、客の流れに押し流されるように、電車を降りる。

春はコットンマフラーを、夏は髪の毛をアップに、秋は厚手のコートを羽織って、冬は毛糸の帽子をかぶって。
四季の流れは、彼女を見ればわかった。
逆に、私は今まで四季の流れに鈍かったんだな、と痛感した。
彼女が衣替えをしたな、と思うと、私もはっとしてロフトから夏物や冬物を急いで出した。

特に話しかけることもなく、特に話しかけられることもなく。
向こうは、彼女は私の存在なんかには気づいていないだろう。
あの時、本を落としたとき、一言だけ言葉を交わした人間なんて。
行為をした者は覚えてなくとも、行為をされた者は、このようにしっかり、覚えている。
いつも私は後者だった。
後者から前者になることは、ない。


そんな冬、40歳の誕生日を、私は迎えた。
1人で、ハッピーバースデー。
家にいても、誰も一緒に祝う人なんかいない。
友達との多少の飲み会と親からの電話が、せめてもの救いだった。
街中の居酒屋でワイワイ盛り上がって、酒に脳がやられて目の前がクラクラする状態で終電に駆け乗った頃には、もう12時を回っていた。
各駅に止まるたび、ポツ、ポツ、ポツ、と人数がだんだん減っていく。
立っている客がいなくなり、座っていた客がいなくなり。
半分まぶたが降りていた私は、まるでそれがゲームの画面のように映っていた。

アナウンスが耳の奥で響いて、あと1つで自分の降りる駅だ、とぼんやり理解できた時、乗り込んできた客がいた。
ここは各駅停車じゃないと止まらない、田畑しかないような駅。
滅多に人が乗ることも、降りることもない駅のはずなのに、こんな時間に乗り込んできた客。
どんなやつだろう、と思ってがんばってまぶたを上げて首を持ち上げる。

その客は、身体を一度電車の壁にぶつけて、身体を反転させるようにして、私の隣に崩れるように座った。
毛糸の帽子に、厚手のマフラーを巻いているくせに、コートは手に持ち、カバンを投げるように床に置く。
頭を押させながら、天井を見上げている。
目がうつろで、私が見ても明らかに、酔っている、と思えるほど、顔も赤く、そして、焦点がぼけた目をしていた。
あの子、だった。
いつも、幼い顔を見せていた彼女も酔ってつぶれることがあるんだ、と思えるほど、酔いつぶれていた。

いた…とつぶやきながら、今になってぶつけた肘をさすりながら、つぶやく。
今なら刃物で刺されても『痛い』の一言はだいぶあとにつぶやかれるだろう。
だらりと、私以外誰もいない車内の座席に、寝そべる。
寝そべった彼女は、何かをつぶやきながら、窓の外を見ていた。

『次は~○○~、お降りのお客様は~……』

私の降りる駅のアナウンスが流れる。
少し眠っていたからか、意識がはっきりしてきた。
そして、思う。
彼女の降りる駅は、もっと前だったはずだと。
どうして逆方向の電車に乗っているのか、と。

ちょっとあなた、大丈夫?

たずねても、彼女は聞いていない。
しきりにつぶやき続けている。
作品名:モノクロ、メモリー 作家名:奥谷紗耶