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サニーサイドアップ
サニーサイドアップ
novelistID. 56539
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センパイんとこ住まわせてもらっていーっすか? <前編>

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一杯のかけそばならぬ、一皿のたこ焼きっす

 



 トルクレンチは、高力ボルトの締付けに用いる……
 地盤アンカー工法は、杭地業工事に用いる……
 スクレーパーは、鉄骨の切断に……

 ポキッ

 これで5回目。集中しきれていない証拠だった。瀬田 倫は、折れたシャーペンの先をいまいましげに睨むと、座卓に広げた参考書の上に放り投げ、深いため息を吐いた。あぐらを解き、両腕を後ろに突いて天井を見上げる。意味もなく口を開け閉めしてみる。あほらしくなって、すぐやめた。
 セーラムのパッケージを引っ掴み、開きっぱなしの掃き出し窓からベランダに出た。
 洗濯用の角ハンガーを一つ吊るすのがやっとの狭いベランダの手すりに寄りかかり、川向こうの景色を眺める。市内で2番目に大きな川は、前夜の大雨で増水しているらしく、ここまで水音が響いてくる。川の向こう側もこの辺りと同じく小さな工場と住宅がひしめき合う雑多な地帯で、午前零時をまわったこの時間帯であれば灯る明りもまばらだ。だが都会のけばけばしいネオンサインより、頼りなげに揺れる白と黄色の小さな明りの方が、倫は好きだった。築25年、六畳と四畳半の2Kで家賃4万円。名前だけは立派な安アパート「リバーサイド紺野」の唯一かつ最大の売りは、2階ベランダから臨む、川沿いの眺望だ。この眺めだけで契約を決めた倫は、そう確信していた。
 煙草の先に火をつけ、肺の隅々まで煙が行き渡るよう、深く深く吸い込む。……うまい。煙草は百害あって一利無しなんてどこのどいつが決めたんだろう。

「だいじょぶかよ、アイツ……」
 
 知らず漏れた独り言が、倫の心情を如実に表していた。目を細め頬にえくぼを浮かべ脳天気に笑う一人の少女の姿が、倫の脳裏に瞼にちらちらよぎる。

『ワコさ、あいつヤバいよ。誠也から毎日ボコられてるらしいよ』
 昼休み、携帯を介して交わした仲間との会話を思い出す。途端、少女の顔からえくぼが消え、たちまち苦しそうに歪んだ。倫は煙草をもみ消すと、携帯にある番号を呼び出した。
 
 『鳴海 和歌子』
 
 呼び出しはしたが、どうしても発信ボタンに指を延ばせない。暗闇にぽうっと浮かぶ画面をじっとり眺めているうちに、目が痛くなった。長く握りすぎたせいか、手の中の携帯がカイロのように発熱している。
「ゔぁーもう!」
 胃を絞り出すように唸り、床を蹴立てて部屋に戻る。それは和歌子のバカさ加減と、その和歌子へ電話一つできない自分の不甲斐なさへのいら立ちの表れだった。

 ♢ ♢ ♢

 倫の勤める「有限会社 黒倉建設」は、アパートから徒歩10分の距離にある。社長夫婦と社員が7名、総勢9名の小さな会社だが、堅実な仕事ぶりで地元ではそれなりに信頼されている。高3の時の担任のツテで入社した倫は、社長夫人の陽子を除いて紅一点、そして一番下っ端の見習いとして、あらゆる雑用を任されている。始業前の準備から終業後の後片付けまで息つく暇無く走り回り、終わる頃には毎日くたくたになっている。だが、厳しくも温かい社長の人柄と、からっと気っぷのいい先輩達、そして何より当面の目標である2級建築士取得のための実務経験を積む修行の場として、ここは格好の職場だった。
 和歌子の事が頭から離れず悶々と眠れぬ夜を過ごした倫は、昼食後のわずかな休憩時間を、配管にもたれてうつらうつら舟を漕ぐのに費やしていた。だがその束の間の休息は、携帯の着信音に遮られた。
「……あんだよ」
 不機嫌な面持ちで携帯を覗いた倫だったが、新着メールの差出人名が目に飛び込んだ瞬間、頭からきれいさっぱり眠気は吹き飛んだ。
 
