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あの純白なロサのように

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「兄ちゃん!」
「どうした?」
「へへー」
「なんだ、なにかいいことあったのか?」
「ヒミツ」
 十五も下の弟が駆け寄ってきて俺に飛びついた。
 もう七歳になると言うのに幼さが抜けないのは、俺が男手ひとつで、この誰も来ないような森の奥、両親が居ない負い目もあり比較的甘やかして育てたからかもしれない。
 俺はここで木樵(きこり)として一生を終えるつもりだが、弟はもう少し大きくなったら町に連れて行くつもりだった。その時にこの甘ったれが少しは治っていると良いのだが。
 俺は弟の両腕をむんずと掴むと、そのままぐるぐると回り出した。弟の足が遠心力で地から離れ、まるで宙を飛んでいるようになる。弟はきゃっきゃっととても楽しそうに笑った。
「兄ちゃんにヒミツなんて十年早いぞ!言う気になったか?」
「なった!なった!」
 弟は至極嬉しそうに言った。こういうじゃれあいが楽しいだけで、本当に俺に秘密にする気など無かったに違いない。素直な子だから、隠し事など出来た例しがない。
 俺は弟を地面に降ろすと、早く屈めと催促する弟に腕を引っ張られながら、喋りたくてうずうずしている口に耳を寄せた。
「とっても綺麗なお姉さんと友達になったの」
 弟はとっておきの宝物を、掌の囲いを解いて見せるように、勿体ぶりながら囁いた。
「お姉さん?」
 俺は驚いた。こんな人里離れた森の奥で人、しかも若い女に会うなど俄(にわか)には信じ難い。
「足はあったのか?」
 訝(いぶか)しがりながら問うと、弟は自慢げに胸を張ってこたえた。
「あったよ!僕が妖精さんですか、って聞いたら違うって言ってたもん。声も綺麗でね…」
 幽霊も馬鹿正直に自分が幽霊だと言うとは限らないではないか。
「どこで会ったんだ?」
「ロサの泉の近く」
「ロサの泉?」
 ロサと言う、真っ白い花弁をつける大輪の花がある。この家より更に森の奥、滾々(こんこん)と水が湧き出て泉になっているところ、そのまわりにロサが群生しているのだ。
 しかしそれなら尚更解せない。あそこは人道からはほど遠く、間違っても普通の少女が迷い込めるようなところではないのだが…。
「あっ!でも兄ちゃんはだめだよ!もっと僕が仲良くなってからね!お姉さん怖がっちゃう」
「怖い顔で悪かったな」
 俺はじろりと弟を見た。確かに俺は上背も高く、木樵なんてやってるおかげで筋肉もそれなりについている。父譲りの三白眼は、女性にしたら少し…いやかなり…圧迫感があるかもしれない。
 自分の外見のことはわかっていても、裏のない弟に言われると俺は怖いのかと改めて思う。
 ちなみに目の前の弟は母親に似て、垂れ目で柔和だ。婦女子に可愛がられるタイプだ。外見は似て居ないが、俺たちは確かにこの世界で二人きりの兄弟だった。
 弟にダメときつく言われていたが、そう言われれば気になってしまうのが人の常だ。
 三日後、弟はうきうきしながら家を出て行った。これは例のお姉さんに会いに行く気だなと俺はこっそり後をつけた。弟は一丁前にきょろきょろと尾行を警戒しながら、足は一直線にロサの泉へと向かっている。愚直でかわいい弟だ。気配を消して歩くなど俺にはお手の物だと言うのに。それでなくても弟の癖を知り尽くした俺に弟が勝つことは一生無いだろう。
 それに、こんな森の中に女一人というのが気になる。幽霊というセンも捨てきれないが、万が一、悪い人間だったらと思うと人となりを確認しておいて損はないはずだ。
 そう自分に言い訳しながら暫(しばら)く歩くと、緑と茶ばかりの森に色が加わった。目指す先に白いものが見える。あれがロサだ。弟はぴょんぴょんと飛び跳ねながらその花の中に駆け込んだ。
「お姉さん!」
 果たして、その人物はそこに居た。
 腰からたっぷりの布が広がるドロワという服の深い青はよくロサの花に映えた。こちらには背中を向けている。結っても居ない髪が、背の半ばまでを覆っていた。色は…金だ。殆(ほとん)ど白に近い金。驚いた。なかなか見ない色だ。
 その女性は、弟の声を聞き、ぱっと弾かれたように振り返った。その顔を見て、俺はまた驚いた。
 抜けるほど白い肌に、大きな瞳。その色は、着ているドロワと同じ深い青。博物館に飾られる人形のように整った顔立ちだった。間違ってもこんな森の奥に偶然現れるような人間じゃない。というかドロワは森に入るのに全く向いていない。裾が岩や木の枝にあちこち引っかかって大変だったはずだ。なのに、見たところドロワは大きな破れなどはない。女の身体能力がとても優れているのか、それとも本当に幽霊なのか…?ばかな。
 女は駆け寄る弟を零れんばかりの笑顔で迎えた。その手にはロサの花。弟を待っている間、淑女らしく花を摘んでいたらしい。
 何歳ぐらいだ?十四…五歳ぐらいか。まだこどもじゃないか。
 弟とその女は、かけっこしてじゃれあったり、互いに花冠を作ったり、泉の水を飲んだりして時間を過ごしていた。
 二人はとても楽しそうだった。
 女が優しくばいばいと手を振ったところで、俺ははっと我に返った。弟がこっちに向かってくる。まずい。俺はいそいで踵を返し…唐突に立ち止まって振り返った。
 視線を感じた気がした。しかもぼんやりしたものではない、背がぴり、と強張る戦場を思い起こすほどの視線。
 木や草で覆われた先、そうだ、その先は女が居たはずだ。その場から動いていなければ。しかしこちらからもあちらからもお互いの姿は目認できない位置だ。
 俺は見えない視線を手繰り寄せるように、厳しく目を細めた。
 しかし、弟ががさがさと草を掻き分けながら近づいてくるのが見えて、急いで背を向ける。
 …いや、気のせいだ。そうに決まっている。
 後ろ髪を引かれる思いをしながらも、俺は家に戻った。
 その夜、「お姉さん」とのことを繰り返し話したがる弟を適当にあしらいながら、寝台に入っても考えるのはやはり昼間の女のことだ。
 幽霊…ではない。あれが幽霊なら狐や狸に化かされたと考える方がまだしっくりくる。…どちらも似たようなものか?
 しかし、あれは間違いなく生きている人間だった。
 ただ普通の少女とするには違和感がある。
 茨を抜けても解(ほつ)れのないドロワ、普通の少女が持ち得ない背を射貫くような視線。
 深い海の底を覗いているような瞳、光を透かす金の髪、空を舞う粉雪よりまだ白い肌…。
「…」
 何度も何度も寝返りを打ち、結局その夜は寝付けなかった。
 女と弟は結構頻繁に会っているようだった。俺はその度に弟のあとをつけ、気配を消してじっと様子を伺っていた。怪しい女と弟を一緒にしていて、何かあってはたまらない。しかし弟が会いたがっている以上、会わせない訳にもいくまい。本業の木樵は遅々として進まないが仕方ない。