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さくらさくら

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桜の木の下には「あるもの」が埋まっている。それが花を美しく咲かせるのだ。
「あるものって何だ」
「さあ? 私も詳しい話は知らないけれど、人の成りをした物だとか」
 此処は人成らざる者が住まうあの世とこの世の狭間の世界。背の高い樫の木の根元に横たわった丸太に座って二人の男がそんな会話を交わす。
 一人は栗毛色の癖毛に無精髭を蓄えた男。もう一人は右目を銀色の前髪で隠し額から二本の角を生やした「鬼」と呼ばれる男。彼らは今物々交換の真っ最中だった。
「あ、新良。その煙管も頂戴よ」
 銀髪の鬼が言う。
「じゃあハガクレの持ってる河童の妙薬と交換だ」
 人間の男が応えた。
「さっき妖狐の爪をあげたじゃないか。あれ、結構な希少品なんだよ」
「うーん、じゃあせめて水蛇の牙で作られた帯留めで。この煙管だって装飾が繊細で価値が高いんだぞ」
 現し世と隠り世。それぞれの住む世界でしか手に入らない物は蒐集家にとっては喉から手が出る程魅力的なのだ。好事家に対する物売りとしてそれらを集める人間の男にとって、目の前の鬼は良い取引相手であり友人と呼んでも差し支えのない間柄である。また、鬼の方からしても、人の世の蒐集品を手に入れる事が容易くなるこの物売りは上客だった。まあ、友人と呼ぶかどうかはさて置き。
「ああ、で? さっきの話の続きは」
 ふと思い出したように新良が鬼に問う。ハガクレはそんな人間には目もくれず、丸太の上に広げられた風呂敷の中から己の興味を引く小物を手に取った。
「続きも何も、アレで終わりだよ。桜の下には何か得体のしれないものがあって、その養分を得るから桜は美しく咲くんだと」
 手の中には寄木細工の小さな細工箱。美しい幾何学模様に目を奪われ、彼は恍惚の面持ちであらゆる角度からそれを眺める。一見するとただの箱だが開け口が見当たらない。この細工箱というものは巧妙に組み合わされた繋ぎ目を少しずつ動かして開ける仕組みになっているのだ。ハガクレが箱を開けようとするが開け方が解らない。少し困惑顔でくるくると回していると、見兼ねたのだろう新良が彼の手から取り上げていとも簡単にその口を開けさせた。
 中には何も入っておらず、入れられるとしても親指一本分の大きさの小物程度だ。だがその精巧な作りをハガクレは大層気に入った。面白い、何よりも木の彩りだけで魅せるその模様が美しい。
「新良。それも欲しい」
 なんなら河童の妙薬も付けるから。そう付け加えて鬼は人間に小さな箱を強請る。当然先程河童の妙薬を所望した新良の心は傾いたが、彼にはそれ以上に興味を唆る取引条件が有った。
「河童の妙薬もいいが。先程の話の続きを知りたい」
「話? なんだっけ」
「だから、桜の下に云々の話だ!」
 ああもう、と呆れたように新良がため息混じりに声を上げる。一瞬呆けたハガクレは何の話だったかと、たった数分前の記憶を辿り「ああ」と頷いた。さらりと忘れてしまう程度には彼にとってどうでもいい話だったらしい。
 ハガクレは面倒くさそうに頭を掻いて視線を近くの川辺に向ける。そちらに見えるのは桜並木だ。人の世を真似たのか、自然では在り得ないだろう等間隔に並ぶ様は少し薄気味悪くもある。そんな並木が続くずっと先、川を山へ登る上の方に一本大きな桜の樹が見えた。他の桜とは違い一回り横にも縦にも大きい淡紅色。離れたここから見ても大層美しく咲いているのがよく分かる。
「大きいな、彼岸桜か」
