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阪神タイガース 歴代背番号22物語 6~10代目

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阪神タイガース歴代背番号22物語 6代目
田宮謙次郎 たみや けんじろう
生年月日 1928.2.11生
出身地  茨城県下館市
出身校  下館商業 日本大学
投手→外野手 左投左打

左投手で1年目に11勝したが、肩を痛めた事もあって打者転向した。打者としては大学時代から評価が高い。藤村冨美男の次世代の4番打者でアベレージタイプの左打者、首位打者1回。

47年 日大では投手、47年秋に打率.425で東都大学首位打者
49年 富樫代表の説得によって日大を中退し、大阪タイガースに入団

49年 大阪タイガース 背番号28 34試合 11勝7敗
50年 背番号6に変更 6試合 1勝2敗
3月16日国鉄戦で9回2死まで完全試合 この後、肩を痛める
51年 5試合 0勝1敗
52年 背番号22に変更 5試合 0勝2敗 打者転向 94試合 190打数で.247
53年 80試合 .233
54年 125試合 .300 で5番センターのレギュラーを取る
55年 117試合 .288 4番センター オールスターファン投票で出場
56年 126試合 .300 4番センター 
ベストナイン オールスターファン投票で出場
57年 110試合 .308 4番センター
ベストナイン オールスターファン投票で出場
58年 120試合 .320 首位打者 4番センター
ベストナイン オールスターファン投票で出場
   A級10年選手 オフに大毎に移籍
59年~63年 大毎オリオンズ アベレージヒッターとして1~3番を打つ
68年~69年 中日ドラゴンズ 打撃コーチ
70年7月~73年7月 松木謙治郎に誘われて東映フライヤーズコーチ
代理監督から3年間監督をつとめた

73年 日拓ホームフライヤーズ
74年~ TBS解説者
81年  第一回田宮杯 中学野球大会開催 (以後毎年)
88年 阪神タイガース ヘッドコーチ 背番号70
阪神タイガースOB会長を長期にわたり務める

94年 台湾 味全ドラゴンズ監督就任
00年 下館市会議員
10年 5月5日脳内出血のため他界

打撃 実働15年 出場1488試合 打数4807 安打1427 本塁打106 打点597 盗塁190 打率.297

投手 実働4年 登板50試合 勝利12 敗戦12 完投10 投球回206 奪三振76 防御率4.85

監督 通算3年 出場385試合 勝利155 敗戦209 引分21 勝率.426
げんまつWEBタイガース歴史研究室引用


阪神タイガース歴代背番号22物語 7 代目
古川啓三 ふるかわ けいぞう
生年月日 1934.4.25生
出身地  岡山県倉敷市平和通
出身校  倉敷工業高校 法政大学
ノンプロ  川崎コロンビア
捕手   右投右打

京六大学のベストナイン捕手。打撃面では外角打ちが得意。

プロではほとんど実績がないが、藤本監督下で球団初のブルペンコーチ(名称はピッチングコーチ)に抜擢され、青田コーチから「実際の球を受けて投手の状態を報告せよ」と指示された。捕球以外にもノックなど練習相手となっていたが、体力の限界を迎えて辞任。 タイガースOBゴルフでは小山正明と並び横綱とされていた。

52年 甲子園予選では安原(読売)とバッテリーを組むが甲子園にはいけず
56年 東京六大学ベストナイン(捕手)
コロンビアでは根岸-古川の法政バッテリーを組んだ
59年 阪神タイガース 背番号22 14試合 14打数 4安打 .286
60年 4試合 5打数 .000
61年 10試合 14打数 4安打 .286

62年 コーチ ピッチングコーチ(ブルペン担当) 背番号64に変更

63年 コーチ 二軍バッテリー担当
64年 コーチ
65年 コーチ
66年 コーチ   11月1日辞任

84年 10月6日逝去

実働3年 出場28試合 打数33 安打8 打点1 盗塁1 三振5 打率.242
げんまつWEBタイガース歴史研究室引用


阪神タイガース歴代背番号22物語 8 代目
室山皓之助 むろやま こうのすけ
生年月日 1939.11.16生
出身地  岡山県
出身校  倉敷工業高校 法政大学
外野手(レフト) 右投右打

シュアな打撃で東京六大学リーグの首位打者を獲得した好打者。入団直後のオープン戦で確実なミート力を大きく評価されて一軍定着。しかし、アキレス腱を切断し並木・ソロムコ・藤井の外野陣に勝てないまま活躍できなかった。

阪神電鉄から出向していたため、引退後はホテル阪神に勤務、後にフロント入りし吉田義男監督付広報となった。

57年 春の選抜甲子園ベスト4は3番打者で貢献した。
渡辺博文(阪急→サンケイ)と同期 監督は小沢
60年 東京六大学春秋ベストナイン 春期首位打者.375
61年 東京六大学秋ベストナイン

62年 阪神タイガース 背番号22 52試合 .175 8月15日 
近藤昭の右中間の飛球を追う際にアキレス腱を切断
63年 81試合 .209
64年 4試合 .000
65年 背番号28に変更 26試合 .259 再びアキレス腱切断
66年 19試合 .130

67年~78年 ホテル阪神勤務 フロントマン セールス 宴会係

レストランマネージャーを歴任

79年~ 阪神タイガースフロント 広報部など歴任 チーム担当部長まで昇格

実働5年 出場182試合 打数303 安打59 本塁打5 打点17 盗塁2 打率.195     げんまつWEBタイガース歴史研究室引用


阪神タイガース歴代背番号22物語 9 代目
谷本 稔  たにもと みのる
生年月日 1937.2.1生
出身地  愛媛県八幡市
出身校  八幡浜高校
捕手   右投右打

永田オーナーの大映スターズに入団し、高卒即戦力の捕手として活躍、毎日へ移籍後は
醍醐との併用となっていたベテラン捕手を獲得した。大映入団時の打撃コーチは松木謙次郎、何かと阪神に縁があった。

阪神では若手捕手の成長もあって実働3年であったが、指導者として長期にわたり活躍
人柄がよくスカウトに転進、主な成果は85年の嶋田兄弟、98年1位の藤川を担当

52年 板前だった父親を亡くす このため母親を楽にするために大学を断念、プロを志す
54年 県予選は準々決勝で敗退したが打率.660と打ちまくる
大映監督藤本定義の実兄である徳田節次郎・八幡浜監督により大映入団が決まる

55年~57年 大映スターズ   球団消滅により毎日に移籍
58年~64年 毎日大映オリオンズ → 東京オリオンズ
65年 1月18日 谷本-牧 交換トレードで阪神タイガースに移籍
65年 阪神タイガース 背番号22 62試合 .212
66年 51試合 .204   11月2日からコーチ兼務
67年 背番号53に変更 兼任コーチ(ブルペン担当)6試合 .000 現役引退

68年 コーチ
69年 コーチ

70年 背番号66に変更 コーチ

71年 背番号77に変更 コーチ
72年 コーチ
73年 コーチ
74年 二軍コーチ
75年~78年 フロント スカウト
79年 バッテリーコーチ 背番号83