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先輩

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 校門を出てから一歩も動けなかった。思考も完全に停止してしまい、二宮金次郎像のようにガチガチに固まってしまっている。
 私がそんな状態でいる間に、馨先輩が私に気付いて、こちらに体を向けてくれた。当たり前だ。私は馨先輩を見つけてから、ずっと校門の前でぼーっと立ち止まっていたのだ。誰だって異変に気付くだろう。
 馨先輩は、私を見て少し間を置いてからゆっくりと近づいてきた。
 馨先輩が一歩進む毎に、私の心臓はさらに速くなっていく。これ以上速くなったら心臓が止まってしまうんじゃないか、と思うほど私の心臓は拍を刻んでいた。
 あと数歩で私の立っている位置に着くというところで、馨先輩は足を止めた。近くで見ると、本当に綺麗な――素敵な顔をしている。
「君は――、さっき音楽準備室で不良二人に追われてた子だよね?」
「え……あ、そ、そうです! そう……」
 声を出すのがやっとだった。ただ一言「そうです」と単純な言葉を言うだけなのに、私は第一印象が挙動不審、と思われるような返事をしてしまった。
 馨先輩はそんな私を見ても気にしていないのか、もしかしたら心の中では軽蔑しているのかどっちかは分からないが、表情を変えずに話した。
「さっきはごめんね。怖いところを見せてしまって。もう一人の背の小さい子は、帰りは一緒じゃないのかな?」
「はい、な、なんか、えっと……部活で、残るみたいなので……」
 さっきよりはまだまともに話せた気がする。心臓の速さは相変わらず早いままだが。
「そっか。帰り道は気をつけてね。……それじゃ、また学校で」
 馨先輩は私に背中を向けてそのまま歩き出した。その瞬間に私の心はとても不安になった。もうこのまま、馨先輩には一生会えなくなってしまうんじゃないだろうか……。
 今会えたのだって、単なる偶然だ。次はいつ会えるのかわからない。そもそも馨先輩と知り合えたこと自体偶然であり、言うなれば奇跡でもあるのだ。私の名前も知ってもらえないまま別れてしまう――。
 それは嫌だ。そのためには馨先輩を呼び止めなくては。
 せめて、あと一言だけでいいから何か話したい。
 私の名前を知って欲しい……。
 何か話すこと。いや、馨先輩に伝えること。
 そうだ! あの時助けてもらった御礼を言おう! これはちゃんと自分から伝えた方がいいことだし、御礼を言われて機嫌を悪くする人はいないだろう。
 私は一年分の勇気を振り絞って、馨先輩に声を掛けた。
「あ、あの……先輩……っ」
 一年分にしてはあまりにも情けなかった。というか、さっきの返事とほとんど代わり映えしなかった。
 先輩は足を止めて、ゆっくりと振り向いてくれた。
「ん? 何だい?」
 そう答えた先輩の表情には驚いた様子もなく、無表情のままだった。
 勇気がどんなにあっても、上手く話せるわけではないということを、今しっかりと学んだ。ならばどうすればちゃんと話せるのか。きっと、緊張の所為で声が小さくなり、喉に引っ掛かって上手く発声できないのだ。つまり、大きな声でしゃべれば、はっきりとスムーズに話せるはずだ。
 私は息を思い切り吸い、しっかり溜め込んだ息を一気に吐き出すように大きな声を喉から出した。
「あ!! あの、その……」
 思っていた以上に大きな声が出てしまったことに動揺して、結局さっきと変わらない調子に戻ってしまった。
「さっきは……あ、ありがとっ、ございましたっ」
 咬みながらもなんとか御礼を言えた。しかし、大声作戦が失敗してさらに恥をかいてしまった。
 馨先輩は、またもやそんなこと全く気にしていないかのように、
「どういたしまして。今度からは式の間は、なるべく抜け出さないようにね!」
 と優しく言って、ニコッと笑った。
 素敵としか言いようのない、無垢な笑顔だった。もし私の眼がカメラだったら、今すぐに走って現像しに行っているだろう。ポラロイドカメラだったら、写真が浮き上がる時間も待てない。デジカメなら、撮った画像をずっと見つめているだろう。
 忘れたくない笑顔だった。私はもう頭がクラクラだった。顔が真っ赤になってしまっているかもしれない。そうだったらかなり恥ずかしい。
 馨先輩は元の無表情に戻して、
「そういえば、まだ君の名前を聞いてなかったね」
 と言ってくれた。
 私はもう、上手くしゃべろうとか、どうすればちゃんとしゃべれるかとか、そういうことが考えられないくらい混乱、というより、思考停止していた。
「えっと、か、河井……美紀です」
 なんとか名前ははっきりと言えた。これ以上何か質問されたら倒れてしまいそうだった。
「河井さんって言うんだ。よろし……、ん?」
 話している途中で馨先輩の表情が急に堅くなり、私の目から視線を外して、どこか遠くの方を見ていた。さっきの笑顔が嘘だったかのように、険しい顔をしている。
 どこを見ているのだろう。どうやら方向的には学校の方のようだ。私も気になったので、馨先輩に背中を向けて同じ方向に目を向けた。
 何の変哲もない、いつもの風景だった。ただ、桜の木が校門から学校の周りを囲うように生えていることに今気付いた。そうなると桜の木の下で、私と馨先輩は話していたわけだ。絵的にはすごく良いと思った。しかし校門を出た時にそれを意識していたら、益々上手く話せていなかっただろう。
 教室のどこかに誰かいるのだろうか。まさかまた音楽室に……。と、音楽室に視線を向けたとき、音楽室の外に設置されている非常階段から、一人の女生徒が四階の方へ上っている姿が見えた。
 私は腕で目を擦った。あれは幻覚だろうか? それに非常階段は文字通り、非常のとき以外生徒は上ってはいけないはずだ。
 瞼をぎゅうっと強く瞑り、二秒ほど経ったあたりで開いてもう一度非常階段の方へ視線を向ける。……が、そこに生徒の姿はなかった。
 馨先輩も、あの生徒を見ていたのだろうか。しかし、何故数秒の間に消えた? 四階には行けないようになっているはずなのに。
 私は馨先輩のいた方へ振り返った。しかし――、
 馨先輩は、もう視線の先にはいなかった。
 帰ってしまったのだろうか。私には非常階段にいた生徒のように、消えたかのように思えた。下校道の先をじーっと見ていても、学生の姿すら見えなかった。
 学校の方から校門に向かって生徒がわらわらと出てきたので、このまま立ち止まっていてもしょうがないため、私は素直に帰ることにした。
 周りをきょろきょろと見ながら歩いていったが、馨先輩らしき生徒は見当たらなかった。
 結局御礼と自分の名前は言えたけど、なんだか胸のあたりがもやもやとするような、すっきりとしない気持ちだった。
 
 しばらくの間、心臓の鼓動は速さを緩めることなく鳴っていた。
 
作品名:先輩 作家名:みこと