 『差出人:鳴海和歌子 件名:お久しぶりっす』

「……何がお久しぶりっすだよ、人の気も知らねーで」
 あん?何か言ったか?と先輩社員に問われて慌てて首を振る。誰に見られる訳でもないのに画面を隠すように身を屈めて、携帯を操作した。情けない事に指先が震えていた。
 
 『お久しぶりっす!元気ですか?仕事中すんません。いきなりなんですが、今日センパイのアパート行ってもいいっすか?返事待ってま~す(^0^)v ワコ』

 数ヶ月ぶりに和歌子から届いたメールは、字面だけ見れば実にあっけらかんとした内容だった。だが、昨日聞いた話とメールの文面との温度差に、かえって事の深刻さが窺え、胸の奥がひやりとした。何より和歌子が倫の元を訪れるのは初めての事だ。緊急事態を察知した脳が、最速スピードで帰宅可能時間を算出する。『6時には帰る』とだけ返信し、それを実現するため、腰を上げた。

 ♢ ♢ ♢

 和歌子は倫と同じ工業高校の一年後輩で、いわゆるヤンキー仲間だった。明るく人なつこい性格で可愛がられていたが、反面、流され易く騙され易いのが玉に瑕で、いいように利用される事も多々あった。周囲の環境が良ければヤンキーになどなっていなかったはずの、倫に言わせれば所謂気合いの入ってない「なんちゃってヤンキー」だ。今春高校を卒業し、同級生の誠也と同棲を始めたばかりだった。その和歌子からのSOS。薄ら青い夕暮れの中、倫は息を弾ませ、歩いて10分の道のりを5分ほどで駆け抜けた。
 アパートの外階段を一段抜かしで駆け上がると、一番奥、203号室のドアに背中を預けてしゃがみ込む和歌子の姿があった。倫に気付くと、立ち上がってニカッと笑いかけてくる。両頬にえくぼを浮かべた人なつこい笑顔。実に一年二ヶ月ぶりの再会。倫は体の底から得体の知れないざわめきが押し寄せてくるのを感じながら、無言で部屋の前まで進んだ。
「エヘヘ、お久しぶりっす」
 小柄な体をさらに縮こませ、バツが悪そうに微笑む和歌子。手入れの悪いプリン頭に、蒸し暑い6月なのに長袖ジャージを着込んでいる。
「これ土産っす」
 おずおず差し出してきたビニール袋の中には、湿気でぺしゃんこになったたこ焼きが一舟。
「へへへ、一杯のかけそばならぬ、一皿のたこ焼きっす」
 ……バーカ。この場合、たこ焼きは一皿じゃなくて一舟だよ。あいかわらずだな。
 そう喉元まで出かかった言葉がつっかえて出てこない。まるでそこにあるはずのない涙の塊が、喉に蓋をしているようだった。

「まあ、入れよ」
 ごちゃごちゃ喋るのは得意じゃない。和歌子を狭い玄関に招き入れ、自分はさっさと部屋に上がった。お邪魔しまーすとそろりそろり部屋に入ってきた和歌子は、やがて「わあ」とか「へえ」とか言いながら興味深そうに視点をくるくる変えて、辺りを見回し始めた。見られて困るものは何もないが、気分のいいものではない。
「あんま見んなよ」
 そう釘を刺すと、
「スンマセン、でもセンパイの部屋なんも無いっすねー。女の部屋とは思えないっす」 
 屈託のない笑顔を浮かべ軽口を叩いてきたので、「大きなお世話だ」と頭をパシンとはたいてやった。その瞬間、一気に高校時代に引き戻されたような気分になって、倫の鼻の奥がつんと痛んだ。だがそのセンチメンタルな気分を、ジャージの袖口からちらりと見えた白い包帯が粉々に打ち砕いた。
「……オマエめしは?」
 何も言えなくなった倫は、窓の外に目をやりながらぶっきらぼうに呟いた。
「まだっす。コレ一緒に食べよーと思って」
 和歌子は座卓に置かれたたこ焼きを指差す。