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熾(おき)
熾(おき)
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月のあなた 下(1/4)

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異変



 貸出カウンター前の広場には誰もおらず、船員が見捨てた船の上の様だった。

「あらあなた――もう、宝探しでもしてた?」

 クラッチを持つ司書がカウンターの奥から出てきて、こんな時なのに微笑んで見せた。蜜柑はそれを見てほっとしたが、三石はイラついた。

「さっき学園長から電話があったわ。まだ一台ミニバスが残ってくれてるから」

 司書が、希望の証明の様に手に持っていた携帯を示した時、不意に非常ベルの音が消えた。

「あ、鳴りや」

 パキン、という音がして一気に館内の電灯が消えた。
 傾いた日差しだけが光源になったフロアは、オレンジと暗褐色の世界に一変する。
 三石がヒステリックな悲鳴を上げた。

「え、なに!」

 だが、すぐに虫が糸を噛み切る様な音がして、出口を示す緑灯や、小さく辺りを照らす非常灯が点いた。

「……」

 誰も、何も言わなかった。
 そこへ何か大きなものが壊れる音と、男女数名の入り混じった悲鳴が階下から響いて来た。

「「!」」

 三者三様に、身をすくめる。
 声と音は、断続的に続いた。
 だが、三人が呆然としている内に、最後の悲鳴が止んだ。
 空間が、静寂に閉ざされる。

「…なに、どういうこと?」

 三石は辺りを見回しながらうろたえる。その声がやけに虚ろに響いた。

「――」

 蜜柑は何とか冷静さを取り戻そうと、頭の中で状況を組み立てる。
 鳴り止んだベル。停電。しばらく続いて、消えた悲鳴。
 異常事態は去ったのだろうか? 

(…違う。何か変だ。)

「だめだ」

 司書が呟いた。
 左手には、さっきと同じように携帯が握られている。何度も押しているボタンは、リダイヤルのようだった。
 二人の生徒の視線に気づくと、また笑って見せたが、今度の微笑みには陰りがあった。

「……多分、あれよ。あんまりにも多くの人が掛け過ぎてて、回線がこみあってるんでしょう」
「先生、これから…」

 蜜柑の問いに対して、司書の答えは素早かった。

「暫く様子を見ましょう。…そうね、奥の整理室に隠れて」
「逃げないんですか?」

 三石が訴えるように言う。

「ええ。悲鳴が止んだのは――もしかしたらいい理由ではないかもしれません」
「そんなの」

 声を荒げる三石に対し、司書は口の前に人差し指を当てて見せた。

「良い理由かもしれません。でももうベルが鳴った以上、それを警察が把握している筈です。もし良い理由なら、警察が来るのを待っても遅くないし、悪い理由なら、安全を確保し、待たなくてはいけません」

 小声で落ち着いて言う司書に、蜜柑は尊敬の念を覚えた。

「さあ、移動しましょう。カウンターの奥よ――」

 三人はカウンターの端の押し戸を通り、整理室の中へと入って行った。
 中には、職員用らしき三つほどの机と、返された本などが一旦集積されている可動式の棚が数個。

「あ、そうだ」

 司書は何かを思いついて、内側の壁に据え付けてある鉄の箱を開いた。
 その中から、鍵の束を取り出す。

「入口の自動ドアをロックしてくるわ。今の状態だと、大人なら開けられちゃうから――ここで静かにまっててね」
「は、はい…」

 司書はクラッチを突きながら、少し足早にメインフロアへと出て行った。
 そして暫くもしない内に帰って来、また壁に据え付けた箱に鍵を戻す。その背中に三石が訊いた。

「外の様子、どうでした?」
「…静かなものね」
「じゃあ」
「でも、もう少し待ちましょう…あ、そうだ」

 司書は首からかけていたIDを外すと、三石に手渡し、メインフロアとは反対側の部屋の奥を指さす。

「これで、その、部屋の奥にある職員専用の出入り口のドアが開くわ。非常電源が有るから、今も使えるはずよ」

 三石は掌の上のIDを見ながら眉根を寄せると、首を傾げた。

「先生は走るのが苦手なのよ」

 司書がウインクして三石の腕を軽くたたいた時、

 べだん

 と、メインフロアの方から何か鈍い、少し湿った音がした。 

「…?」

 べだん。

 それは、何かの衝突音のようだった。

「たすけて…」

 それに続いて、か細い少女の声。

「…ズけて」

 小さな声だったが、それは絶対的な静寂の中ではっきりと響いた。

「待ってて」

 司書が走り出す。
 云われはしたものの、蜜柑も三石も殆ど本能的に司書の後ろに付いて行った。
 
 それは、ロックされた自動ドアを誰かが掌で叩く音だった。

「ダっ、たズエデ…」

 その女性徒は、枝のブローチを付けている所を見ると、二年生の様だった。

「大丈夫っ?!」

 司書は血相を変えて駆寄って行った。
 生徒は、苦しそうな顔で何度もドアを叩く。

「…ダ、だぐ、エデ…」

 紙やすりに擦り付けたような声で言った後、激しく咳き込む。
 顔は土気色にむくみ、溺れて引き上げられたあとの人間の様だった。

「どうしたの! 何が有ったの」

 司書自身もガラスに手を当てながら呼びかける。
 そしてすぐに自分の行動のおかしさに気付いた。

「しまった、ロックを――」

 思い出して、いったん自動ドアから離れようとしたときだった。
 べだん。べだん、べだん。
 ほとんど暴力的とも言える勢いで、生徒がドアをたたき始めたのである。
 司書はもう一度振り向く。

「お願い、ちょっとま」

 ぱき。
 薄皿を踏んだような音がした。

「え」

 カウンターの内側から見ていた蜜柑と三石は、同様に目を疑う。

「ヴル、ジ、イ…!」

 その顔に、卵につくような罅が、薄く細く、だがはっきりと入っていた。

 べだん。ぱき。――べだん! 

「やめなさい! 落ち着いて! 先生たちはどこにも行かないから!」

 司書は再び自動ドアに手のひらを重ねると、ガラス向こうの生徒に呼びかける。
 それは、ガラスさえなければ口づけようとするような距離。

「ゼンゼイ…」
「なに?」

 丁度、正面にドアの切れ目があった。
 呼びかけた生徒の口から、問い返した教師の口へ、わずかにキラキラと光る粒のようなものが伝わり、吸い込まれていった。

「――?」

 司書はクラッチを手からこぼすと、突然喉を両手でつかんで後ずさり、咳き込み始めた。
 それを見て、それまで腰を折って苦しんでいたはずの二年生は胸を反らし笑い始める。

「あははははははっ! 伝染せた! 伝染せた! うつ――」

 ぱりん。
 電球が割れたような音がして、その体中の皮が一気に流れ落ちた。
 酸をかけられでもしたように、下へ向かってだらりと何かが溶けた。

「苦しかったぁ――」

 もはや顔ではない、肩の上に乗った、摩耗した地蔵のような何かがそう言った。
 次の瞬間、

「ア」

 ざあ、と、体中の罅割れから灰色の砂が落ち床へ崩れる。
 二年生は、うずくまった人の形をした、濡れた砂のような何かになった。