「私にはわからないけれど、あれは随分前からあるらしい」
 鬼という人外が言う「随分前」がどれほどのものか新良には見当がつかない。ただ、幹の様子から察するに十年、二十年という程度ではなさそうだ。
 ところであれがどうかしたのか、と新良が問う。するとハガクレが口角をニィと上げて歪な笑みを浮かべた。
「美しい桜でしょう」
 明るいながらも濃い青を湛えた異界の空に映える桜色。陽の光を受けて輝くように見える花弁の群れに思わず視界も眩む。あれは美しいと言うより妖しいと言うべきなのではないか。桜に魅入られたように視線を外せない新良はハガクレの言葉に「まあ」と小さく頷いた。
「じゃあ、行こうか」
 そう言うと、ハガクレはひょいひょいと荷物をまとめて桜並木へと向かって歩き出す。どこへ行くのかと声を掛ける間もなく、新良も荷箱を片付けるとそれを担ぎあげ慌てて鬼の後を追った。


 桜並木の下、ハガクレが朱色の番傘を開いて優雅に歩く。新良はその数歩後ろを少し不服そうな面持ちで歩いた。
 理由は二つ。一つは明確な説明がないままハガクレが歩き出したこと。もう一つは新良のほうがハガクレより背が高い為歩幅が大きく、うっかりすると彼に追いついてしまうからだ。「行こう」と誘った案内人がハガクレである以上、彼の先へ行っても仕方があるまい。だが、まるで浮足立つ散歩中の犬が焦らされているようで酷く億劫だった。さっさと早足で歩けと急かすのは容易い。だがハガクレがその言葉を聞いた所で意にも介さず受け流すことは良く知っている。
 現に新良のそんな胸中を察したのだろう、ハガクレはちらりと彼を一瞥して苦笑を浮かべるに留まった。口を開けばきっと「風情がない」だの「生き急ぎ」だの言われるに違いない。
 はあ、と一つ溜息。新良は頭を掻きながら頭上を見上げた。
 どこからか、時折強い風が吹いて桜の花弁が舞う。それらはハガクレの持つ朱色の番傘に落ちては流れるように去ってゆく。花の群れを見れば見事な薄紅色であるのに、朱色の上では白と称しても差し支えのない色味に見えた。
 しばらく川沿いを歩くと次第に空が暗くなり始める。日が暮れたのか、と思うが陽は先程から大して動いていない。件の彼岸桜を抱えた山は西にあり、南東からの陽を受けて煌々と揺らぐ。ただ不思議と空だけが暗くなっているのだ。だが新良はそれを奇妙だと思わなかった。何故なら此処は狭間の世界で、人の世の道理では説明できないことが山程あるのだ。今更そんなこと程度では動揺しない。彼にとってこの現象は「この山の麓はただ暗い」というだけだった。
 やがて桜並木も尽きて道は無骨な土と草の土手になる。踏みしめれば草鞋の下から砂利の擦れる音。視線を斜め上に向ければ大きな桜の木。低木の下を潜り、蔦を蹴り、苔を踏んで先を進むが歩けどもなかなか根元に辿り着くことが出来ない。
 いくら異界と言えど、これではまるで狐に摘まれているようではないか。そうハガクレに問おうとすれば見計らったように突如視界が開く。
 木々を掻き分け開いた先。頭上に覆い被るようにして広がるのは桜の花。旋風が一つ吹き、花弁がざわりと音を立てて震える。薄暗い空にそびえ立つ薄紅の色はこの異界にあっても酷く異質に見え、新良は思わず息を呑んだ。
「見事なもんだな」
「でしょう」
 口を開け感嘆の息を吐く新良の横でハガクレが満足そうに笑う。続いて彼は樹の根元へ歩み寄り、ちょいと新良へ手招きをした。
「新良。先の話を続けようか」
 桜を美しく咲かせる「あるもの」の話を。赤い傘をくるりと回して銀髪の鬼が怪しい笑みを浮かべる。途端、新良の背中に嫌な汗がじわりと伝った。それは本能から来る警告だ。
作品名:さくらさくら 作家名:Kの字