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熾(おき)
熾(おき)
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月のあなた 上(4/5)

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森の中



 祇居は、いつもと同じように駅前で〈皆美学園行〉乗り換えた。
 バスは南へと向かっていき、再び市街地から離れはじめる。

 やがてまた田園風景に入った。

 祇居の通学も、あと十分ほどである。

(もう景色もはっきりと見えるし、周りの音も聞こえるぞ。)

 この状態ならいつも通り振舞えそうだ。

「悩むより、決めてしまうことだな」

 決断が平常心につながったことは喜ばしかった。

 一方で、自分がさっきからアスファルトの道路脇ばかりを見ていることには、気づいていない。

  *

 田園風景は、学校のある小さな山に繋がるところで雑木林へと移り変わる。
 この辺りから学校まで、車なら五分、自転車なら十分あまりの距離だ。
 始業は九時。八時十分現時点では登校してくる生徒はまばらである。

 登って行く道の脇に、小さく、何か赤い滲みがあった。

「?」

 バスが近づいていく。
 通り過ぎる瞬間祇居は、それが何であるかを正確に見て取った。
 赤い滲みの中心に、何かの黒い塊。

(引き裂かれたカラス――。)

 校門の停留所に着き、祇居は降りた。
 始業まで、未だ三十分あった。

(あのままにしておいていいのか。)

 無残な躯を晒す、有翼の黒い動物。
 祇居は首を振ると、一気に走り出した。

 走る途中で、人目の無くなった瞬間に脇へ――林の中へ飛び込む。
 自然の山肌の、密度の高い雑木林である。
 祇居の影はそれを平地の直線であるかのごとく走り抜けた。

 もう一度あの坂の所までくる。

「……」

 祇居は左右に人気がないのを確認すると林から飛び出し、殆ど音も無くアスファルトに着地する。

 それから、もう一度その赤い滲みを見下ろした。

(穢い――。)

 こんなにも醜態を晒すのか。
 空を翔る翼も、生皮一枚剥げば漆黒の死が詰まっている。

 祇居は自分の白い掌を見た。
 それから、鞄を開いた。
 中のハンカチを取り出す為に、手を入れる。

「…ごめんな、ちょっとまって……」

 言ったが、何かに気付くと直ぐまた林の中に飛び込んで身を隠した。
 なぜそんなに慌てたのか、自分でも良く分からなかった。

(…あ…。)

 だが、やって来た二台の自転車を見て、納得した。

  *

「ひなちゃーん、ちょっとまって…」

 殆ど蒼くなった蜜柑が、日向の背に声を掛ける。

「…あ、ごめん! また速かった?」

 日向は高い音を立ててブレーキを掛ける。

「うん、は、やい、ふー」

 蜜柑は息を切らしながら、今朝の集合を思い出した。

 日向は十分前に来た自分よりも先に稲荷に来ており、蜜柑を見るや、
「いこうみかんちゃんっ! 青春が、あたしたちをまってる!」
 なんとも恥ずかしい台詞を吐いて、爆走を始めたのである。

 市街地でこそ何とかついて行けたが、学校に至る坂となってさらにスピードが増すと、とても足も心臓もついていけなかった。

「まって…もうむり…こっから歩いても…間に合うから」
「だ、だいじょうぶ…?」

 戻って来た日向は汗ひとつかいていないが、顔を上げることのできない蜜柑に気付く余裕はない。
 蜜柑の顔色が戻って来るころには、日向が青くなっていた。

「ご、ごめんね蜜柑ちゃん…?」

 おろおろする日向に、蜜柑はなんとか笑顔を見せる。 

「ま――ふだん、運動して、ないからね…フウ」
「……」

 わたしもしてないの、とは言えなかった。

「でもひなちゃん、きのう何かいいことあった?」

 言われた日向は、驚いた顔をしたが、

「――あ、うん。いいこと…そうだね」
「…そっか」

 蜜柑は静かに笑った。それから、控えめに訊く。

「なにがあったか、きいていい?」
「――」

 みかんちゃんは、こころの触れ方を知っている。 
 日向は、泣きたいような気になって微笑んだ。

「お母さんから、手紙がきたの」
「え――でも、ひなちゃんのお母さんって」
「うん」

 その笑顔で、蜜柑は分かった。

「いいお母さんだね」
「うん」

 そのまま二人は、自転車を引いて坂を歩いた。

「あれ…」

 と、日向が前を見て立ち止まる。

「どうしたの――、ひゃっ!」

 蜜柑は日向に並んだ時、それを見た。

 殆ど二つに分かれた、カラスの死骸。
 片方の羽根の接合部から胸の骨に懸けて引き裂かれ、その下に腸が飛び出て、紫色に変色している。
 まだ乾燥しておらず、嘴からは舌が飛び出たままで、舌先からねっとりと血が糸を引いている。

「…車にでも、ぶつかったのかな」

 言いながら蜜柑は、ぜったいに違う、と思っていた。
 日向は、ランドナーのスタンドをおろした。

「ひなちゃん?」
 日向はそのまま死骸に近づいていくと、道路に膝を着いて、黒い鳥を掬い上げた。
 それは川から水でも汲み上げる様な、自然な動作だった。
 日向は立ち上がると、両手で包んだまま、蜜柑を振り返る。

「みかんちゃん…わたしこの子を、このままにしときたくない」

 手の器から、黒い翼が小さくはみ出していた。

「……」

 蜜柑はその翼を見て、もう一度日向の顔を見た。
 日向は真っ直ぐ立ち、真っ直ぐにこちらを見ていた。
 閉じられた指の間から一筋、赤黒い血が白い手の甲に伝っていた。

 鳥は、さっきまでは死んでいたが、今は眠っているように見えた。

「わたしもいく」

 蜜柑は頷いた。

「……!」 

 日向は、言葉には出来ず、微笑んで頷いた。

  *

 二人の女子高生は自転車を道路脇に並べて置いたまま、雑木林の中へ入って行った。

 奥に行くほど温度は低く、空気は澄んでいた。
 背の高く幹も太い木が多く、多くが幹も根も、根の張り付いた岩も、緑色に光る苔に覆われている。
 多くの大木の森がそうであるように、下生えは低く、歩くには労が少ない。
 それでも蜜柑はおっかなびっくりだったが、日向は両手の器の形を保ったまま、迷いなく前を進んで行った。

 時折、雫がぽつぽつと降る様に、光がその頭や肩を照らしている。
 蜜柑は自分の掌にも、光の雨が落ちて揺らめいているのを見た。

(…こんな風景、みなかっただろうな。)

 この子と一緒にいなければ。

「みかんちゃん」

 日向が立ち止まって、目の前に現れた一本を見上げていた。
 それは、立派な樹だった。
 この国の民が、人生のどこかのタイミングで心の中に抱くようになる樹だった。
 森を切り崩していった人間たちが最後に残して、その隣に社を立て、森の記憶と共に祀る一柱(ひとはしら)だった。

「おおきいね…樹齢何年なんだろう?」

 蜜柑が見上げて、木漏れ日に目を細めていると、日向はその大きな根と根の間に跪き、手の中のものをそっとおいた。

「やっぱり埋めてあげる…いい場所だもの」

 周囲を見渡して、手ごろな石を見つけると、土を掘り始める。

「……」

 蜜柑は時計を見た。
 それから自分も平たい石を拾って、日向の隣にしゃがみ込んだ。

「みかんちゃん、遅刻しちゃうから」
「一人でやってたらね」