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空跳ぶカエル
空跳ぶカエル
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わたしは明日、明日のあなたとデートする

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11.愛美



2040年4月10日

 私は坂本駅で京阪電車を降りた。春の日曜日ということもあり、大勢の人で賑わっている。その人たちは大半が駅前のバス停でバス待ちの列に加わっていたが、私は構わず歩き出した。
 まず、駅の向かい側の観光センターに立ち寄り、坂本の観光マップをもらう。
 もう昼が近い時間だったので、まずはどこかで昼食をとろうと思ったのだが、意外に食べ物屋が少ない街のようだ。坂本駅の近くにソバ屋さんがあるようなので、そこに行ってみることにした。
 行ってみると想像していたより立派な店構えで、由緒ある店のように思えた。幟に「創業三百年」と誇らし気に書かれているし、少しビビッてしまったのだけど、入ってみればソバは美味しく、値段も思ったよりはリーズナブルだった。
 それにしても、昼食にこんなに払うのはこちらの世界に来てから初めてだ。今はそんなに贅沢できる身分ではないのだし、あまり調子に乗らないように気をつけなきゃ。
 ソバを食べながら、どこを見て回ろうか観光地図と相談する。「石積みの門前町」と称するだけあって、ひたすらお寺ばかりだ。
 二〇四〇年に飛ばされてから、一ヶ月が経ってしまった。
 予想に反して「調整」は来なかった。最初の数日は、いつ「調整」が来るか覚悟しながらホテルを転々としていたが、すぐに疲れ果ててしまった。
 こんな生活を続けていると「調整」がなくても、自分で想像して恐れた老婆のイメージの人物になってしまいそうだった。しかもその場合は「予言」は当たらないので、本当に誰にも相手にしてもらえない。
 一方、「調整」が入らない事実についても、上手く「振り落とされた」のかも、と安堵する一方、もしこれが単に周期が例外的に延びているだけだったら、いつか来る「調整」では、より遠い過去に飛ばされるのではないか、という不安が同時に増していた。
 「調整」をゴムひもの例え話で理解していたためか、周期が延びればそれだけ反動で遠くに飛ばされるかも、という不安が大きくなった。一万年の過去に飛ばされた夢を見て、夜中に飛び起きることもあった。そんな不安に根拠があるのかどうか、今現在の状況をどう考えればいいのか、的確なアドバイスをしてくれるはずの高志はこの世界にはいない。
 また、こちらの世界に来るときにけっこうな額を持ってきたとはいうものの、いつまでもホテルを転々としているわけにもいかず、仕事をしなければ、とも思うようになった。
 そこで、この時代に来てから毎日、例の「あらあら女将」の小料理屋に通っていたのだが、一週間ほど経ったある夜、思い切ってここで働かせてくれ、とお願いしてみた。帰るに帰れなくなった、と言うと、女将は「あらあら、それは困ったわね」と言ってあっさり雇ってくれた。
 それどころか住むところもない、と言うと、やっぱり「あらあら」と言いながら自分が所有しているアパートの一室を貸してくれた。
 さらに、身分証明のため国民番号を教えてくれと言われて、持っていない、と答えたときは、さすがに私も怪しまれると観念したのだが、それさえも女将は、「あらあら、それはほんとに困ったことね」と言うだけで済ませてくれたのには驚いた。
 翌日、市役所に国民番号を取りに行こう、と言われたときは、そんなに簡単に取れるのか?と疑ったが、指紋と虹彩パターン、それとDNA採取のための血液を採取されただけで、あっさり私の国民番号と住民証明が発行された。実際には一週間ほどかかったが。
 発行された国民番号証を手に取ったとき、私はこの世界の住人になった、ということを実感した。それでも突然「調整」が入って遠い時代に飛ばされるかも、という不安は消えなかったが。
 
 高寿に会うにしろ、とりあえずこの世界の住人になったからには、保護を必要とする人間ではなく、経済的にも自立した人間として会いたかったので、当面私は高寿のことは忘れたふりをして、「生活を成り立たせること」に集中した。
 小料理屋の仕事は夜からなので、昼間は毎日ではないが宝ヶ池や木野美術大学など、あちこちを見て回った。木野美術大学で、四月に高寿の特別講義があることを告知するポスターを見たときは胸がときめいた。
 宝ヶ池では境界線があるはずの場所を何度も通ってみて、何事も起きないことに安堵したりがっかりしたり、複雑な気持ちを味わった。東屋では何時間も佇んで、あの時のことを思い出したりこれからのことを思案したりしていた。
 枚方にも行ってみた。高寿の実家がある辺りは再開発されていて、あのタコ焼き屋さんがあった所には、高寿の実家の向かいにあったスーパーも含めた形で大型スーパーが建っていた。高寿の実家の自転車屋さんはリフォームされて別の事務所が入っていた。

 坂本には、いずれ落ち着いたらゆっくり訪れてみたいと思っていたが、やっと来ることができた。
 ソバ屋で観光地図を見て、琵琶湖の眺望が抜群だという山辺の道に行ってみたいと思った。でも近くにある滋賀院門跡というのも、地図上にやたら大きく表示されていて気になった。少し遠回りになるけど、滋賀院回りで山辺の道に行ってみよう、と思った私は勘定を支払ってソバ屋を出た。

 滋賀院はスケール的には観光地図に表示されているほど大きくはなかったけど、このあたりの石垣は素晴らしかった。コンクリなどで固められていない、いかにも古い昔の技術で組み上げられた石積みは、無造作に積み上げられているようでいて全体として見事な秩序があった。
 滋賀院のすぐ近くに唐突にテニスコートがあったりして中学生たちが練習している風景も良いな、と思った。彼らはまだ意識してないのだろうけど、生きた歴史の中で生活しているのが素敵だな、と思った。今の私がこの世界に来て間がなく、この世界の歴史を実感できない、ということがなおさらそう思わせるのかもしれない。外国人観光客と同じ目線なのかな。

 山辺の道は、想像していたのと少し違って、あまり観光地らしくない普通の道だった。時折、普通の家の前を通ったりする道だった。
 ただ、観光マップに書かれているとおり、琵琶湖の眺めは抜群だった。箱庭の池のように琵琶湖が横たわり、対岸に特徴的な三角の山が見えた。ここに初めて飛ばされたときも印象に残った山だったが、今では私はこの山が三上山という名前だということを知っている。

 立ち止まって琵琶湖を眺めていた時、ふと今通ってきた道の方に人の気配を感じた。
 右の方を向いてみると、山の方に向かう畦道から三人ばかり降りてきたのが見えた。
 一瞬、おかしいな、と思った。つい今さっき、そこを通ったときにはその方向には誰もいなかったのを見てるはずなのに。
 ちょっと不思議には思ったが、さして気にも留めずに再び琵琶湖の眺望を楽しんでいたとき、不意に聞き覚えがある声が耳に届いた。
「母さん?」
 反射的に声の方角を見た。今しがた降りてきた三人のうちの一人がこちらを見ている。少し遠いが高志に見える。
 思わず走った。走って近寄ると、確かに高志が私を見て口をあんぐり開けていた。
「高志?どうしてこんなところにいるの?」
 わけがわからないまま口走ると、高志の表情が急に引き締まった。